026 喉に刺さった魚の骨
少し枯れた牧草の上で、もじもじするドンクとがっくり肩を落とすオレ。ひゅうと背中に日陰を背負って、共に暗い顔で対峙する。
ピロロロ…………。鷹が空を渡ると溶けていたソラがグンと低く滑空し、また空の青さに染まって行く。
秋の終わりの空は広い。天井が真っ青でソラの色、徐々に視界を落としていけば薄白い水色のグラデーション。ソラは器用に色を操っているかのよう。心もとないオレを元気づけるかのよう。ソラはいつだって自由に舞う。
「おうぃ、ソラ! 攻撃するんじゃねぇぞ! これは決闘だ! コウタが好きでやるんだからな」
ディック様が遠くのソラに向かって呼びかける。
違うから! オレ、好きでやるわけじゃないから! でも、ソラに攻撃されると困る……。うっ……、本当に本当に決闘するの?
タタタと勢いよく走りだしたドンク。お父さんに呼ばれたようだ。商売人らしい恰幅のいい男の人がガシガシとドンクの頭を撫で、オレのことをチラチラ見ながら話をしている。
叱られたりしないかな? 不躾にじっと見つめるわけにはいかず、チラリと視界の横に置いた。
くるり。
オレの方を向き、キッと凛々しく引き締めた顔。ほっぺをパンパンと叩いて気合いを入れる。
しまった! いつの間に?
せっかく和解の雰囲気にだったのに、ドンクはお父さんと喝を入れ合い、やる気の炎がメラメラと燃えている。
う……。 ジトっと恨めしくアイファ兄さんを見る。活気づく人たちの中心に陣取り、何やらとっても生き生きしている。
こちらに気が付き、嬉しそうな顔を見せたかと思えば、思い切り悪人ずらでぱくぱくと口を動かす。
何、なんて言ってるの?
「お・ま・え・が・勝・て・ば・大・も・う・け」
!!!!!!
ムキーッ!!
悔しい、酷い、自分だけ! オレは怒りの炎で顔を赤らめる。
もう怒ったもんね! アイファ兄さんなんて信じない!! 精一杯のぷんぷん顔を見せるオレにディック様の来い来いの合図だ。
あぁよかった! オレの気持ち、分かってくれたんだ!
トテトテとディック様に駆け寄って、胸に向かってジャンプする。ずりっと腰にしか届かないけれど、ズボンもシャツもぎゅっと握って、全力でアピールした。
「ディック様〜! オレ、オレ、決闘なんて嫌だよ〜」
ぐずぐずと鼻を鳴らして助けを求める。
「何だ、お前。やる気だったんじゃねぇのか? じゃぁ、アイファの仕業か? まぁ、どっちでもいいぜ。」
どっちでもよくないよ! 兄さんを止めて! オレ、戦えないから!
冒険者にあこがれるオレ。父様も母様も冒険者だったもの。戦いが駄目だって訳じゃない。傷つけあうのが苦手なんだ。
山では忙しい父様と母様に代わってアックスさんが剣の構え方を教えてくれたし、小さい魔物の解体だって必要になるからとしっかり学んだ。
熊爺は弓の使い方や受け身の取り方を教えてくれた。ドッコイ(魔獣ブラックベア)がオレと一緒に訓練してくれたんだ。
懐かしい。ドッコイにも会いたいな。ジャキジャキとしたかたい毛の中に、ふわふわサラリの短毛がたっぷり蓄えられていて、大きな背中に転がるとオレの漆黒とおそろいで溶けているみたいなんて笑われた。鋭い爪が隠されたちょっとざらついた肉球はラビのものと正反対だけど、むぎゅむぎゅマッサージをすれば互いがとても気持ちがいい。
ー-おい、おい!
遠い思い出に浸ってしまい、我に帰れば呆れたようなディック様。
「お前、大丈夫か? まあいい、楽しめりゃ。 あぁ、そうだ、念のため。 魔法、使うなよ。 相手はガキだ」
そう言ってオレの首元をつかんで子猫のようにぶら下げたディック様は、群衆に向かって声高らかに叫んでしまった。
「さあ、準備はいいかぁー! チビどもが寝ちまう前に始めようぜ! 泣いたら負けだ! 危なくなったらストップだ! これでいいかぁー」
「「「 うをおおおおおおお! 」」」
「いいぞー、早くやれー」
「坊主、泣くんじゃねえぞ」
「さぁ行けー」
好き勝手に盛り上がる大人達に、既にオレは泣きそうだ……。 いや、こんなことで負けるもんか! こうなったら全力でやってやる!
オレはちっぽけな勇気を振り絞って闘うことに決めた!
「始め!」
酔っぱらったおじさんの合図で突然始まった決闘。
合図でキッと顔を上げると、ドンクが鼻息を荒くしてオレを睨みつける。木剣を持った構えは、しっかり鍛錬を受けている証拠。そしてふと気がつく。オレ、武器がない……。
二回りも体格差があり、武器が無いって何事? 幼児の決闘だからこれでいいの? 勝てる見込みないじゃん! 置かれた立場に慌てる間もなく大声を出して迫るドンク。
「うおおおおおおおおおおお」
一直線の攻撃に、対抗する術がない。仕方ない。こんな時はーーーー避ける。
単調な剣筋だ。ブンと振られるその前に、オレは身を低くしてドンクの足元目掛けて飛び込んだ。
ズササササ!
視界から消えたオレに驚いて、前のめりに転んだドンク。ごめんね! 顔、擦りむいたよね? あぁ、痛そうだ!
わなわなと震えた彼は、怒りをあらわに立ち上がる。
「へっ、俺様に恐れをなして転んだな!運のいい奴め」
パンパンと土が混ざった牧草を払う目が、殺気を放つ。ぺろりと唇をなめた少年はふいと小さな呼吸をしてから突っ込んでくる。
「おりゃぁあああああああ」
わわ、と狼狽えて体勢を立て直し、斬りかかろうと踏み込んだドンクの利き足にぶら下がって思い切り身体を預ける。
「やぁあ!」
前に行こうとした力が急に逆方向に引っ張られ、勢い付いた頭の重い幼児は、見事に後ろにすっ転んだ。
ドゴッ!!
「…………な、生意気だぞ!よくも、よくも……。」
ごめんね、すぐに離れるから!
掴んだ足ごと、一緒にひっくり返ったオレは、シュタリと離れて身構える。
後頭部を押さえてよろよろと立ち上がった幼児。グレーのツンと立ち上がった髪から怒りの炎がメラメラと本当に湯気までもうもうと揺れ動く。
「うわぁあああああああ、この、この! こいつめ! こいつめ!」
半狂乱になったドンクは木剣をやたらめったら振り回して大暴れ。めちゃくちゃな攻撃を当たらないように逃げるには、これしかない。
地面に突っ伏して足の間に滑り込む。勢い余ってよろめく敵の膝裏を、グンと蹴り押し立ち上がる。
ズシャッーードン!!
おお、と沸き立つ歓声を聞き流し、次の出方を待ち構えて腰を落とすのは、ディック様の連続攻撃を躱わすための技。
・・・・・・・・・
あれ?
一向に襲って来ない攻撃を不審に思い、胡散臭げにドンクを見る。よろけた所を前のめりに、しかも勢いづけられ倒された幼児は派手に顔を擦りむいて鼻血を出していた。
いくら身体が大きくても五歳児。甘やかされて持ち上げられて育った五歳児。普通の幼児より体格が大きい五歳児。
大きいからこその衝撃にグシュグシュと肩を揺らすと、想定外の緊張を強いられた反動で盛大に声を上げた。
「うわぁああああああああああん」
痛さと、辛さと恥ずかしさ。ドンクは顔を真っ赤に染めて、いや、真っ赤に腫らしたと言うべきか、一目散に走って行ってしまった。それを追いかけるドンクの父さん。
オレは突っ立ったまま呆然とする。
途端にまたもや大歓声。
「勝者コウター! ちびっ子の下剋上だ! 見たか! この可憐な勇姿を!」
アイファ兄さんのご機嫌の勝利宣言が炸裂する。
勝手に決闘をさせておいて!フツフツと込み上げる怒りに任せてアイファ兄さんに飛び掛かったのに、兄さんはニカッと笑って、オレをブンと降り上げるとガシッと肩に乗せてしまった。
オレはペシペシと兄さんの頭を叩いて抵抗を図る。だけど兄さんはお構いなしでオレを肩車したまま観衆の間を駆け抜ける。
「あはははは! やるじゃん、お前。相当儲けたぜ! さすが俺の弟だ」
乱暴に撫でまわれてくしゃくしゃに逆立った漆黒。ぶんぶん振り回された頭にクラリと視界がゆがんだ。
上機嫌の兄さんよりさらに上機嫌になったのはディック様。 無礼講だとエールのカップを持ちを上げて、一気に飲み干すと、今度は樽の蓋を拳でカチ割り、そこらの男どもにじゃんじゃか注ぎ、飲んで飲んで飲んで飲んでのお祭り騒ぎの大乱狂。
わしわし、ガシガシみんなに頭を撫で回されて、くすぐったくて恥ずかしくって、うるさくって、酒臭くって、混沌とした雰囲気のせいか、いつの間にかアイファ兄さんへの怒りが消えていた。
ドンクは?
尖ったツンツン頭はどこにもいない。走っていったまま。お父さんは戻ってきて、何事もなかったように、いや、戦い抜いた我が子の雄姿をちょっと誇らしげに飲んでいた。
ひょいと合わせたディック様の瞳が、よくやったなって言ってくれている気がして、ちょっとだけ頬を赤らめる。
でもね、オレの胸はちょっと苦しい。魚の骨を飲み込んだ時みたい……。暫くして兄さん達から解放されたオレは、その場をこっそり後にした。