238 怒り
不適切な表現が含まれているかもしれません。(お下品です)ご注意ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ぴちゃり。
頬に感じた冷たい感触で、重い瞼をこじ開ける。最近、こんな目覚めばかりだ。喉の奥に力を入れて視界をクリアにする。予想外の存在に、声を出さないように慌てて口を塞いだ。ニコルのヘビ。心配して来てくれたんだね。ありがとう。ということは、ディック様が近くにいるはず。
オレをがっちりと捉えながら寝息を立てる閣下に気をつけて、こわごわと魔力を流す。静かにそっと、細い細い魔力。いつもの吸い込まれる感じがしない。今ならと、ヘビの動きのように、一本の糸を繋げるように索敵の魔力を流していく。城のずっと奥。地下とも地上とも言えないあの豪奢な部屋を探し当てると目当ての気配がある。 いる! いる! ディック様とアイファ兄さんがいる。どんな状態か分からないけれど、城の中にいる。助けに来てくれた!
うれしさと戸惑い。来ては駄目だと伝えたのに、やっぱり助けに来てくれた。下手な人質にだけはならないようにと気を引き締める。
「おや? 見つけたようだね。 さぁ、まだ夜中だ。明日には会えるのだから、もう一度寝るといい」
どきり。オレを抱いた腕に力を入れた閣下は、魔石のついた指輪を持って、カチリと音を立てさせた。とたんに違和感。あの指輪が魔力を吸うスイッチなのだろうか? しゅんと消えた魔力にがっかりする。だけど、朝だ。朝にはディック様に会える。自分から離れてしまったのに、もう渇望するディック様の気配。次は離れない。だから無事に脱出できますように。
今日もふりっふりに着飾られたオレはクローム様に抱かれて食堂に向かう。ディック様に、アイファ兄さんに会えることで胸がいっぱいだった。だけどそこにはディック様がいなくて……。閣下と二人、味気ない食事をする。
次に向かったのは玄関ホールの近くの一室。ディック様達の部屋には近づいたけれど、まだまだ遠い。此処では、クライス兄さんの部屋みたいに不思議な古代道具が置かれていた。使い方が分かる物と分からない物を選別するように言われる。こんなときマメがいたら、あれやこれと教えてくれるのに。しばらく頑張ったけれど、書類仕事を始めたクローム様にたまりかね、ディック様に会いたいと言ったら、役に立ってからだと言われた……。やっとのことで会えたのは昼を大きく過ぎてからだった。
「た、大変です。閣下、すぐにお越しください」
胸当て付きエプロンをひらひらと踊らせたメイドマンが、息せき切って走ってきた。閣下はにやと口角を上げて、オレについてくるように言う。幾つもの廊下を曲がり、階段を降りた先は、ディック様がいる部屋だ。
「「 ぎゃあああああ! 」」
閣下と二人、その姿に悲鳴をあげる。
頑丈な鉄格子のその奥で、ディック様とアイファ兄さんが半裸でベッドに寝そべっている。ふりふりのドレスがビリビリに引きちぎられていて(まだこれは許せる)、かろうじて隠されている下半身に正視できない。(あんなところが見えそうだ、許せん!)それだけでなく、あろうことか鼻をほじほじ。ディック様に至っては鼻毛を抜いてピンと飛ばしている。
「「 ど、どうして? 」」
格子を握って二人で問う。
かっこいい英雄だったディック様。部屋は散らかり放題だし、顔には肉汁が飛び散ったままだし、何本も転がっている酒瓶に囲まれて、その様子はまさか!? 酔っ払っている?
掴まっているかもしれない。一向に部屋からでない気配に覚悟したけれど、これは一体どういうこと?
自堕落なだらしない男達。オレの自慢のディック様と兄さんがこんな姿になっているなんて!
「よう、コウタ。 息災でなにより。つーか、お前、いつまでここに居んだよ? とっとと帰らねぇとサーシャちゃんがこってこてに飾りつけっぞ?」
「ひひひ。すでにこってこてに飾られてっけど。 閣下。もうちっと強い酒、頼むわ。量を飲まねーと酔いが回らん。たくさん飲んだら、出るもんでちゃうしよ~」
「ちげーねー。 ひゃははははは」
臭い。はぁと吐かれた息で、こっちまで酔っ払いそう。大丈夫かなって心配したし、大丈夫なはずって何度も思い直した。だけどなに? 手枷、足枷をつけたままで、なんでご機嫌に酔っ払っているの? お腹の底がぐつぐつと煮えてきた。
「デイジー! アイリス! な、なぜ? 君たちは私と共に歩んでくれるのではなかったのか?」
頑丈な鉄格子にしがみついて、わなわなと肩を振るわせる閣下。おつきだっただろうメイドマンが、できる限りの要望を飲んで持て成していたらこうなってしまったと、さめざめと泣いている。
「ああん? こんなところに閉じ込められたんだ。お前さんの気色悪い趣味に付き合えっかよ。おかげでじんましんが出ちまった。大概の毒には慣らしているが、あー痒い! こいつな駄目だ。痒すぎる。あんたの女装趣味には、さすがのオレも降参だ」
そう言って、手枷をつけた両手を挙げると、バキバキッと手枷が壊れた。
「あーあ、アイファ! おめー手加減しろよ。せっかく頑丈な枷をつけてくれたんだぜ? ここにいりゃ、美味い酒に美味い飯。しかも、面倒な書類仕事も無えー。全く、天国みたいなとこだ。まぁ、ちょっくら動き足んねぇのがタマに傷だが、当分はメイド君らが相手をしてくれんだろう? なぁ?」
ディック様にしては軽度な威圧。だけど閣下の後ろでバッタバッタと人が倒れていく。
さすがディック様。だから、小指で鼻ほじはやめて~! (しかも両手で) アイファ兄さんまで、鼻毛抜かない! おならもダダ漏れだし、あんまりな姿にオレも閣下も泣きそうだ。
「おう、邪魔だぞ? 中で倒れてんのも外で倒れてんのもとっとと連れ帰れ。コイツらじゃ俺らのトレーニングにもならんぞ?」
よく見れば牢の中でもメイドマンが重なり合って倒れていた。ディック様の要望で、身体を動かし合ったらしい。村での訓練を思い出す。ディック様は手足に枷がついているけれど、そうか、相手にならなかったのかと頬が緩んだ。
「そういや、コウタ。お前、夜は誰と寝てんだ? 一人じゃ怖くてビビッチまうだろう?」
いつも通り意地悪なアイファ兄さん。閣下が嬉しそうに可愛いオレを抱いているから心配するなと指輪を唇でナゾって見せた。ぐびぐびと瓶のままお酒を煽った兄さんが、悪そうな顔をする。
「それは良かった。そいつ、時々、失敗しやがるからな。そんでもって、自分でシュワシュワ~洗って風魔法で乾燥させていやがる。証拠隠滅って思ってんのは自分だけで、見事な世界地図がシーツに残ってんの。閣下の寝具は大丈夫か~? 既に閣下も経験済みかなぁ? ぎゃははははははは 」
「「 !!! 」」
「ひ、酷いよ! 兄さん! それは秘密って約束したのに! それに時々だもん。毎晩じゃないもん。 四才だから仕方ないんだもん」
ムキになって反論するとディック様まで、嬉しそうに屁をこきながらお尻を叩いてみせる。
「そうだ。ひどいぞ、アイファ。いや、アイリス。コウタちゃんは時々しか失敗しねー。毎日なのはヨダレだけだ。おっきいほうはどうだったかなぁ? お風呂に入ると両方でちゃうよなぁ?」
「で、出ないーー! 出ないってば。 嘘、嘘だよぉ。オレ、いい子だもん。お上品だもん」
「そうか? そういやぁ、あんなことは秘密だったかなぁ」
「あれれ? こんなことは? あったのか、なかったのか? 記憶がぼやけているぞぉ」
二人して、あんなに約束したのに! オレの、オレの恥ずかしい秘密を、ぶちまける。そんなことないから! オレってばそんなにやらかしてないから。恥ずかしくて恥ずかしくて真っ赤になって反論する。閣下とメイドマンの冷めた目が余計にドギマギと心をかき乱す。 本当に恥ずかしいことはしてないから!
もう、もう怒ったもんね。
その口、その口、塞いでやる! 閣下が吸い込むなんて関係ない。それ以上の速度で、それ以上の量の魔力を込める。あの魔石を壊して、この魔石にぶつけて! 塞げ! 塞げ! 意地悪なお口!
ーーーーーーパン! ガシャン! パリン! ヒュン、ヒュン!
ーーーー シュポン! フガッ!
テーブルの上の果物が宙を舞い、次々に二人のお口に入っていく。どうだ! ほらね! これならもう話せない。ついでに光魔法で二人の酔いを覚ましてやらなくちゃ。
ーーーーパン!
「ぎゃっ!」
オレの魔力に追いつけなくなった閣下の指輪が吹っ飛んだ。ボタボタと垂れた血飛沫。ごめん! だけど、あの二人の方が先。あとで回復かけるねと、勢いを増した魔力を飛ばす。
「フンガ! ちょっ、フング、止めろ! 分かった、分かったから」
「モグモグ、フング。 せっかく気持ちよかったのに、フガッ、やめろ! 今、そこじゃねぇ。相手を間違えんな。 フンガガ」
「「「「 ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ! く、苦し……い。 クローム様、お助けくだ……さ、い 」」」
光魔法を浴びて、苦しみだしたメイドマン達。牢の中で積み重なっていた人達が、胸を掻きむしって苦しんでいる。その姿を見て、オレは冷静さを取り戻した。
「す、全ては……私の、手中に……ある。そう言った筈だが? 」
血まみれの手を抱えてうずくまった閣下が、重苦しい、低く低く垂れ込めた声を震わせている。にらみを利かせた赤い目が、額に浮かんだ青筋が、ディック様達に向けられた。
不味い。怒ら……せ、た。




