235 隙を見つける
柔らかな草むらで肘をつき、コウタは勇者アックスの手元を興味深げに見つめた。暑い日差しがキラと剣を輝かせる度にコウタはパタパタと足を動かしている。
「ん? おもしれーか?」
薄汚れてはいるものの特別な布が剣を磨けば、その柄に収まっている赤と緑の魔石も陽を浴びて輝いている。
「うん。おもちろい。ねぇ? アックシュしゃん。オレってなにいよ?」
「はぁ? 何色って、何色だ? コウタはコウタだよ。サチと同じ黒目黒髪。色白の肌はシリウス似だな」
「えっ? みんなといっちょ? でも、アックシュしゃんのおめめはあかとみどいだよ?」
ことりと首を傾げるコウタがあまりにもかわいらしいので、アックスことアレキサンドリウスは剣を空間収納にしまって、草の上に寝転んだ。
ゆっくりと薄雲が流れ、ピピリリとソラが鳥と戯れている。
「まぁ、そうだなぁ。確かに見え方は人によって違うが……。お前が言うみたいな違いじゃねぇんだよ」
「オエみたいなちがい?」
まだ舌っ足らずな言葉に、アックスはじっとソラを見たままだ。そして真っ直ぐに手を伸ばす。
「きれいな空だろう? お前はどう見える?」
再びことりと首を傾げたコウタの気配を、アックスはただ無表情に感じ取った。
「お空? ソラ、たのしそうらねー。きもちよさそう。 うすいみじゅ色の たのしくて優しいいそら。うふふふ」
仰向けに寝返ってアックスと同じように手を伸ばすコウタは、うっとり目を細めてにっこり笑った。
「だよな? 俺も一緒だ。だけど、楽しいだけじゃない。やるぞって気持ちと出来るか?って不安な気持ちになんだよ。 わっ! ちけーって! びっくりした」
アックスの顔をのぞき込み、まるでキスをするかのように近づいた幼児を慌てて遠ざける。起き上がったそのままに胸を押さえて動悸を確認するアックス。
「ふあんになゆの?」
心配げなコウタの艶やかな髪をかき混ぜたアックスは、ただ空に向かって伸びる岩肌の頂をじっと見た。ピチチ、チチチチと鳥のさえずりに我に返った。
「まあな。魔物とか魔王とかさ、駄目なら駄目で俺一人のことだろう? だけど、今回はお前達の未来だかなら、しくじる訳にはいかねぇ。まぁ、不安も悪いことばっかじゃねぇんだぞ? 不安がありゃ、慎重になる。慎重になりゃ隙がなくなり、しくじらんくなる。そして、勇気も貰えるんだ。」
「ゆうち?」
コウタが三度首をかしげたので、アックスはあまりのかわいらしさと可笑しさでぷっと吹き出した。
「人によって感じ方が違うように、見え方だって違うってことだ。ガキが難しいこと考えんじゃねーよ」
一息でまくし立てたアックスはコウタを宙に放り投げると、きゃきゃと笑う間にしっかりと受け止めて抱きしめた。そして、フェンリルのタロウを呼び寄せると、麓の母親のもとまで競争させる。
運命の日まであと一年。とてとてと転びそうに走りだす幼子を、じっと眼に焼き付けていた。
■■■■
「あ……アックシュ、しゃん・・・」
懐かしい夢でぼんやりと目を開けた。見慣れぬ寝具に気付き、しらず涙が零れた。
!!!!
「う、うわあああ」
気色の悪い頬の感覚。 悪寒が走り、慌てて飛び退くと、クロームが舌なめずりをして笑っていた。
「はははは。君の涙は魔力入りだ。美味いぞ。遠慮無く泣くといい」
く、悔しい。逃げ出す手筈も、やっつける方法も思いつかない。ただ、好き勝手に魔力を吸われるだけだ。逃げたい。逃げたい。だけど、どうしたら?
全力で睨み付けて歯ぎしりをするままに、縦ロールのメイドマンが身体を持ち上げてクローゼットまで攫っていった。上質なリボンにぐるぐる巻きにされた王子様スタイル。頭のてっぺんから足の先まで閣下に支配されるようで悔しくてたまらない。
今日も閣下は俺を連れ回す。今日は北の地区で農業や酪農を見せたいらしい。閣下に抱かれるのがどうしても嫌だったので、縦ロールのメイドマンに纏わり付く。すると閣下と一緒に彼(?)が同行することになった。外に行くときはかっちりとした男性スーツなのだけれど、髪だけは後ろにひとまとめだ。
閣下と離れれば魔法が使える! そう息巻いたけれど思い通りには行かない。オレは誘拐されたときと同じように魔力を吸う魔石を身につけさせられた。そして閣下の腕には大きな魔石のリングが見える。この石は対になっていて、吸い込んだ魔力を閣下に吐き出す物の様だった。それに強制的に魔力を吸い込まれていくので、悪魔の首飾りのように疲れてしまう。魔力を吸う量が増えたのか? それとも効率が悪いのか? いずれにしてもオレも長くは持たない。メイドマンには悪いけれど、閣下よりは逃げやすい。隙を見て逃げるんだ。
町外れの大きな店で昼食を食べているときに、チャンスがやってきた。閣下が憲兵に呼ばれて席を外すという。オレとメイドマンで次の予定の貴族の家に先に行くことになった。ソラと目を合わす。道中で魔石を壊してソラに乗り込む。 魔石を壊すほどに魔力を使えば、この前のプルちゃんと同じく魔力切れになる。でも、元気を取り戻したソラならば多少の追撃もいなして逃げることが出来る。犯人一味を捕まえることは難しくなるかもしれないけれど、オレの証言さえあればきっと調査だけはしれもらえる筈だ。
機嫌良く憲兵が用意した馬車に乗り込む閣下。オレはメイドマンに抱かれて見送った。馬車が見えなくなったら、メイドマンが動いたらその隙に。一気に魔力が放出できるようにお腹の底で魔力をため始めた。なのに……
「じゃあ、キルギル子爵とバッドン伯爵に丁寧に挨拶をさせたらすぐに屋敷に戻るのだ」
そうメイドマンにことづけたあと、閣下は少しだけ考えて嬉しそうに高笑った。
「ははははは。 やはり止めよう。真っ直ぐ屋敷に向かってくれ。とびきりの褒美を坊主にやらねばならん。あいつらは後回した」
「えっ?! !!!!」
オレは驚いてメイドマンの腕から転げ落ちそうになった。
機嫌の良い閣下。全ての予定を変更してオレを屋敷に帰す理由。わざわざ褒美と言った。まさか?! まさか?! ディック様?
今、まさに逃げようとしたその気持ちが、ガラガラと音をたてて崩れていく。ディック様が来た? まさか掴まった? 確かめなくては。
オレの不安を察して、ソラがぺたりと頬に羽をつけてきた。ふわふわでやわやわで固い。
『コウタ、慎重に』
ソラの気遣いが伝わってくる。逃げるにしても対峙するにしても、オレが逃げられるチャンスは少ない。失敗すれば、オレも赤い風呂の液体と化す。どうすればいいのか判断がつかない。
ごくりと飲み込んだつばが、ずっと喉を塞いしまったかのように、全身がからからに干からびたように、オレは力なくメイドマンに身体を預けた。




