232 サンリオール領 キティアの町
「閣下、おはようございまーす」
勢いよく発せられたダミ声で、オレはベッドからストンと転げ落ちた。どこからが夢でどこからが現実? 昨晩は気付かなかった館の異質さが突きつけられた。
艶のあるブラウンの髪が美しい縦ロールを巻いている。エプロンの下は素肌。たくましい筋肉と真っ白なふんどし。膝まである革ブーツの乙女を装っているメイドさんはどう見ても男性だ。あちらのメイドさんもショートボブの裸エプロン。細い腰つきで小指を立てた仕草は華奢な乙女を思わせるけれど、不自然なまでに甲高くした声と喉仏に唖然とする。閣下の側近やオレ付きのメイドさんはみんな一様に同じ格好をしている。昨晩、うっとりと陶酔しながらディック様のことを物語る閣下を思い出し、この館で過ごすなんてと絶望的な気分に陥った。
サーシャ様が好きであろうふわふわの白ブラウスに王子様然としたカボチャパンツ、ハーフ丈のぴったりとした革靴に着替えさせられたオレは、メイドマンズにうっとりとハートを飛ばされる。ソラもフリフリのレースのリボンをあしらわれ、カラフルな花かごに乗せられた。閣下はずっと上機嫌で朝食を食べるとそそくさと外出の準備をした。
「ついてきたまえ」
閣下について行くと、屋根の無い黒光りする馬車に乗せられた。さすがに人目の多い場所ではメイドマンズは紳士な服装でほっとする。長いエントランスを抜けて跳開橋を渡ると坂の下の赤茶けた屋根瓦がたくさん見えた。
「わぁ!」
閣下の許可を得てソラを放つ。迫るコーベダ山の麓に赤茶けた屋根と白い壁の町並み、周囲をぐるりと囲む麦畑、遠くに黒く見える針葉樹の森、真っ青な空と白くけぶる海が見えた。緩やかな坂を下るほどに近づく建物は高級な石造りからレンガや木造りなど身分や財に応じて移り変わって行くけれど、徐々に統一された装飾に工夫が凝らされて賑わいを増していく。
「 おはようございます。クローム様。ご視察ですか?」
「 クローム様、今朝のパンは格別に美味く焼けました。お持ちください」
屋台の店主が、商店の女将さんが馬車を見て駆け寄ってきた。きゃあきゃあと笑い声を上げて子ども達も駆け寄ってくる。
「クローム様! この子だあれ?」
「ははは。綺麗な子だろう? 賢いんだ。仲良くしてやってくれよ」
目を細めて頭を撫でる閣下に違和感を覚える。みんなから慕われている? 子ども達も寄ってくる。柔らかな笑顔、慈しむ言葉。昨夜の話は嘘だったのだろうか? まるでモルケル村のディック様みたいにたくさんの人垣ができている。
表面的なものかもしれないが、王都で見たスラムのような荒れた気配がない。どこもかしこも清潔な町並み。下働きだろう子どもも、汚れ仕事をするだろう人もそれなりに身なりが整っている。
執事さんのようにカチリとしたスーツに身を包んだ側近さんが、裏通りに行くかと聞いてきた。どうしてオレに? こくりと頷くと、馬車は狭い道に進み始める。
「此方からは徒歩でございます。大丈夫ですか?」
硬い手を差し出した側近さんに従って馬車を降りる。後方で馬を預けた護衛だろう人も二人ほど降りて近づいてきた。分かれ道になるとどちらに行きたいか確認され、オレが選んだ道をゆっくりと歩みを進める。表通りよりも確かに薄汚れては来たけれど、汚れて疲れ切った人はいない。オレ達に気付いて手を振る人もいれば、薄い木戸から花を差し出す人もいて、全てに正しき治世が行き渡っているように感じた。
「うわああ!」
「リック! まぁ、クローム様!」
路地を歩いていると十才くらいの少年が飛び出してきた。オレはぶつかって尻餅をついてしまった。
「ご、ごめんなさい」
側近さんに抱き起こされたオレは、とっさに謝った。悪いのはオレ達だ。彼は自分の家から出てきただけなのだから。けれど、リックと呼ばれた少年とお姉さんだろう女性は地に額を擦りつけて平謝りだ。
「申し訳ございません。二度と出会い頭でぶつかることがないように気をつけさせます。どうか、どうかお許しを」
「も、申し訳ありません。僕が僕が悪いのです。以後、十分気をつけますので、なにとぞお許しください」
ぶるぶる震えている。クロームは貴族なのだ。平民は、たとえ貴族が悪くても理不尽な仕打ちを受けがち。オレは全力でクローム閣下に頼んだ。
「お、オレがボンヤリしていたんです! オレは大丈夫だから、閣下、罰を与えないで!」
すると、閣下はにこやかに笑って穏やかに言った。
「リック、といったか? 君は大丈夫なのか? ならよかった。 君たちは今から作法を学び直すというのだね。ならば後で城に来るように。 これも何かの縁だ。 馳走の後、メイドに作法を学ぶといい」
「「も、申し訳ありません」」
ひれ伏した二人を護衛さんたちが柔らかく起こすと、閣下は声を出して笑った。
「ははははは。君たちのおかげで、私は最愛の亜子から願いごとをされてしまったよ。嬉しいことだ。では、後で城で会おう」
二人はずっとずっと頭を下げていた。オレは理不尽な罰がくだらなくてほっとした。何かの縁だと、ご馳走をすると言った。そんな優しさがきっとみんなに慕われている。閣下の姿は本物だ。きっと昨晩の話は閣下がオレをからかったのだと思うことにした。
路地を抜ければ再び馬車が待っていて、それに乗り込む。ならされた道をガラガラと進めば、子ども達が駆けながらついてくる。
「ははは。楽しそうだ。君も早く馴染むといい。彼らとも友好を深めてくれたまえ」
民衆に手を振る閣下。目を細めて楽しむ姿に、オレは少しだけ警戒を解いた。
閣下の名はクローム・サンリオール。ここは領都のキティアという町であることが分かった。サースポートのように大きな町なのに、周囲は穏やかな麦畑。王都のような堅強な城壁はなく、町並みに合わせた茶色と白の簡易な柵。ドラゴンが住むというコーベダ山の麓であり、山脈と呼ばれる高い山々が自然の城壁となっているから、大抵の魔物は山を下りた辺りで討伐されると側近さんが言った。
幾つかの商店を回って、昼食は町の入り口近くの高級店に入る。三階のテラス席から真っ白な城が美しく輝いていた。閣下は城を見上げながら赤いワインを空に掲げる。
「美しい町だろう? 民達も私の趣向を周知してくれてね、皆、勤勉によく働くのだよ」
「あの、その。閣下はみんなから親しまれているように感じました」
違和感を表情に出したまま答えると、閣下は満足そうに頷いた。
「当然だ。私はね、君の義父と肩を並べるために頑張ってきたのだよ。どこを見ても、誰が来ても、この町を素晴らしいと思うように務めてきた。みな、よく理解してくれてね。さぁ、我が城と町を眺めながら頂こうじゃないか」
透けるほどに薄く飾り切りにされた野菜サラダ。バラのように盛り付けられたステーキを色とりどりのソースで食す。美味しい。小食のオレでも食べやすく、そして見た目が美しく出された食事に満足する。ソラのためのミルクやフルーツも潤沢に用意されている。
昼食の後、城に向かって再び馬車を走らせると「ボスト商店」という大きな看板が掲げられた店があった。店先にはたくさんの食べ物が並べられ、奥には服飾や食器が並べられていて、何でも屋のようだ。馬車が止まると奥から何人もの人が揉み手をしながら近づき、側近さんたちにご用を聞きにきた。鋭い目つきでオレを睨んだのはボストさんで、怖い顔をしつつも唇に指を一本あてて、牽制をしてきた。オレは馬車から頭を引っ込める。この店は奴隷商の元締めで誘拐犯とつながっているんだ。そのことをわざわざオレに知らしめるために閣下は此処に寄った。顔は割れている、逃げるなよとでも言うように。
城に帰る間、オレはずっと考えていた。閣下がこの町を見せた理由。
人々に慕われ、みんなに優しく接していた閣下。隅々まで清潔で賑やかで温かな町。奴隷商から買ったオレを隠すどころか皆に紹介するかのように連れ歩いた。上質な服と漆黒の髪と目のオレはただでさえ目立つ。おそらく今日で町のみんなはオレが閣下直属の関係者だと認識しただろう。
「 町中で見張っている。逃げられるものなら逃げてみよ。それとも、助けを呼ぶか? お前は私から逃れることはできない。さぁ、呼ぶのだ。お前の大切な人を。我が元に……」
無言のメッセージを突きつけられたオレは、悔しくて唇を噛む。
ここで、ディック様達がオレを連れ戻すために閣下に挑んだら、町中の人から抵抗されるだろう。そう、まるで反逆者のように。
人さらいや奴隷商の元にたどり着いたのに、そこから為す術が無い。そして、昨晩ゆっくりと眠れなかったオレの意識は、馬車の揺れに深く深く吸い込まれていった。
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