231 悦(えつ)
「転移か?」
ぎくり!
言い当てられた驚きと逃げ場のない焦燥感で動けなくなる。どうして転移だって分かった? どうして魔法が発動しないの? じりじりと閣下の大きな身体がオレを押しつぶす。はだけた服から冒険者プレートが露わになった。不味い!
閣下は、男の人なのに細身の指でオレの唇をなぞると、頬をピタリとくっつけて笑った。
「あぁ、満足だ。これは酔いそうな魔力だなぁ。くくくく。私もね、こう見えていろいろと経験をしているのだよ。そして、調べてもいる。いろいろとね」
意味深な言葉を残して、閣下は窓辺に立った。窓辺といっても、高い場所にある明かり取りのような細窓。オレならともかく、大人の人が入れるような大きさでない。豪奢な部屋なのに牢獄のような閉塞感だ。閣下は窓の星光りにグラスをかざして悦に入る。
「私はね、君がこうして私のもとに来ることを何日も何日も焦がれていたのだよ。知っているかい?」
いや、そんなこと知らないから! えぇ? ということは、オレを狙って誘拐したっていうこと? 王都での誘拐なら分かるけど、オレが誘拐されたのはセントからの休憩所。そこを意図して狙ったっていうこと? そう思い至ると、ずっと標的にされていた恐ろしさで全身の血の気が引いた。真意を問いたくて閣下を見上げると、含み笑いをした閣下の瞳がずっと細く弧を描く。
「ははは。そんなに怖い顔をしないでおくれ。今回、君が手に入ったのは偶然だ。君と出会うのは随分先だと思っていたからね。まるで女神の導きのようで、あぁ、心が躍る。いいねぇ、その顔。人が苦しみもがく顔もたまらないが、汚れ無き幼子が私を恐れる様はなんとも得がたいものだねぇ」
ダンスを踊るようにくるりくるりと回転をして、ベッドの前に傅いた閣下は、あっけにとられているオレを再びベッドに押し込んで、ディック様がするような不器用な手つきでとんとんと胸を叩き、くしゃくしゃと髪をかき混ぜながら話を始めた。
ディック様にはお兄さんがいた。お兄さんが領を継いだことで、ディック様は自由な冒険者になれたのだ。でも、そのお兄さんは若くして亡くなった。お兄さんとお嫁さん、そしてディック様のお父さんが乗った馬車が賊に襲われて、亡くなってしまった。
閣下はディック様のお兄さんと同級生だった。歳の離れたお兄さんが連れてきた弟のディック様を見て、その雄々しさと剣の才能に惚れたと言っていた。家族ぐるみの付きあいをしていたが、ディック様が冒険者として旅立つと会えない寂しさが募ったらしい。そして――――――――
「せっかく領主にさせてあげたのに、あの方ったら我が領と協定を結ばないどころか距離を置くようになってしまってね。分かるかい? 愛しい者から引き裂かれるこの胸の痛みが………。分からないだろう? 君は幼い。ただ親に恋い焦がれるだけのものでは無いのだよ。美しき者が、美しき仕草が、己の目の届かぬところに行ってしまった悲しみは、本人にしか分からないのさ」
首にかけられた手に力が入った。ソラが慌てて激しく突いてくれたので、咳き込むくらいで大事にはならなかったけれど、確かにこの人は危険な人だと確認することができた。
ディック様が数々の武勲を立てる度に王都に出向き、社交で繋がりを取り戻したいと考えた。でも、ディック様は王都嫌い。王都に赴くことも少なく、社交などするはずもなく。閣下は涙を流しながら悔しかった窮状をオレに吐き出していく。
「私には武の才も学の才もなくてね。できることはただ信仰を深めることだった。幸い、我が領の山脈を越えたところに帝国につながる海路がある。それを利用して信仰を深めることにしたんだ」
信仰を深めるって、どういうことだろう? 教会のように祈りを捧げるのとは違うのだろうか? 疑問に思ったところで目が合った。赤い目だ。
「教会で祈って願いが叶うのであれば、とうに叶えられたさ。司祭以上に私は祈ったからね。だが、現実は違った。祈っても寄付をしても、そう、教会をまるごと保護したってね、あの方は此方を向いてくれない。だが、帝国の禁忌とされる祈りを捧げたとたん、なんと会えたのだよ。美しき青年に。かの人と出会った頃を彷彿とさせる青年。憎らしい金髪女の気配では無く、あの方の血を色濃く受け継いだ容姿。わかるかい? 私は嬉しくてね、震えたよ。まぁ、あの雌狐の血が入っているかと思うと虫唾が走るが……。美しき姿はそれすらも打ち消してしまう」
高揚した閣下は思い出したように空をまさぐった。でも、その後はオレを後ろ手に拘束し、頭を布団に押しつけた。痛くて呼吸もままならないけれど、話を聞けばそれどころではない。恐ろしい悪魔のような話だった。
アイファ兄さん達の『砦の有志』がこの地を訪れた。領主の権限で謁見を設定し城に招いたが、兄さん達は拒否をし、足早にこの地を去ってしまった。閣下は信仰が足りないと女子どもを攫い、奴隷を買い、その生き血に身体を浸したのだ。信仰の神に捧げる贄として。願いを叶えるエネルギーを取り込むために。何年も何年も。
だが、その願いを成就するときが来たと悟ったのは数ヶ月前だった。悪魔が閣下をねぎらい、力を与えてくれたのだという。魔力を吸えば願いが早く叶う。清い血で染められた身体に魔力を纏えば、叶わぬ願いは無いと。
しばらくして、エンデアベルトに流れ着いた子どもが領主に気に入られたとの噂が流れた。閣下はその子を手に入れればディック様も手に入るのだと確信をし、オレについての調査を始めたのだと言う。オレはディック様をおびき寄せる材料。それから閣下はオレを迎えるべく準備を静かに推し進めていたそうだ。
「だが、君がこんなに美しい子だとは知らなかったよ。噂以上。そして能力もすばらしい。大丈夫、簡単には殺しはしない。君はきっと何か策をもっているのだろう? 私とあの方を結びつける策を。できることならばあの青年とも巡り合わせておくれ」
身の毛もよだつような生け贄の話。悪魔との契約の話。そして、ディック様とオレを迎え入れるための準備の話。閣下はただひたすらに己の欲を包み隠すことをしないで話して聞かせた。どこまでが策略でどこからが無自覚なのか?
いつしか閣下はオレの隣で規則正しい寝息を立てていた。オレはソラを抱きしめて、ただただ震えた。駄目だ。ディック様達は呼べない。魔法もアイツに吸い取られてしまう。どうしたらいい? どうしたらいい?
煌々と光るシャンデリアの輝きを呆然と眺めて、オレは一睡もできずに朝を迎えたのだった。




