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230 本命


 今度の馬車は凄く豪華な馬車だった。外も内もたくさんの装飾が施されていて、馬さんまでぴっかぴかに飾られている。パレードの馬車の屋根をつけたみたいだった。だけど窓には分厚いカーテンが敷かれていて町並みが見えない。町についたとき、オレはうっかり眠ってしまっていた。今はすでに夜になっているみたいで、外は暗いし、カーテンまであって「閣下」の家がどんなだか全く検討がつかない。暗闇のせいなのか急に心細くなってソラをそっと抱きしめた。


 馬車から降りると幾つもの階段を上るからと、オレはボスに抱っこされる。ジロウがいたら、背中に揺られて心地がいいのに、悪者に抱っこされるなんてと、心中は複雑だった。ボスは慣れていないのか、不安定な抱き方だし、オレも掴まりにくいから何度も落っこちそうになる。しょぼしょぼと落ちそうな瞼とひたすら戦っていた。


 王様の謁見室のようなとびきり派手な大扉を開ける。遠くのテーブルに座っているのが閣下のようだった。顔を隠すように薄布で覆っている。赤茶けた長い髪は三つ編みに結われていて、刺繍の施された重厚な上着を身につけている。いかにも上流貴族であり、品というか格というか、ボス達とは全く違う人種のようだ。


 お館様とボスがうやうやしく挨拶をし、席に着いた。オレはいくらか離れた所に机を準備されたので、同じご馳走が用意されないんじゃないかとドキドキした。でも、きちんとナイフとフォークがあって、スープにパンにサラダにお肉、久しぶりのパスタまであったよ。思った以上のご馳走だったから嬉しかった。何だか随分長いこと、まともな食事をしていなかった気分。やっぱりギトギトして脂っこかったけれど珍しくほとんどを食べきった。

 デザートには何がいいかとメニュー表を見せられたので、ミルクを頼む。ここでもヤギのミルクだったから収納から蜂蜜を出してたっぷり混ぜて飲み干したんだ。



「ふむ。テーブルマナーも身についている。文字も読めるし、おそらく書くこともできるだろう。無詠唱の魔法を使いこなし、聞き分けも良い。この歳でこやつらとまともに話ができる豪胆さ。気に入った。では、こやつに白金貨五十枚を出そう」

「「「ご、五十枚?!」」」


 うとうとしていた頭を打つほどに驚いて目が覚めた。あまりの金額にお館様もボスも抱き合って震えている。金貨の間違いだよね? 思わず立ち上がってしまった。


「何を言う? 今から教育を施す面倒さ、それがないのだから当然だ。 そして、この不思議な鳥もセットなのだろう? この機会を逃せば二度と手に入らない。こんなチャンスを逃す馬鹿はいないぞ? 不服なら、言い値でも構わん。いくらなら妥当だと思うのだ?」

「「 いいえ、いいえ。滅相もございません。白金貨五十枚で! それでお願いいたします」」


 床にひれ伏した二人の上に、使用人さんたちがチャラチャラと白金貨を降り注いだ。


「真にあるか確かめよ。足りなければ申しつければいい。では、こやつは儂がいただいていく」


 ひょいと抱きかかえられた腕から覗いた瞳。赤く染まっていた。ぞくり! いつか感じた怖い気配。さっきまでなんとも無かったのに。



■■■■


 小さなシャンデリアが幾つも吊り下げられた大きな部屋。一つ一つがキラキラと光って、星屑みたいだ。壁には肖像画がたくさん。どれも女の人が描かれていて、やはりきらびやかな宝石付きの額に納められている。猫足の上質なテーブルセットにソファー。分厚い絨毯は濃紫色で何の変哲もないものだけれど天井には金糸や銀糸でたくさんの刺繍が施されている。品がありつつも限りなく贅沢に作られているのが分かる。


 オレはとっても大きいベッドの端に座らされた。閣下と呼ばれる人は白銀の細工がされた家具に上着を納めてから、やはり切り子細工の豪華なグラスにお酒を注いだ。長い赤毛に白髪が交じっている。顔の覆いを取れば、シワが刻まれたロマングレー。執事のセガさんくらい、年配のような気がした。


「食事は口にあったかね」

「あ、あの、はい。おいしかったで、す」

 想定外の質問に困惑する。今回、オレの誘拐ではこの人が一番の権力者だろう。外国に行くわけにも行かないので、ここで時間を稼いで救助を待つ。合図をすればきっとディック様達が助けに来てくれる。助けに来られなくても、オレがなんとかしてこの人達が悪い人だと周囲に知らしめなくてはいけない。でも……本当に悪い人なのか? さっきの怖い気配が今はない。


「君、夕食は何が美味かった? また次に用意させよう」

「あ、あの、パスタが嬉しかったです。久しぶりだったから」

 そう言うと、閣下はグラスをサイドボードにおいて、オレの横に座った。


「パスタかい? あれは私も初めてでね。古文書のイラストをもとに再現したのだが……。そうか、久しぶりだったか。だとしたら、あれで正解だってことだな?」

 穏やかな口調。さっき見た赤い瞳ではなくニコルのようなオレンジの瞳。オレは聞かれることに慎重に答えた。言いたくないことや知られたら困ることを巧みに避けて。



「ふふふ。やはり賢い。コウタ、と言ったね。私はね、君の義父、ディック・エンデアベルトのことをよく知っている。安心したまえ」

 驚いて顔を上げる。ディック様のことを知っている人がオレを買ったの? オレがディック様の養子だって知っていて? それは……、それはどういうことなんだろう。


「くくく。私はね、彼を尊敬しているんだよ。太陽の下で生まれたような逞しさ。混じり気の無い正義の名の下に戦う勇猛さ。美しい貴族服をまとわせ、髪を丁寧に櫛づければ、雄々しい薄茶の瞳が牙を抜かれたワイバーンのように落ち着きを無くしてね、そのギャップがたまらなく美しいのだ。そう思わないか?」

 天井を見上げて陶酔したように話す仕草に違和感を覚えた。好きなのか? 好きでないのか分からない。


「君は、彼の好みなのか? 間違いなく奥方の好みではあるが。美しい髪。フリンジのように繊細で張りがあり、艶めいているな。柔らかい白い肌も、それでいて血色はよく健康そうで。うん、見るからに美味そうだ」

 嬉しそうにちょっとだけ舌を出した顔にぞくりと悪寒が走った。フ・リ・オ・サに似ている。オレの手を取って頬を擦りつけてきた。髪に、耳に、うなじに。細い指がシャツのボタンを外し、押し倒されたオレの身体が柔らかな布団に包み込まれていく。


 怖い! 怖い! 駄目だ! 嫌だ!


 思い切り身体をのけぞらせて、閣下の腕から飛び出した。でも、閣下の力は強くて、放った足を掴まれてしまった。逃げよう! 一刻も早く! 片時もオレから離れないソラと目を合わせてシュンと転移する。転移する。転移する。

 転移する。転移する。転移するけれど……。オレの魔力が何かに吸い取られて発動しない。

 な……ぜ?




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