225 ガタン!
ピクリ!
レイと入れ替わった途端、マリンさんの肩が大きく動いた。ゆっくりと顔を向けるブルーの瞳。オレは安心させるようににっこり笑った。
ガタン!
不意に馬車が止まる。
「おい、なぜ止める?」
「あぁ、気のせいならいいが……違和感だよ。さっきから何度か魔力が……な。まぁ、念のためだ」
御者の声だろうか。ザクザクと草を踏みしめる足音が近づいてくる。
ほどかれた手足の拘束が見つからないように身体をよじり、息を潜めると、荷台の上蓋が大きく開けられた。森が深くなっているのだろう。薄暗い斑の光と木と土のくぐもった香りが広がった。
特段の異常が無いことを確かめた男達は、ちょうどいいと馬を休ませる。オレ達はトイレに行けと起こされ、順番に下ろされる。オレの拘束が解けていたことも、馬車の揺れでほどけたからだと思われ、さほど不審がられなかったのでほっとした。だが、馬車に乗り込むときにオレとマリンさんだけが残された。嫌な予感。 オレ達は猿ぐつわを外された。
不気味な猫なで声。ジロウの前に大きな首飾りみたいな魔道具を置いた男が、優しく、だけど威圧を込めて言う。契約を書き換えろと。何のことか分からない。マリンさんがオレの代わりに答えてくれた。
「無理よ! こんな子どもに何が分かるって言うの!」
「嬢ちゃんよ。だから、お前さんと一緒にさせている。コイツは便利な犬なんだよ。おチビちゃんにはもったいねぇ。俺達が有効活用をしてやるって言うんだ。この魔道具に所有権を移すって言やぁコイツは俺達のもんだ」
「コウタ君! 駄目よ! こんな奴の言うことを聞いては!」
オレよりも激しく抵抗するマリンさん。 男は華奢な首先にナイフを突きつけた。
「馬鹿だなぁ? おチビちゃんもそう思うだろう? 大人しくしていれば怖い思いをしないで済むんだよ? さぁ、その魔道具を持って言うんだ。契約をボストに移すって」
怖い! 嫌だ! ジロウは物じゃ無い。 簡単に言わないで! でも、マリンさんが……。
「あ、あ、い、嫌、でも……」
混乱するオレにジロウが繋がりをたどって語りかけた。
『コウタ! 大丈夫。 僕、そんな魔道具、簡単に壊せるよ。言うことを聞いて大丈夫だよ!』
「そ、そんな?! でも、それでも嫌だ! ジロウは友達だもの。ううん、今は家族なんだもの。契約だとか、手放すとか考えられない」
――――そうだ、主! いい判断だ。そんな女ごときに、意思を曲げる必要は無い!
胸に直接飛び込んできた言葉は、紛れもないマメだ。あぁ、なんでこんな時に、そんな恐ろしいことを言うの? オレは、オレは、マリンさんだって大事なのに。
じゅわじゅわじゅわ。音を立てて金の粒が舞い上がる。怒りの赤い粉を混ぜながら。身体から風が湧き出て渦を作っていく。
「おい、不味いぞ! 魔石はどうした?」
「コイツ! 魔石がねぇぞ! まさか、壊しやがったのか?」
「契約は後だ! おい、魔法使い! 魔石を取り付けろ」
『ウワオーーーーン』
突然、ジロウが大きく遠吠えをした。そして、 驚く犯人らに爪を向け、オレとマリンさんを押し倒して馬車に向かった。
「ジロウ! そっちは駄目だ! 子ども達がいる!」
ーーーーバキバキッ!
荷台の上蓋を踏み抜いたジロウは、勢いそのままに森に向かって走り出した。 どうしちゃったの? どこに行くの? ジロウ! 何があったの?
オレは訳が分からずブルブルと震え始めた。真っ直ぐに前を向いたまま涙がぽたぽたと落ちる。オレとマリンさんはそのまま拘束され、再び馬車の中に。ジロウが上蓋を壊してしまったので、オレと子ども達は荷物の間に押し込められ、再び馬車が走り出した。
どれくらいたったのだろう?
――――ヒヒーン!
ガタン!
虚ろに揺られていると馬のいななきで再び馬車が止められた。大きな揺れに、オレ達は荷物に身体を打ちつけられてしまった。痛い。オレは再びぐしゅぐしゅと泣き出したが、子ども達は食いしばって泣くのを我慢している様子だった。
「た、助けてください。 魔物に襲われて……。なんとか魔物をやり過ごしたのですが、馬がやられてしまったし、道にも迷ってしまって。お願いです! 森を抜けるところまででいいですから、乗せていただけませんか?」
女性の金切り声が聞こえる。こんなところで? しかも誘拐犯の馬車にだなんて。気の毒で恐ろしくって、オレは必死に聞き耳を立てた。
「そ、それはいけません。お連れ様はお子様だけで?」
「いいえ。私だけでございます。従者が命がけで逃がしてくれたのは私です。こんな疫病神、置いていってかまいません。オオカミの餌にでもしてください! 身分は明かせませんが、お礼は必ずさせていただきます。こう見えても一応は名のある貴族でしてよ!」
酷い! 子どもはオオカミの餌にだなんて! なんて人だ!
腹を立ててもどうしようもない。ご婦人はいそいそと馬車に乗り、オレ達の荷台には子どもが放り込まれた。悲しい。悔しい。己の無力感に包まれる。 怪我は無い? 大丈夫? 怖い思いをしたよね? せめて魔力を飛ばして身体の痛みを取ってあげたいけれど、魔石をつけられたオレには出来ることなんかなかった。ただ様子を見守るしかできない。
馬車が動き始めると、投げ込まれた子どもはむくっと起き上がり、大きく顔を振る。ごそごそと動かすだけで猿ぐつわがズルリと落ちた。無表情な銀杯色の瞳。暗くて分からないけれど、薄く白い髪をしている。
!!!
銀灰色の瞳の少年は、表情を変えずに淡々と身体を動かしていく。気付けばあっという間に自由の身だ。ちらとオレを見つめると自由になった指先を唇にあてて、少しだけ口角を上げた。
レイ?! レイだ! さっきまで絶望だったオレの瞳を大きな希望が照らし始めた。




