219 王都 エンデアベルト家では
「ぎゃあああああああああ! た、大変です! 誰か! 誰か! 旦那さまぁ!」
切り裂くようなメイドの叫びに、館中の者がコウタの部屋に集まった。時刻は早朝。いつもなら深い眠りに身を任せている頃。だが、抜け殻になったベッドは既に冷たく、メイドの手にあるのはたった一枚の書き置き。
予感はあったと、ディックは深くため息をついた。だが、なぜ、今なのかと。
顔面蒼白でわなわなと腰を抜かすサーシャ。介抱するメイドもそれに追従する。
慌てふためいておもちゃや本をひっくり返しているクライスは、もはや何をしているのか自覚がない。
二人目を合わせてサーシャやクライスの様子を見守るアイファとキールも、その予兆を感じていたのだろう。
窓を開けてヒュイと口笛を吹くニコルをディックが制した。
「駄目だ。(従魔を)呼ぶな!」
「なっ? だって、チビッ子が……。アイツ、絶対やらかすよ! 面倒なことになる前に……」
終いまで言わず、その腕を持つ手が僅かに震えていることを知ったニコルは、うなだれて窓を閉めた。近づいてきたトリが首を傾げたが、ディックの強い口調で、皆は身体を引きずるようにして食堂に向かった。
「タイト。ニコルと一緒にレイリッチを連れてこい。ニコル、案内を頼む」
食べる気力を失っている皆を横目に、一人ガツガツと食べ進めながら、ディックは端的に命令する。タイトは黙って頭を下げると馬車の用意を託けに出て行った。
いつもなら簡単に済ませる朝食だが、珍しくお代わりの肉を要求し、無心に食らいつく主は、その手を止めないで呟くように言った。
「俺が知っているアイツは、馬鹿みたいに賢いが世間知らずだ。狩りの才も魔法の才も十分にあるくせに、自覚も経験もない。全く使いこなせてねぇ馬鹿な奴なんだよ」
全くらしくなく、ボロボロとこぼれ落ちる涙を隠そうともしない主に、一同はその心中を察し、次々と食事に手を伸ばし始めた。
「そうだな。無鉄砲で無自覚で、何にでも首を突っ込む。そしてトラブルだ。薬草一つ、まともに採って来れねぇ、馬鹿野郎だったな」
言い終わったアイファは大ぶりの肉塊を口いっぱいに頬張って、無心でかみ砕き始めた。
「ぼ、僕が知っているコウタは、ぐすっ、ぐすっ、古代語を操るくせに、簡単な文字の書き間違いも多いし、賢いんだか、お馬鹿さんだか分かんない奴だけど、温かくて、僕の、僕の天使なんだよぉぉぉぉぉぉ」
チーンとメイドに鼻をかんで貰ったクライスは、顔中を涙なのかソースなのか紅茶なのか分からないくらいグショグショに乱れさせて、それでも目一杯パンを口に頬張っている。
「可愛くて、お人形さんよりもリボンもレースも似合って、ちょっと困った顔がいじらしくって。でも、でも、お洋服一つ、普通に仕立てられない、かっこ可愛いポンコツちゃんなのよ。い、今頃、今頃、どっかの誰かに、きっとお可愛らしく飾り付けられていて……。ああ嫌、駄目よ。まだちっちゃいの。賢くても、大人びていても、まだまだ甘えたい赤ちゃんなのに。……」
そこまで言ったサーシャは、おもむろにディックの胸ぐらをつかんで威圧を込めて睨み付けた。
「すぐ、すぐよ! すぐに、早馬を出して! 国中の、いいえ、諸外国まで全てに通達して! コウちゃんを見つけたら懸賞金! 言い値で、言い値で差し上げるって!」
いつものんびりしている母親が、最強とうたわれる父をつるし上げる姿に驚愕する面々だが、その妻を激しく突き放すディックにも酷く驚いた。
「駄目だ! 許さん!」
「「「 な、なんでだよ?! 」」」
皆の気持ちを代弁するかのようにキールが立ち上がった。
「旦那様! 差し出がましいようですが、コウタはトラブルメーカーです。そして世間知らずでもあります。何か起きる前に探し出して連れ戻すべきかと」
「んなもん、分かっている。村ならともかく、アイツが一人でまともに出歩けたことがあるか? ねぇんだよ。 大体、ばっかみたいなやらかしをしてくる」
「じゃぁ、なんで探さねぇ? 前みたいに、悪い奴らに監禁されるかもしれないんだぞ? 今だって無事でいるか……。親父は心配じゃねえのか?」
しばらくの沈黙の後、ディックが吐くように呟いた。
「あいつは、転移を使う。 転移で逃げられたんじゃ、追いつけねぇだろう?」
「で、でも。コウちゃんの転移よ。きっとボロが出る。見つかるわ! 悪い人に魔法を封じられたら……?」
サーシャが食い下がると、クライスがそっと立ち上がった。
「でも、僕たちが見つけたら、また、転移……? そうやって、コウタはどんどん離れて行くんだ……」
皆は瞬時に口をつぐんだ。
ナプキンで口を拭き終えたディックは、扉に向かい、皆に背を向けて話し始めた。
「アイツが行くところなんざ、たかが知れている。お前達だって見当はついているだろう? だが、見つけてどうする? 転移、転移でアイツが見つけた世界を奪っていくのか? 俺は、俺はそんなことはしたくない。 アイツが幸せに自分の道を見つけたんならそれでいい。 あんなんでも冒険者になったんだ。その背を押してやりてぇってのが、ほんのちょっぴりの親心なんだよ」
「ちょっぴりでございますか?」
タイトの嫌みな突っ込みに、キールはディックの逆鱗にふれないかと青くなった。
「お前らが言うとおり、アイツが野に放たれて、無事に済む訳がない。目立っても目立たなくても、誘拐されてもされなくても。アイツがどんなに気をつけてたって、何かをやらかす! アイツはそういう奴なんだよ」
「ディ、ディック様! 酷いです。そこまで言わなくても………。あ、あの、本当のことでございますが」
イチマツが顔を赤らめて涙を拭いている。
「俺は、すっと考えていた。お前達も考えろ。 俺達がアイツを欲するのは、能力か? 見目か? 魔法か? 従魔か? だったらアイツを欲しがった連中と何が違う? たまたま拾って、親に頼まれたから? だからアイツの能力を、アイツ自身を好きにしていいのか? それだってアイツを利用していることにならねぇか?」
「じゃ、じゃあ父上は、コウタが戻ってこなくてもいいっていうの? 嫌だ! 僕は諦めない! 僕は、僕はコウタを………、コウタを………」
目を泳がせながら言葉を探すクライスだけれど、足下がもつれるように言葉が出てこない。クライスはわああああと叫んで机に突っ伏して泣き始めた。
「アイツは、必ずトラブルを起こす?」
悟ったようにアイファが言った。
「ーーーーああ」
その返事は確信に満ちていた。アイファの目が悪戯に輝く。
「アイツは馬鹿だけど、馬鹿じゃねぇ。何が大事か、ちゃんと分かってる。人と関わらずには生きていけねぇ。なら、そいつのために、アイツは必ず騒ぎを起こす。そんとき、アイツが選んでくれりゃ……、俺達を選んでくれりゃ、その時は全力で支える。いいか? 僅かなサインも見逃すな! アイツはきっと俺達を頼る。俺の身体の一部だからな。お前達だってそうだろう? 俺達は また待つんだ。分かったら食え! いつ食いっぱぐれるか分かったもんじゃねぇ」
力強い語尾にメイドや使用人までもが頷いた。コウタは絶対戻ってくる。ここを我が家として、家族として、きっと。誰もがそう信じていた。




