217 暮らし
「わわっ! ご、ごめん」
「ちょっと?! コ、コウタ君?!」
吹っ飛ばされた男達に驚いたオレは、とっさに謝ってしまった。悪いのは明らかにむこうだけれど。でも、痛いよね? 折り重なった男達の山に、あわてて回復をかけに行こうとすると、ジロウに首根っこをくわえられ、そのままマリンさんに渡された。マリンさんたちは、びっくりするほど早足で郊外に駆けていく。あぁ、オレのご飯。遠ざかる屋台に切なさを覚えた。
屋台街を突っ切り、なだらかに坂を下って、さっきの川を上流に向かって歩くとじきに大きな建物が建ち並び始めた。温泉街だ。馬車通りから一本はずれた裏通り。大きな宿屋の奥に小さな古びた小屋があった。
「だたいまー、って誰もいないけどね」
古びた小屋はマリンさんの家で、『きらきら流れ星』の拠点となっている。オレを椅子の上に置くと、戸棚からパンと干し肉を出してくれた。ジルさんは手慣れた様子でスープを温めた。オレは空間収納からチェーリッシュの実を一つかみ出して机に置く。
「はぁ? これ、いつの?」
「えーっと、いつんだろう?」
「待って待って待って! きっとこれ、あたし達の知らない実だから」
そう言って一粒口に放り込んだマリンさんが、机の上に突っ伏してわなわなと震えている。きっと知っている実だったのだろう。もしかして、また、不味いことをしてしまったのだろうかと冷や汗をかく。
「さあ、どうぞ」
ジルさんがカップに水を注いでくれたのを合図にパンに手を伸ばした。硬い。お砂糖をまぶしたパンも硬いけど、これはそれ以上。干し肉もしかり。結局、スープに浸すしかなく、パン粥のようになってしまった。うーん、パン粥だったらチーズが欲しいな。でも、台所を見渡してもチーズがあるような気配がない。昼間でも薄暗いキッチンは小ぶりなテーブルと四客の椅子、小さな釜戸と棚と水瓶が一つずつ。がらんとしている。マリンさんのお母さんは貴族宿の手伝いをしていて、食事は宿の残り物をいただくからキッチンが小さくても何の問題もないと言っていた。
「貴族様には硬いかしら?」
覗き込まれたマリンさんの瞳に、悪いことをしている気持ちになって、オレはここに来たいきさつを正直に話した。貴族ではないこと、拾ってくれた幸せな家から出てきてしまったこと。
「ふーん。コウタ君って案外馬鹿なんだ」
「ちょっと、マリン。コウタ君にも言えない事情ってもんが……」
食べるもの一つ、身につけるもの一つ。オレは本当に恵まれていたんだと改めて思った。山でもディック様のところでも。大切に大切にされてきたから分かる。でも……。知ることができたってことはいいことだとも思う。
庇ってくれたのはジルさんで、食器を片付ける手が忙しく働いている。ぴょんぴょん跳ねる長い三つ編みが踊っているようだ。こくり頷くと、ルビーさんがピンクのふわふわの髪を近づけて柔らかくオレの頭を撫でてくれた。
「まぁ、いいわ。 行こう。 約束だったわよね? 町の案内」
「あっ、うん。お願い、します」
お姉さん達は一度部屋に戻って、武器を置き、普段着に着替えてきた。かわいらしいドレス姿に、オレはポッと顔を赤らめる。館のメイドさんたちはみんなお仕着せで、こんな年頃のお姉さんの普段着は見たことがなかったから。
「あっ、あの、約束の報酬」
また、トラブルに巻き込まれないように大金貨を渡すと、三人は大きく首を横に振った。
「ふぅ。まずは一般常識からね。 とらないから、コウタ君、持っているお金、一枚ずつ見せて」
ごそごそと鞄をまさぐる真似をして、空間収納から一種類ずつのお金を出した。お姉さん達は白金貨を貰うところを見ていたから大丈夫だよね? すると、白金貨と大金貨はしまいなさいと言われた。絶対に出すなって。キールさんのように厳しい目だ。お姉さん達も初めて見たお金だって言うくらいだから相当だ。
「道案内の報酬なら、どんなに多くても銀貨三枚あれば十分。逆にこれ以上請求されたらぼったくりだから!」
そう言って、マリンさんは銀貨を一枚を手にしてオレに確認をし、ルビーさんに渡した。
「コウタ君のおかげで稼がせてもらったから、本当は貰えないんだけど。でも、それじゃぁ、納得しないでしょ? 」
透き通ったブルーの瞳にこくんと頷くと、お金の使い方を教えてくれた。
串焼きは銅貨二枚からで、安い宿なら食事付きで銀貨二枚から。金貨一枚あれば大体どこでもお腹いっぱいに食べられるって聞くと、オレは全然お金の価値が分かっていなかったんだなぁと思う。だけど、服や武器は結構高くて、金貨一枚では難しいものも多い。ちなみに、マリンさんたちが羨望のまなざしで見てくる「魔法が付与されている収納袋」は小さいものでも金貨五十枚は必要なんだって。盗られないように、ってだけでなく収納袋だってバレないようにとも言われた。
カラフルなランタンや風車がセントのお土産の中心。温泉で蒸したお野菜はほっかほか。アクセサリーは魔法に反応すると不味いから遠巻きに見て。オレの服装はアイファ兄さんと薬草採りに行ったあと、見繕って貰った冒険者服だったけれど、それでもまだ目立つみたいだったので、おしゃれなルビーさんが平民服を見繕ってくれた。石を投げて遊んだし、農家で野菜の収穫の手伝いもした。マメはマリンさんを気に入って胸のポケットで休ませてもらったり、ルビーさんがジロウの背に乗ってはしゃいだり。ジルさんに普通の魔法使いの魔法を見せてもらったり。
気がついたら辺りが暗くなりかけて、セントらしいランタンが美しく彩り始めていた。
「あの坂を下ってきたんだ」
ランタンを目当てに宿に行く馬車が行列を作っている。いつかみた光景を川沿いから見上げると、マリンさんが優しく笑いかけた。
「金をくれないなら女をよこせ、なんてジュドーは馬鹿でしょう? あんなんでも、昔は優しかったのよ」
ジュドーというのは棍棒を持った噴水頭の人のことだ。マリンさんは隣で膝を抱えて一緒に谷の上を見上げている。同じ基礎学校の先輩後輩で、よく面倒を見てくれていたこと。冒険者の仕事がうまくいかなくてだんだん悪い人たちと居ることが多くなったこと。懐かしそうに、残念そうに話してくれた。
「友達を引き取ってくれないなら家出する、って言うのと同じね」
突き出した唇に力を入れて、オレは素直にこくんと頷いた。そしてとっても恥ずかしくなった。
村を立って、馬車の中から谷を見下ろしたとき、こんな風に一人で見上げる日がくるなんて思わなかった。クライス兄さんと見上げた星も、とびきり美しい朝焼けも思い出して、くじけそうになったからぎゅっと目をつむった。
「そんなに早く大きくなるなって、きっとコウタ君のご家族は思っているはずよ」
くしゅくしゅとかき混ぜられた髪の感触が、いつもと違う。サーシャ様でもなく、ミルカでもなく。同じ女の人なのにと、さみしくなって、ぐしゅと鼻水がでてきた。
「さぁ、帰ろっか? 今日は私たちのベッドでいいかしら? 明日のことは明日考える。でも、冒険者だから朝は早いのよ」
マリンさん、ルビーさん、ジルさんの三人は代わる代わるオレを励ましつつ拠点に戻る。拠点では、マリンさんのお母さんが夕食を準備してくれていて。宿の残り物だと言いつつ、お肉や野菜いっぱいのスープをたくさんごちそうになった。恒例の、スープに顔ポチャがあったか?なんて、気づいたら朝だったオレには分かるはずが無いけれど。




