211 危険な子ども
ガタン!
大きな揺れに、頭と背中を思い切りぶつけた。痛くて痺れる。馬車が急停車をしたようだった。
「ここなら、不慮の事故って誤魔化せる。門は既に開いているな。いいか? ちゃんと顔が潰れているか確認するんだぞ? 上手く出来てなけりゃ、火をつけろ」
野太い低い声の後、馬車の扉が開く音がした。車内が静かになった瞬間、座面をあげるために身体を起こそうとしたけれど、重くてびくともしない。頭と肩をぐっと押しつけてもカタとも動かない。鍵がかかっているのかも。でも、急がないと! あの子が、女の子が殺されてしまう。
気配を! 気配を探るんだ。馬車の外の気配。レイの気配は分かる。すごく大きいのはきっと馬。二頭立てだ。大男は多分ここで……いた! 小さな気配。きっとこれが女の子。オレが小さな点を捉えたとたん、大きな点がそこから離れた。
「ブルルル」
激しい馬のいななきが聞こえる。 不味い! このままだと、あの子は轢かれてしまう!
ーーーーシュン
「なっ?」
「はぁ?」
「ま、間に合わん」
「コ、コウタ!」
小さな点を弾き飛ばすように転移したオレは、そのまま向かってくる馬車を睨み付けた。轢くなら轢け! あの子は、あの子は、きっとレイが守ってくれる。
意図しないオレの動きに驚いた馬が、前足をあげて大きくのけぞった。横転する馬車に大きな魔力を感じ、激しい光と爆発や衝突が入り交じった激音が轟いて……。オレは気を失った。
ーーーーレイは、大丈夫だろうか? 女の子はどうなった?
ああ、ディック様への伝言ができなかった。
ごめん、レイ。
オレは、だれも助けられなかっ……た、か、も……
「コウタ! コウタ!」
「しっかり! コウちゃん!」
遠くに感じた幻が徐々に実体化するように、少しずつ大きくなる悲鳴のような声で、オレは目を覚ました。見覚えのある天井と、温かくて大好きな家族のぬくもりにほっとして、再び瞼を閉じる。
火照った身体をひんやりと冷やす風。張り付いた髪を優しく櫛づける柔らかな指先。身体中の緊張を解いて、湯船につかったときのように思い切り手足を伸ばす。なんと気持ちがいいのだろう。心も身体も満たされる穏やかさ。オレはゆっくりと瞼を押し上げた。
薄暗い部屋に柔らかなランタンの光が、オレの大好きな人をオレンジ色に染めていて。その人がもじゃもじゃに伸びきったひげで頬を擦りあげるから、ほら、オレは無意識でも笑ってしまう。
「く、くすぐったい! 痛いってば! おひげ、おひげが痛いから」
クスクスと零れる笑みを愛おしそうに拾い上げる大きな瞳は、だたゆっくりと細く弧を描くと、温かく大きな手の平がオレの背を包んでその胸に抱き寄せた。
「痛いところは……ないか?」
ただその一言で、オレは全てを察して思い切り泣いた。わんわんとぐしゅぐしゅと。守られた安心感と、そこに心から心配をした友の顔があったから。
■■■■
ポトリ、ポトリ。
いつもよりたくさんのベリーが入った牛乳は、王都の東の農場から朝一番に届けられた高級品。痛いところはないけれど、母上に抱かれたそのままに、こくりこくりと飲み干したオレは、ちょっと恥ずかしげに、だけど心地よく笑ったのだった。
プルちゃんが弱りきったソラとジロウをエンデアベルト家に運んだことで、ディック様達はオレに起きた出来事を早々に把握してくれた。もともとレイを送ったことで調査の手を入れていた孤児院のこと。あっという間に制圧し、オレもレイも女の子も、そして孤児院の子ども達も無事に救って貰うことができた。あの光と爆音はオレを救うためのものだったなんて! オレよりも激しくおいおいと泣きわめいたクライス兄さんが、今もハンカチを両手に持って、涙ながらに話して聞かせてくれた。ソラもうれしそうにオレに頬ずりをしたよ。(ジロウだけは未だに苦しんでいるんだって。早く会わせてほしいな)
あの女の子は、見目がいいからとサーシャ様のツテで貴族の下働きとして引き取って貰うことになった。孤児院の子らも、王都の別の地区の孤児院や貴族、商家に「必ず正当な教育を受けさせる」という約束で引き取られるそうだ。
「あの……、レ、レイは?」
「ん? ああ、レイは別だ」
含みあるディック様の言葉に、オレはドキリとする。レイは引き取られないの? オレ、レイと一緒にいたい。もし、できるなら、できることなら、この家で………。喉の奥から、そう叫びたくなった時、アイファ兄さんがレイに短剣を渡した。
「見た方が早い。 レイリッチ。ちょっと付き合え」
柄から出した鋭く磨かれた刃を確認したレイは、こくりと頷き、アイファ兄さんの後を黙ってついて行った。オレ達も後を追う。着いた先は裏庭で、私兵やみんなが訓練に使っている場所だ。低い石壁に囲まれた場所で、兄さんは長剣の木刀を出した。
「何でもありだ。俺に土をつけろ!」
切っ先をレイに向けて声を上げた兄さんを、レイはじっとりと銀灰色の瞳を向ける。
次の瞬間、一直線に飛び出した少年を、兄さんの木刀が弾き飛ばした。
シュタッ!
石壁に片足をつけて衝撃を和らげたレイは、そのまま踵を返して兄さんの足下に突っ込む。
ーーーーガッ!
パン! パン!
鈍い音で、そがれた木剣の小さな破片が舞う。そして、乾いた音と共に白煙が兄さんの胸の辺りで広がった。 が、いつの間にか地面に転がされたレイの首横に、兄さんの剣が押し込めている。
「ーーくっ」
「この程度じゃねぇよな? お前、意図ってもんが分かるか?」
たきつけられたレイは、小さな肢体を柔らかく翻して走り出す。地面を、壁を、再び地面を。ぐるぐると回り続けたその先で、兄さんが剣を大きく振り上げた。
ーーパチン!
張り巡らされた透明の糸が、その姿を現し、レイを宙に放り出して切れた。ーーが、ニヤリと轢いた唇に兄さんが振り返る。
ザクッ!
ーーーーーーベシャッ!
オレの直ぐ目の前で、おどろおどろしい色の塊が真っ二つに切られ、地面で潰れた。
「息、止めろ!」
シャァーーーーー!
兄さんがマントをはためかせて高速で走り抜ける。そして、持ち上げたレイを石壁に押しつけ、手投剣で固定させてオレを見た。
「……こう言うことだ」
みんなは頷く。だけどオレはさっぱり分からない。キョトンとする。仕方が無いとでも言うように、ニコルが解説をしてくれた。
レイが最後に放ったのは毒蜘蛛。兄さんとの戦闘に毒蜘蛛を、しかもオレに向けて放った。蜘蛛には別の仕掛けがあり、身体を潰されると霧状の毒を噴霧して周りの空気を汚染する。対して強い毒ではなく、身体が痺れる程度のものだけれど、関係がない者を巻き込む行為で、通常の戦いでは禁忌行為だ。レイが教え込まれた戦い方は、まっとうな騎士や魔物に対する戦い方でなく、人を貶めるための、裏社会で生き残るための戦い方らしい。
「人には身の程がある。アイファに正面から挑む度胸がある奴を、これほどまでに仕込まれた奴を、俺達が近くに置くことはできん、ということだ。レイリッチはお前と住む世界が違いすぎる。コイツは、コイツで生きていく。それが、コイツのためになる」
ディック様の言葉に、オレは反論も懇願もすることができなかった。
レイは危険?
そう言われても、納得ができない。どうしてオレはこんなにレイにこだわるんだろう? でも、だけど、だから……。レイが危険に染まりきる前に、ディック様たちなら何とか出来るんじゃないのか? レイを、レイをまっとうな人として、幸せな暮らしに導けるんじゃないだろうか?




