205 やらかし
「あっ、あの子です! あの子です」
ギルドの階段を上がったところで、レストランのお姉さんが叫んでいる。隣には恰幅のいいコックさんがいて、オレは身体中の血液が凍ったように血の気が引いたのを感じた。叱られることはとても辛いこと。だけど冒険者になったのだから、自分のことは自分でけじめをつけなければと、心を震わせて呼ばれるがままに受付のお姉さんの顔を見た。
受付のお姉さんは明るい笑顔でお疲れ様とねぎらってくれて、オレ達を奥の個室に案内してくれた。
この前よりずっと奥の大きな個室。ここはディック様達と来たことがある部屋で、ギルドマスターの部屋につながっている。こんなに大事になっているなんて。絶望的な気持ちで最後尾を歩いた。
冒険者見習いだから? それとも、大切な何かを壊してしまった? 思いつく限りの思考を巡らせる。アイファ兄さんは、依頼の失敗は大抵罰金を支払えば済むことが多いと言っていたけれど、そんなに高額なのだろうか? この前の大金貨で足りるといいいなぁ。ううん、オレが大金貨を持っていることをギルドの人は知っているから、それでは足りないほどのことをしでかしたんだ。もしかして魔石かな? 勝手魔力を込めてしまったから。術式が変わってしまったのだろうか? 後は………、常識の範囲で掃除をしたつもりだったんだけど。もしかして、ジロウ達に手伝ってもらったことが駄目だった?
促されるままソファーに腰掛ければ、正面には何と腕組みをしたディック様が座っていた。
「あ………、ご、ごめんなさい」
俯いて、まずは素直に謝ろう。オレのやらかしの後始末のためにディック様まで呼ばれたんだ。一人でできるつもりだったのに。迷惑をかけてごめんなさい。 握った拳が涙でぬれると、レストランのお姉さんが、恰幅のいいコックさんが大きな声を上げた。
「「も、申し訳ありません」」
「えっ?」
思わず顔を上げた。唇をによによと動かして冷めた瞳でオレを見るディック様。オレは何がなんだか分からずにきょろきょろと辺りを見回す。ギルドのお姉さんが紅茶を出しながらソファーに座るように誘ったけれど、二人は頑なに、額を床にこすりつけて謝罪を続けた。
「み、店を新品同様に磨いていただいたのに、サイン一つせず、ましてや礼すら言わず、恐れ多いことをいたしまして、まことにお詫びのしようもございません」
「わ、私も。あまりのことに慌ててしまって、お礼も言えなくて、ごめんなさい」
「あ、あのう。 えっ? あれ? オレのや、ら、か、し?」
受付のお姉さんを見上げると、真っ白なハンカチで頬を拭いてくれ、その上でにっこり笑ってくれたんだ。ディック様がちょっと偉そうに、だけど笑いを堪えてオレを見た。
「あー、なんだ。 確認だが、コイツが受けた依頼、店の清掃は達成ってことでいいんだな?」
重々しく、ゆっくりとした口調に、コックさんが一度上げた顔を再び床につけてひれ伏した。
「も、もちろんでございます。 達成どころか、依頼料に上乗せさせての特優の達成報告とさせていただきます」
「はい、私も、しかと確認させていただきましたでございます」
おずおずと差し出された袋には、じゃらと音がするほどのお金が入っているようだった。ディック様が顎をあげると、受付のお姉さんが恭しく受け取って、オレの手に袋を乗せた。
よく分からないけれど、オレの依頼は達成されたことになったみたいで、この袋いっぱいのお金はその報酬で。叱られるどころか、呆れられて。ということは、オレはやらかしてない?
ほっとしたから、安心したから、そこにディック様がいたから、オレの涙が止まらなくって、わんわんおいおいと泣いてしまった。よかった、よかったよ。間違ってなかったんだと。
ディック様に抱っこして貰って、ひとしきり泣いて。コックさんとお姉さんが「次もぜひお願いします」とぺこぺこと頭を下げて帰っていくと、ディック様は再びオレをソファーに座らせた。
「んー、まぁ、ちょっとした行き違いがあったようだが。お前、なにをやらかしたんだ?」
あれ? オレ、やらかしたの? 依頼は達成だって言われたのにと小首を傾げる。受付のお姉さんがコホンと咳払いをしてディック様に報告を始めた。
「依頼内容は、店内、店外の清掃です。前日の汚れた石畳の掃除と、ごみの片付けですね。床の掃き掃除とテーブル拭き程度を想定されていまして、報酬は銅貨五枚の予定でした。ですが、報告いただいたのは、机、椅子のヤスリがけにつや出し加工。ゴミは見当たらず、なぜか高級磁器が三点ほど置かれていたそうです。店舗を引き継いだときからの頑固な石畳の汚れですが、新しく取り替えたように修繕されましたし、店の看板であるパラソルのクリーニング。こちら、経年劣化すら感じさせない仕上がりだそうです。ついで、扉や窓のさび取りを五カ所、音止めの修繕含む。あと、照明の魔石交換ですが、こちら八等級の魔石から一級程度の魔力に変更されています。魔石については、依頼以上のこととみなして請求はしませんでした。支払いが難しいとのことで、元に戻していただければよいと聞いています。いかがいたしますか?」
お姉さんの報告にしたり顔のディック様は、オレの胸に指を突き立てて笑顔で問いただした。
「掃除、掃除だよな? 依頼は。 掃除らしいぜ? コウタちゃん。 掃除ってなんだ?」
「えーっと、きれいにすること」
「だよなぁ? じゃぁ、お前がやったのはなんだ? 修理じゃねぇか? 修繕じゃねぇか? 机を拭いたらすべすべになるか? ならねぇよなぁ? 床石が簡単に取り替えられるか? 何をしたらこうなるんだ?」
あぁ怖い。言葉の端々に混ざる圧に、オレはしどろもどろにありのままを曝け出す。
「えっと、マイクロバブルは隅々までシュワシュワすればピッカピカだし、プルちゃんの消化液は、頑固な汚れを溶かすし、ジロウの氷魔法で表面は滑らかに、ついでに風魔法で乾燥させて……」
ぷるぷると肩を振るわせたディック様。オレは言いながら思い当たった。そうか、拭くだけでよかったんだ。はじめにあっただろう姿にする必要がなかった。うん、分かった。次からは気をつけよう。
反省を口にすると、ガシガシと頭をかいたディック様は、オレをしっかり抱きしめて、耳元でこっそり褒めてくれた。
「お前はすげー奴だよ。だが、もうちょっと自重しろよ?」
ディック様がギルドに来たのは実は偶然で。街に魔物が出たと聞いて様子を見に来たんだそうだ。屋根の上をすごい速さで走るオオカミ。その報告を聞いて、オレだと直ぐに察したらしい。そして、王城に帰るのは面倒くさいからとオレが帰ってくるのを待っていたんだそうだ。
ねぇ、ジロウ。プルちゃん。
次からは道を走ろう。魔法もみんなで気をつけようね。そうだね、前に庭師さんから教わったもの。きれいにし過ぎちゃ駄目だったね。思い出があるかもしれないから。
その後、オレはドブさらいの報告をしたんだけれど、部屋いっぱいに取り出した袋のおかげで、受付のお姉さんが腰を抜かしてしまった。
「あー、もう、やっぱり駄目だ! 当分、依頼は一人で受けるな!」
「ーーチッ」
舌打ちをしたのは、オレの影に入って寝ていた魔芽だった。




