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193 これは、あれだ………



 それは、遅めの夕食の席だった。

 泣き寝入ったコウタを起こすよう命じて、俺は気だるげに食堂に出向く。

 ほんの一日。いや、王都に着いて半月ほどだが、余りにいろいろな出来事があって、皆、随分と疲弊している。やっと手の中に取り戻した愛し子だけが慰みで俺達の活力だ。


 眠ったからだろうか、随分機嫌が良さそうでなにより。サンとミルカと手をつなぎぶら下がりながらはしゃぐコウタに目を細めた。


「おう、起きたか? なんだかご機嫌だな」

「うん!」

 満面の笑みのコウタとは対照的に二人のメイドの表情が曇る。子細はあとで聞けばいいかと、早々に奴を座らせて皆に食事をする許可を出した。


「ねっ、このお肉、オレ達用に薄く切ってあるから食べやすいでしょう?」

 隣席のレイリッチに話しかけるコウタ。赤子が帰ってしまったからなのか、傷心の彼を元気づけようとしているのか、やや気持ちが高ぶっている様子が見て取れたが、それくらいはたいしたことではない。

 頷くレイリッチは小さな一切れを口に運ぶと、ぎこちなく扱っていたナイフとフォークを置いて背を伸ばした。


「ん? どうした?」

 セガやタイトと同じ、銀灰色の瞳。よく見れば顔立ちもそれなりに整っていて、おそらく遠くは貴族の血が入っているのではないかと思わせる。こいつもコウタと同様、幼いながらに思考は成熟していそうだと、ワインをグビリと口に含んだ。


「あ、あの………俺、フィランク孤児院に行こうと思います。姉さんに何かあったときにはそこに行くようにって、言われていたので。俺は………、本当ならディック様と同じテーブルで食事をいただく身分ではなく。あ、あの、感謝、申し、あげます」

 やはり………。隠してはいるが、どこかできちんと教育を受けたであろう言い方で、俺はチラとコウタの顔を見る。顔面蒼白。まぁ、そうだろうとは思ったが、何でこのタイミングでかとため息が漏れる。


「食事のことは気にするな。おまえは被害者の一人でもあるが、功労者でもある。俺は身分なんぞ気にしない。まぁ、一刻も早く元気になることだ。それなりに支度を調えて送ってやる」

 予想通り立ち上がって異論を唱えるコウタを俺は視界の外に置き、ワインをゴクリゴクリと飲み干した。


「どうして? ずっとここにいればいいのに! ねぇ、ディック様? レイはここにいていいよね?」

 すがる瞳に飲まれるわけにいかない。俺の心中を察して、サーシャがあがなうコウタを抱き上げた。


「コウちゃん! レイにだって事情があるの。それに、彼に貴族の生活は無理よ。ここにいるより、孤児院に行った方がいいの」

 こくり、穏やかにうなずくレイリッチ。しばらくごねるだろうと片目をつむると、予想外にコウタはしゅんと大人しくなった。


 食事が再開される。

 レイリッチは胸のつかえがとれたのか、覚悟が決まったからなのか、驚くほどに食を進めた。ぎこちなさはあるものの、最低限のマナーは身につけたのだろう。これだけ食えれば大丈夫。回復もはやい。対してコウタの食事は全く進まない。一枚の柔らかな肉をいつまでもいつまでも口に含んでいるだけだ。


「なぁ、コウタ。もうしばらくレイはここにいる。その間は、仲良く遊べるよ。ねっ、父上?」

「あ、ああ。だが……。いずれは孤児院だ。そこはレイリッチを尊重するぞ」


 チッ、クライスめ。

 これじゃぁ、俺が悪者じゃねぇか。だが、濁すのはよくない。せっかく大人しく聞く耳を持ったのだから、ゆっくりでも、無理矢理にでも理解させねぇと。苛立つ気持ちのまま、ずんずんと食べ進めていく。異変はこのあたりからだろう。


「レイ……。孤児院、で、いいの?」

 フォークに刺した野菜を口にして、上目遣いでレイリッチを覗き見る。奴は、こくりとうなずいて、ガブリとパンを噛みちぎった。

「おいし……い?」

「あ、ああ。 ・・・・・・?!」


「あーん、なの。あーん。 レイ、そのパン、あーんでちょうだい」

「「「 コ、コウタ? 何のつもりだ?」」」


 大きな口を開けたまま、レイにパンを食べさせろと催促をしている。俺達は目を疑った。だが、変にごねられるよりはいいと、レイに許可を出す。

 レイリッチは小さくちぎったパンをコウタの口に放り込む。

 両の手で頬を押さえて、うれしそうに咀嚼するコウタ。


「おいしいね~。このパン、ディーナーさんが焼いてるの。上手でしょう?」

 とりとめのない会話。俺は嫌な予感がした。顔を見合わせるサーシャ。アイファの頬がピクリと引きつった。


「サーシャさまぁ、だっこ~」

 伸ばされた手に、サーシャは慌てて席を立ち、コウタを抱き上げた。


「ちょっ、コウタ! どこに手ぇ、突っ込んでるの?」

「い、いいのよ、ニコル。そっと………。」


 そう、コウタの奴はサーシャの胸元に手を突っ込み、ごそごそとまさぐっていやがる。ひとしきりうっとりすると満足したのか、再び両手を天にかざした。

「にいちゃぁ~、だっこ~」

 クライスが喜んで手を差し伸べれば、その手は無情にもはたかれ………


「にいちゃ! アイ兄なの! クラ兄はあとなの! メッ!」

「な、何でだ? コウタ! おまえ、今、にいちゃって言ったじゃないか?」

「言ったけど、違うの! だっこ、だっこ! 早くだっこ~」

 ぐずるコウタにアイファはそっけない。心なしか、その目は据わっているようにも見える。

「どっちだっていいじゃねぇか? 俺はまだ、飯を食ってんだよ」

「ほら、僕ならいいよ。もう食べ終わるから。さぁ、コウタ、おいで! クラ兄の抱っこだよ」

「いやだ、いやだ! がうっ! 違うの! う~、う~、抱っこがいい、抱っこがいい~。にいちゃ、にいちゃ~、抱っこ~、抱っこ~」


「あ、あの、コウタは………?」

 あっけにとられるレイリッチ。らしくもなくぐしゅぐしゅと泣き始めたコウタ。その目はつむったまま開かない。暴れるコウタを無理矢理クライスが抱き上げると、ガシャンとグラスが弾けとび、バシャと水差しがひっくり返る。


「おい、アイファ。抱いてこい」

「ああん? めんどくせー、やっぱあれかぁ?」


 大きな肉片を口いっぱいに頬張ったアイファがコウタを抱く。コウタは泣きじゃくりながらしばらく抱かれたが、次いでサンを呼び、ディーナーを呼びつけた。


「抱っこ~、抱っこ~」

「おみじゅ、おみじゅ! ちゅめたいおみじゅがほちーの! うえっ、うえっ・・・」

「じぇい、じぇい、あーんなの、あーんちて! おえの おじく、たえて~!」


「あぁ、もう、コウタ! 落ち着けって!」

 慌てふためくサーシャにクライス。ミルカもおろおろして、片付けなのかあやすのか、食堂はパニックに陥っている。


「どうだ、アイファ?」

 訝しげに瞳を合わせると、奴はがっくしと肩を落として力なく言った。

「ああ、うん、これは、あれだよ。あれ。発熱してやがる」

「「「 やっぱりかー! 」」」


 エンデアベルト家の恐怖の一夜が幕を開けた。




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