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192 詰め込む



 居た堪れない気持ちで部屋を出ると、オレの視界はたくましい脚に塞がれた。

 きっちりと折り目がつけられた白いスラックスから、磨かれた革靴が覗く。今日はホスト(招待する立場)としての貴族服で、端正な顔立ちが一層引き立てられていた。だけど今は、大好きなあの顔を見ることができない。


 パンパンに膨らんだ胸の奥の痛みと、しゃくりあげたくなった喉をぐっと堪えていると、少し強い手がぽしゅと髪をかき混ぜた。


「聞いちまったのか。お前は……。なんでそうも真っ直ぐ受け止める?」

 優しい声色にぐらり甘えたくなるけれど、扉の向こうの声に、その気持ちが押し戻される。


「アイツの身の上に起こったことは、ただ残念でしかならん。だが、お前には関係がないことだ。アイツの生き方に口は出せねぇし、助けてやるのは大人の仕事だ。アイツは同情なんかされたくないだろうし。だったらお前に何ができる? 何も出来ねぇんだよ!」


 ぐりぐりと撫で付けられて、かくんかくんと視界が揺れる。ディック様の言う通り。でも、だからって、オレは何もできないの?


「で、でも……!」

 行き先の決まらない言葉を吐き出すと、脇に差し込まれた腕がヒュンとオレを持ち上げたので、いつも通り、その肩にしがみついた。きちんと剃られた頬が心地悪くて、痛いとのけぞる仕草ができずにピタと頬をつける。一歩一歩、遠ざかる扉をじっと見つめた。

 

 リズミカルに撫でられる背中。諭すような優しさに贖いたい気持ち。本当に何もできないの? ううん、きっと何かある。だってこんなにもレイに惹かれる。オレだからできること……。何か、何か……!


 まどろみはじめたところで、ディック様はピタと足を止めた。オレの部屋の前。ディック様はオレを下ろすと、しゃがみ込むようにして瞳を合わせた。


「ーーーー怖ぇよ」


 一瞬、何を言われたのかわからず、キョトンと固まった。怖い? オレが? ディック様はオレが怖いっていうの?


 悪魔にも怯まずに向かっていった人が? どんな魔物にだって、余裕の笑みで立ち向かって行く人が? こんなちっぽけな子どもが怖いって……? それって、それって……。オレが千年も前から来た子だから? 得体がしれないってこと?


 考えもしなかった言葉を、飲み込めば飲み込むほど、悲しく切ない思いが膨らんでいく。大好きな人との、何があっても絶対に揺らがないと思っていた信頼が崩れるようで……。全身が震えて、ただ涙がぽろぽろぽろぽろ溢れた。


「うわっ! 違う、違げーよ。悪かった。誤解だ」

 慌てふためくディック様だけど、オレは心の遠くの方で、ただただ、ごめんなさいを繰り返した。


 だってオレがいなければ、悪魔が復活しなかったかもしれない。オレがいなければ、傷つく人はいなかったし、レイだってお姉さんを失うことはなかったかもしれない。オレがいたから、ディック様は厄介ごとに巻き込まれて……。ごめんなさい、ごめんなさい。


「ーーゴホッ! う、うう……。」

 ごつごつとした逞しい腕が、身体を丸ごと包んで、オレの背に熱い息がかかった。あまりの苦しさに唸り声をあげた。すると、温かな手のひらが再び頬をなぞって、とびきり優しく涙を拭った。

 見上げた薄茶の瞳には、情けない顔のオレが映っていて、確かにオレは、その人の心も瞳も独占していた。


「悪い。不安にさせた……。本当にお前はまっすぐで、アイファの奴にそっくりだ」

「……アイファ、兄さんに?」


「あぁ。言葉のまんま受け取って、すぐ、己で蹴りをつけようとする。それに……。気になったら夢中になって、他が見えんくなるところはクライスそっくりで……。だから、だから俺は不安なんだよ。壊れそうで、壊しそうで、怖えーっていうの」

 罰が悪そうに視線を反らしながら話すディック様は珍しい。ぐしゅと鼻水をすすったらズゴーと大きな音がでた。


「お前は二人の柔いところにそっくりだ。そんなちっこい身体に、何もかんも詰め込もうとするな。 俺は……、お前が壊れそうで……、それが怖いんだ。詰め込むのは、もっと大きくなってからでいい。お前、まだ四つだぞ。何も知らずに、何も気にしないで、ただ嬉しいことや楽しいことだけで、そのちっこい胸を埋めればいいんだ。後のことは俺が……俺たち大人が引き受ける」


 ポリポリと顎を掻いた指は、太くて逞しくて、小麦色に日焼けしていた。オレはやっぱり真っ直ぐに瞳を返して、口角に力を入れて笑った。


「そういうところが、いつまでも心配なんだ。出会った頃にちゃんと教えたんだがな」

 意地悪い顔を見せた男は、再びオレを抱き上げて、ちょっとだけ強く背を叩く。


「泣きてえんだろう? 一緒に泣いて教えてやっただろうが。いいんだよ、泣けば。それだけでスッキリする。詰め込むんじゃねぇ。泣いて吐き出すんだ。そうやって乗り越えてきたんだろう? ん?」

「う、う、う……。は……い」

 たんとんと強弱をつけた背を叩くリズムに、呆れたようなディック様の顔が見えた気がした。ディック様はそのまま部屋に入って、ベッドに腰掛け、ぐずぐずと泣きじゃくるオレの背中を、いつまでもいつまでも愛おしく撫でてくれた。



◾️◾️◾️◾️



 頭まで被った布団が息苦しくなった頃、レイリッチ はぴくりと動きを止めた。


「ーーそうだ。動くな。 この家は潜りにくい。見逃してくれているうちに伝える」

 聞き覚えのある声に、レイリッチ は胸を撫でおろした。おそらく床下か家具の間。全てに絶望していた少年に光が灯った。


「無事で何より。不本意だが、目的は果たした。だが、今は王都全体が混乱している。稼ぎどきだ。まだ働く気があるか? それとも……」

 選択肢があることに怯えたレイリッチ は慌てて身体を起こそうとした。だが、瞬時に喉元に冷たく尖った感触。布団の上からも、それがナイフだと正確に分かる。


「意は汲んだ。ならばしっかり体力を戻せ。再び訓練してやる。その為なら見栄は捨てろ。施しだろうとなんだろうと使えるものは全て使え。死ぬ気で戻って来い」

「ーーは、い。せ、先生」


 ひと目でも。いや、気配だけでもと身を硬直させながら周囲を探る。だが、気力の衰えた少年に見つけられるはずもなく。レイリッチ は師の言葉を忘れぬように何度も何度もつぶやいた。


ーー見栄は捨てろ。使えるものは全てーーーー



◾️◾️◾️◾️


ーーーーガチャ


 扉の前で待っていたのは腕を組んだクライス。穏やかな彼にしては険しい表情。ディックは頭を掻いて、表情を取り繕った。


「コウタ……。泣いたの?」

「ん? あ、あぁ。半分ってとこだ」


 クライスは鋭い目つきで真正面からディックを捉えている。


「必要なことでも、僕は嫌だ。コウタを、コウタを泣かせるなんて。たとえ父上の考えであっても……」

 息子の思わぬ抵抗に、ディックは存外に心を弾ませたが、そんな胸中が悟られれば彼の機嫌が損なわれると頬を引き締める。


「お前はいいんだよ、何時でも泣ける」

 とうに成人の義を済ませたクライスは、子供扱いをされたことに憤った。

「父上! 僕は……」

 言いかけた息子の言葉を手を挙げて遮った。


「お前、アイファはどうだ? アイツもコウタも詰め込み過ぎるんだよ。皆、お前みたいに素直だと助かるんだが」

「アイファ兄さんは……いつもと変わらないけれど。だけど、コウタは……」

 再び父親の瞳を見返したクライスは、もう次の言葉を紡げなくなっていた。


「…………大きくなったな。お前には助けられる」


 ポンと叩かれた肩の重み。クライスは自分がまだ幼いままだったことに気付かされた。


「……キツイな。……今回は、流石に疲れた。早く終わりてぇよ」

 天を仰ぎながら背を向ける父親を呆然と見つめるしかできない。クライスは己の無力さを知って、拳を握ると、そっと扉を開け、泣き寝入った幼児をぎゅっと抱きしめて泣いた。







 




 

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