180 激しい
悪魔の怒りは凄まじかった。
オレへの怒りを真っすぐにアイファ兄さんにぶつける。踏ん張った足がザザッと土にめり込んで、喰いしばった兄さんの剣がドオンと大きな音を放って転ばされ、かと思うと、瞬時に間合いに入って切りつけたディック様を片肘で受け止めて長い脚でギュンと腹を一撃する。吹っ飛ばされたディック様の手元でキールさんだろう魔法が発動して炎が上がると、炎はそのままキールさんの方に戻されて岩もろとも爆発した。
ものの数分。ジロウとドッコイが出方を探っている間に、三人は地に伏せることになった。
ー---ガシャン!
「コ、コウちゃん!」
『コウタ!』
グンと伸びた手がソラのシールドを破ると、オレの首根っこを掴んであっという間に壺の中に放り込む。
サーシャ様とソラの声すら間に合わない瞬間の出来事。
何? 何が起きている?
煙と液体が引き付けられるようにオレにまとわりついて、ごぼごぼと溺れた。だけど一瞬ですべてがなくなって足元に黄色の丸い球が転がる。
ガシャン!
壺を割ったアイファ兄さんが、見たこともない怒りの形相でオレを奪い取ると、身体から湯気をもうもうと出した。
「て、て、てめぇー-! ぶっ殺す!」
慌てて飛んで来たソラにオレを投げ飛ばして、真っすぐに悪魔に向かって行った。
「もとより、そのつもりじゃなかったのかい?」
悠長に身構えることもない悪魔は、丸い球を拾い、さっと口に投げ入れると、うっとりするように飲み込んだ。
「ははは、これだ、これ! 金の魔力を凝縮するとこうなるのか……。 ならば、まんま、いただいたらどうなるかな?」
舌なめずりをしながら兄さんの猛撃をいなして、不気味な瞳でオレを見た。そしてズガンと蹴り飛ばしてから大きく肩を回す。ちぎれた羽根が再生されて、悪魔の身体が一回り大きくなった。
こ、怖い!
さっき、投げ込まれたときに全身で光魔法を放てばよかった。あんまりびっくりしたから、勢いそのままにオレはきっと金の魔力を垂れ流したんだ。
再び、ぎゅんと手が伸びるくる。ソラはさっと避けながら大きな神鳥になって逃げた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ.........
生温かい風が突如止み、上空の灰雲が渦を巻き始める。地面の小石が徐々に持ち上がり、砂嵐が起こり始めるようだ。その源は、さっきまでオレがいた更地のくぼみ。
長い金髪を頭上できゅっと結びながら歩き出した女性は、俯きながらも全身で怒りをあらわにしていた。今日のサーシャ様は狩りに行った時のようなパンツスタイルなのだけれど、たっぷりとしたヒダやリボンが音を出してはためくほどに風を身に纏っている。
「「は、母上......?」」
クライス兄さんとアイファ兄さんの困惑する声を聞くと、それを打ち消すかのように悪魔の前に仁王立ちになる。
「男の子だもの。多少の無茶や聞かん坊は許すわ。でも、ちょっとやりすぎじゃない? もう・・・・今日は許さないから」
キッと上げた茶の瞳には確かに半分緑の顔の悪魔が映った。
「ハァッ・・・・・・・・・」
すっと息を吸った女に、悪魔は一瞬ひるんで後ずさる。
「 ヤァー--― 」
ダダダダダダダ・・・・・・・・・・・!
恐ろしいほどの拳が一直線に悪魔に降り注ぐ。撃っては蹴り、蹴っては打ち。見えないほどの速さなのに、確かに悪魔はすべてを受けていて、いや、時に喰らって防戦一方。対してサーシャ様はドッコイと連携を取り出し、掴みかかって投げ飛ばしたり、蹴り上げた瞬間に頭から撃ち落としたりと凄い攻撃だ。
「あーあ、これだから。怒りに火がついちゃったか。兄さん、今のうちに休んで」
「いや、今こそ、突く・・・・」
クライス兄さんの手を取って立ち上がったアイファ兄さん。ディック様もキールさんもジロウも。みんな一斉に猛攻撃だ。
すごい! すごい、すごい!
ドカン、と危ない場面でソラがさっとシールドを飛ばす。喰らわせた一撃の再生を阻むようにキールさんとジロウの魔法で凍らせたり燃やしたり。悪魔の奴は変幻自在に手足を伸ばしたり縮めたりして応戦する。だけど確実に、確実にディック様達の攻撃が効いている! やっと、やっと突破口が見えた!
けれど・・・・・・。
やっぱり駄目だ。悪魔は風に乗って漂う黒煙をどんどん吸い取って衰えを知らない。対して、ディック様達の攻撃はいつまでも続かない。
やがて・・・・魔石を使い切ったニコルの剣が汗で飛ばされた瞬間、再び形勢は逆転し、幾つもの穴があいた荒野に雨が降り注がれる頃には、オレ達、ヒトは皆、肩で大きく息を上げて、乾いた喉がヒューヒューと音を立てていた。
「くくくくく・・・・! 随分楽しませてもらたが、そろそろか? なあ? 力あるものの敵意は美味いなぁ? あの頃の記憶が戻っって来るぞ! まだまだ力は足りぬが、忌まわしき記憶を塗り替えよう! 」
背中の羽根を大きく羽ばたかせて見下ろしている悪魔が笑みを溢した。そうしている間も黒い煙がどんどんと流れ込んでくる。遥か彼方に見える王都で炎が上がり、そこからも絶え間なく、あの悪意の煙が押し寄せてくるんだ。
「あぁ愉快だ。この感覚も久しい。忌まわしき奴らに滅ぼされ、土にされた年月。長く永く、退屈であった。だが、復活して間もなく、このような機会に恵まれるとは。さすが私だ。ははははははははは・・・・」
高笑いする悪魔に、激しく打ち付ける雨に油断することなく、オレは身体の中心に魔力を巡らせる。まだだ、まだだ。アイツをやっつけるには・・・・。足りない、足りない・・・・。
―――ぎゅん!
「くっ! ソ、ソラ!」
風に逆らい、重力に逆らい、悪魔の手の中にソラもろとも引き寄せらた。
「「「「 コ、コウタ! 」」」」
「褒美をやろう! 世界の王に君臨する私を、これほどまでに楽しませたのだからな!」
『コ、コウタ! 転移よ!』
「うん、ソ、ソラ! 一緒に・・・」
激しい痛み。
力づくで握りつぶされるような圧力の中、オレはソラと転移を試みる。
ー---が、
光が発動する前に、視界が真っ暗になって、ぐるぐると生温かい、気持ちの悪い奴の胎内に飲み込まれてしまったのだった。