167 バレないように
つん、つん、つん。
ベッドに取り付けた柵の隙間から、小さな指を差し入れて、やわやわでほにゃほにゃの頬を突く。温かな桃色の頬がくにゃりと動くと、オレも嬉しくて頬がとろけそうになる。
「可愛いねー! 赤ちゃん、可愛いね」
もう何度目だろうか? 小さな頬が動く様も、身体全体でむずがる様も、チュパチュパと指を吸う仕草も、全部全部可愛くて愛しい。
結界や警備のてはずが整ったのだろう。ここに来て数日。今朝、やっと部屋から出ることを許されて、オレは真っ先に赤ちゃんに会いにいった。
真っ白な髪の赤ちゃん、ピンクの髪の赤ちゃん、栗色の髪の赤ちゃん。お座りが出来たり、つかまり立ちをしたり、白髪の赤ちゃんは、まだ首もふにゃふにゃで、この世の全ての可愛いを詰め込んだみたいだ。
「うふふ。コウタ様の方こそ、可愛いですよ」
今日はメガネのメイドさん。身なりはきっちりしているけれど、ちょっと話しかけやすいメイドさんだ。
「ううん。赤ちゃんの方がずっとずっとかわいいよ。指だってとってもちっちゃいし、ふにゃふにゃって言う声だってとてもかわいいよ」
メイドさんはクスクス笑いながらオレを胸元に引き寄せた。
「ささ、ここはもういいでしょ? そろそろお勉強の時間ですよ」
「ちょっと待って! 首飾りを見せて欲しいの」
壊れそうな赤ちゃんの胸元をそっと開く。この赤ちゃんは、炎の属性が強いんだ。まるでルビーのように魔石が輝いている。
「ねぇ、とっても綺麗でしょ。綺麗な魔力だから、鮮やかに色づくみたいね」
コクリとうなずいて、自分の首飾りに手を当てる。ほんのわずかだけれど、魔力というか、気力というか、生きるための力が吸い取られていくように感じる。
「首飾りをするとね、魔力漏れがなくなるおかげかしら? とってもよく眠るようになるのよ」
オレと一緒だ。だってとっても疲れるんだもの。やっぱりこの首飾りは良くない気がする。
ディック様がオレを迎えに来てくれたら、絶対首飾りを外してもらおう。もちろん、赤ちゃんのも。それまでの辛抱だからね。
機嫌よく「あー」と伸ばされた手を、そっと握り返して、小さく手を振った。
さぁ、勉強だ。
今日は文字を教えてくれる先生。この前、スカが捕まってどきまぎしたんだよ。だけど、先生はスカのことをぬいぐるみだと思って、「遊んだらちゃんと片付けておきなさい」と言って、本棚の隅にスカを置いた。スカは全身、汗びっしょりになっていたけれど、それからは、オレのお気に入りのぬいぐるみとして過ごしている。
「前回は基本的な文字の練習でしたが、問題ないようですので、今日からは文法を中心にお教えします」
頭に線が描かれた先生は、ノートと木ペンを渡してくれた。
「今日からはこのノートをお使いください。毎日、何かしら書くのですよ。そうすれば上達のあとがご自身でもお分かりになりますから」
先生は言った。嬉しい! 紙に書くのも嬉しいけれど、ノートは真っ白なページばかりでできていて、オレ専用。本を作っていくみたいだ。
「先生、何を書けばいいですか?」
先生はメガネをあげて部屋を見回した。
「そうですね。手紙ではいかがでしょう」
「手紙?! 手紙、書いていいの? じゃぁディック様に……」
そう言いかけると、先生は鋭い目でオレを睨んだ。そうか。ここの人たちは、オレとディック様を離したいんだった。それに、ディック様に手紙を書けば、オレのために動いてくれていることもバレるかもしれない。じゃぁ、どうしよう。
木ペンを咥えて、肘をつくとお行儀が悪いって手の甲をピシャリと叩かれた。
ドキリ。
ギガイルの店での出来事が思い出されて鼓動が早くなった。不安になって視界が大きく歪んだ。
『大丈夫? コウタ。 やっつける?』
ソラが聞いてくれて、冷静になった。ありがとう、ソラ! でも、大丈夫。 ソラが普通のトリじゃないってバレた大変だもの。こんなことで泣いちゃ駄目だ。オレは目をゴシとこすって、敢えて元気に言った。
「ごめんなさい。えっと、手紙の相手が思いつかないから、日記にします。昨日のこと、今日のこと、忘れないように」
「それはいいですね。では、とりあえずお書きなさい。おかしなところは直して差し上げますから。分からない綴りはこちらの図鑑と辞書を見てお調べください」
「・・・・・・」
オレ、まだ四歳なんだけど。流石に自分で調べて書くなんて難しいこと、できないよ。そう思ったけれど、口に出すと叱られそうだ。だからオレは黙って、さっき見た赤ちゃんのことを書くことにしたんだ。
『きょう、あかちゃん をみました。あかちゃんは ちいさくて やわらくて かわゆ いで した。 £¢$#*$€]=%#たいです』
こんなに長い文章を紙に書いたことがなかったので、たくさん間違えて×で消しながら書いた。後半は疲れてきて眠くなってしまった。だからすっかり油断してしまったんだ。
「コウタ殿、幾つか間違えております。こことここと……。そして最後は何とお書きになりましたか?」
メガネを上下させながら、先生はオレの文字を添削してくれた。しまった。最後の方は父様と母様と覚えた文字だ。
「えーと、大切に守ってあげたいです。って書いたんだけど」
上目遣いで呟くと先生は大慌てで分厚い辞書を使って何かを調べ始めた。その後、興奮したようにオレの胸ぐらを掴んで騒ぎ立てた。
「す、素晴らしい! これは古代文字! 確かに大切に守るの意味のようだ。このお歳で古代文字に精通するとは?! こうしちゃおれん」
先生は大慌てで荷物をまとめ、鼻息荒く部屋を出て行った。
「もしかして、やらかした……?」
小さく呟くと、ソラとスカが大きく頷いたのだった。