164 それぞれの時 1
【ある牢番】
街のシンボルとも言える建物。その地下の一番深い牢を守る若き男は深いため息をついた。これから対峙する囚人はその男の憧れだったからだ。
彼はどこで間違えたのだろうか。人の道を踏み外すとは思えない。何かの間違いであって欲しい。だが……。
「丁重にもてなせ」
上司に命令された男は、苦渋の思いで牢を覗いた。
「な、何をしている?!」
若いとはいえ、この仕事について数年。ここは最重要、最悪とされる罪人の牢だ。それを任されるだけの力量があると自負をし、それなりに場数を踏んできた。
罪人とは、己の罪を反省し、そうでない場合は、さぞ悔しがっていることだろう。それが常識だ。だが、あの男はひょうひょうと腹筋をして汗をかいている。
「おう、交代か? お前、腹に乗ってくんねぇ? 重石がないと鍛錬にならん」
「ば、馬鹿言うな! それに、今更鍛えてどうする?その筋肉を生かす場なんてないぞ」
細マッチョ。薄汚れた囚人服の上からでも分かる、たくましく鍛えられた身体は、男の俺でも見惚れる程だ。きっちりと結えられた頭髪に生気溢れる表情。罪人独特の疲れや後悔の跡が微塵にも感じられない姿に男は驚愕した。
「生かす場、貰えねえの? だがよ、暇じゃん。俺、ここで何すりゃいいの? ってか、捕まる意味も分かんねーし」
ニッカと屈託のない笑みに、牢番は自身の方が悪いことをしている気持ちになって視線を逸らした。
食事の時間が来た。
後輩に当たる少年が自分と囚人の食事を持ってきた。奴は彼を見るなり、ヒィと小さな悲鳴をあげて慌てて食事を置く。不思議な挙動に首をかしげつつ、質素な食事に再びため息をついた。
「メシだ。少ないだろうが、あるだけマシと思え」
小さな鉄格子の扉から差し入れると男は待ち構えていたように受け取った。
「おう、あんちゃんも一緒に食おうぜ。少ねーからさ、気晴らししながら食いてーじゃん。頼むよ」
促されて、牢の前に椅子を持ち寄り、改めて向き合った。あぁ、確かにこの男は、俺の憧れだった。自由で勇敢な冒険者。年下ながら安定という立場を捨て、命と共に冒険に賭けるその勇姿。カッコいいと思った。自分もああなりたいと思った。けれど、俺は安定を捨てきれなかった。
「俺、あんちゃん、覚えてっぞ。昔、酒場で一緒に飲んだよな? 就職祝いだっつーて。 こんな深層の番、任されるようになったなんて、偉くなったじゃねぇか」
粗末な木匙を加えた奴は屈託なく笑う。そうか、覚えてくれたか。あれは彼らが名を上げ始めた頃だ。大規模討伐の後、冒険者仲間で飲んだ時、ついでだと仲間が俺の入隊祝いをしてくれた。
あの時は天候も、道も崩れて視界が最悪で、溢れる魔物たちに心が折れそうになっていた。先陣を切ってゴブリンキングに向かっていく勇姿に奮い立たされ、皆で泥々になって闘った。その打ち上げの出来事だ。
「お前も……。随分立派になったと思っていたのだが。こんなところで再会なんかしたくなかった……」
ついでた愚痴に、濃茶の瞳を大きくした奴は、木匙をぺっと飛ばして、薄いゴザの上にゴロリと寝転がった。
「ハメられた……、って言ったら信じっか? あんちゃんなら……。いや、いい。危ねー橋だ。渡んなくていいさ。けど……ヒトも魔物も、本気かどうかくらい、Aランクになりゃ分かる。本気の奴に手加減なんかできねーっての」
天井を眺めた奴は不意に背を向け、そのまま静かに寝息を立て始めた。
拘束の足枷がゴロリ、重く転がった。
【見習い少年】
「あ、悪魔みたいな奴です。つ、捕まって当然。僕は、僕はあそこに行きたくない!」
最近入隊した少年は、食事を運んだ後、上司に談判に行った。
まだまだ任せられる仕事も少なく、とりあえず牢番たちの食事の運搬を手伝わせていたのだが、こいつはこれでものになるものかと上司の男は苦く笑った。
「何があったか言ってみろ」
少年は身を乗り出して、何かを言おうと目を合わせたが、結局口ごもって、何も言わずにプイと背を向けた。
少年は、何かをぎゅっと握り締め、ついさっきあった出来事を、心の中で反芻した。
地下深く階段を降りる。
質素な食事とは言え、2人分をこぼさずに運ぶ事は難儀なことだった。湿った空気。足元を照らすランタンは、少年の歩みごとに揺らめいてチラチラと視界を不安定にさせる。
こぼしたらドヤされる。牢番は交代制だ。今日は運悪く怒りっぽい先輩。実力があるのかないのか、何処かの偉い貴族の口利きだと聞いたことがある男。慎重に、そして丁寧に運ばねば痛い目を見る。
地下の最深にある牢にやっとのことでたどり着き、ふうと辺りを見回せば、先輩である牢番の男は檻の前で、ぱったりと倒れていた。
「大丈夫ですか? 何があったのですか?」
急ぎ食事を置いて慌てて抱き起こすと、檻の中の男と目があった。
「食事か? じきに起きるだろう。このことは黙っておいてやれ」
存外に優しい言葉に、少年は目を疑った。
「お前のせいか?」
「ちげーよ」
「じゃあ誰が?」
「勝手に倒れたんだよ」
「そっ、そんなバカな?」
男はめんどくさそうに頭をかき、食事を早くよこせと檻の中から腕を伸ばして来た。少年はブルブル震え始める手で小さな扉を開け、男の手に食事を渡した。
「あぁ、まずい飯だ。全然足りねぇ」
太い鉄格子の奥でむしゃむしゃと食らいつく囚人に、牢の鍵がしっかりとかけられていることを確認して、ほっと息をつく。
「なぜ倒れた? どうして助けを呼ばない?」
少年の言葉に、男は食べ終わった木匙をブッと吐いてぶつけた。
「俺、捕まってるもーん。勝手に倒れたんだ。助ける義理もねー」
「だからって……」
反論しようとしたとき、ピンと1枚の金貨が、少年に向かって飛ばされた。
「お前、それで俺の飯買って来いよ。不味い携帯食でもいいぜ。余ったら釣りだ。もらっとけ」
「なっ! えぇ? 一体どこから?」
狼狽えた少年に、囚人の男はニヤと口角を上げる。
「駄賃がいるか? がめついなぁ」
そう言うて、再び金貨がピンと飛ばされた。
「どこから?」
思わず格子にしがみついた少年を、囚人は見逃さなかった。
「ーーーーっく……!」
片腕で首を羽交い締めにされ、呼吸するのも苦しい。けれど、その背中から感じる男の威圧。震えられるものなら震えたい。本能すらも押し込める恐怖心。これに、この圧に、足元の男は倒れたのだと悟った。どれほどの時間だろうか? いや、ほんの数秒の出来事だろう。拘束から解かれた少年は、よろよろと階段にもたれかかった。
「お前、それでも憲兵か?」
「あんな奴らと一緒にするな。悪いな、非力なギルド員で」
そう言って、手にした金貨を、囚人に投げ付けた。男は金貨を拾うと、ぐにゃり半分に折り曲げ、再び指で弾いて少年に戻した。
「次でいいぜ。バレないように、こっそりと俺に差し入れ持って来い。金貨は本物だ。残りの金で病気の母ちゃんに薬でも買ってやれ」
「な、なんでそのことを!」
囚人は、薄っぺらいござに寝そべって、グーグーと大きないびきをかいて寝てしまった。少年は、さっき受けた威圧による震えが収まるのを待ち、重い体を引きずるようにして階段を登って言った。
いつまでたっても口を開かない少年を、上司は意地悪く笑った。
「まぁ、そう怖がるな。鍵も警備も完璧だ。飯を運ぶくらいじゃ猛犬は吠えるだけさ。生かせって命令だが……、もう少し弱らせるか?」
「…………!!」
ごくりと喉を鳴らした少年は、ペコリと頭を下げて慌てて戻って言った。その手に金貨を握りしめて。