133 さらわれ……る?
朝から降り続いた雨が止むと、人々は合間を縫うかのように一斉に動き始める。コンパクトな屋台を広げて商品を並べたり、買い出しに出たり。傘はあるが狭い路上では扱いづらく、魔獣の加工品である雨合羽は高級品。そのため雨の日は大抵の者が自宅に引き篭もるのが王都である。
雨曇りの夕刻は早い。
依頼を終え、急ぎ館に帰る途中。お気に入りの坊の気を引く物はないかと俄か商店を物色していた赤毛の耳に気になる情報が入る。
「いやぁ、さっきの子、綺麗だったよなぁ」
「ああ。真っ黒なでかい犬がいなきゃ、格好の餌だ。なにがあったか知らんが……フゴッ」
「どこだ?」
胸ぐらを急に掴まれた男は殺気立つオレンジの瞳を見てニヤリと笑う。
「セフィロン子爵家から商業区に向かう裏路地。ヒラタアリ」
「サンキュー!」
ポケットから出した金貨入りの小袋を押し付けた女は一目散に走り出した。
「アイツ、こんな時に何で出歩いてるんだ……」
貴族街に入った女は足元や壁を調べる。踏み潰されたヒラタアリ。爪のサイズほどの平たい殻を持つアリは通年を通して晴れた日に活動する。湿気を嫌う故、こんな日に出現するのは稀だ。だからこその目印。
おそらく手足と称する輩が見張っているとは思うが、確証はない。
壁に擦りつけられた殻跡、水溜りに浮くそれを辿れば、空を見上げて呆然と立ち尽くす幼子を見つけた。チラチラと陰り歪む姿は隠蔽の魔法か?
胸元から取り出した小さな袋を高く投げ上げた女は、気配を消して漆黒の髪の子供に近づいた。
◾️◾️◾️◾️
おかしい。
レイが貴族街で馬車に乗るなんて。そんな知り合いがいるなら、ギガイルの店で働いたり、うちの人達がレイのことを気にかけたりはしない。不自然に、そう、ジロウの追跡を撒くような動き。これって、これって、攫われたのかも。
傾き始めたお日様に、オレは胸をぎゅっと締め付けられた。どうしよう。ジロウの追跡はここまで。雨の匂いと繰り返される足跡のせいで、これ以上は追えない。でももし、攫われていたのなら、早く追いかけないと取り返しがつかないことになる。
ゾクリ。
背筋を凍りつかせて、動けないでいるとソラとジロウが帰ろうと催促をした。家に帰ればきっと暗くなる。そんな時間にレイを探してもらえるだろうか? オレならきっと探してもらえる。だったらこのまま、オレがレイを探しに行った方がいいのでは?
今にも降り出しそうな雲と沈もうとする日と、湿った風を浴びて睨めっこをする。どうしよう。すると、不意に身体が持ち上がった。
!!
しまった?!
ばたた手足を動かして抵抗すると、聞き覚えのある笑い声がした。
「あははははは、落ち着けってちびっ子! ほら〜、隙だらけなの自覚した〜?!」
「に、に、ニコル?!」
よかった! ニコルだ! オレンジの瞳に映る漆黒とパサついた赤毛。首根から回された手は華奢だけど大きくて、ソバカスだらけの笑みがオレの瞳を埋め尽くした。
「よ、よかった。ニコル、レイが……レイが大変で……」
もどかしい。
じわじわと瞳が潤み、身体の奥底からしゃくりあげてきて上手く話せない。だけどニコルはオレの背を撫でながら丁寧に話を聞いてくれる。きっとニコルは一緒に探してくれる。よかった!
「んー、じゃぁ何だ? レイリッチが貴族街から馬車に乗って、この辺りを不自然に回ったと。だから攫われたんじゃないかってこと? 」
「うん。 グスッ、グシュッ。だから、だから、急いで助けないと! ニコル! お願い!」
必死になって頼むのにニコルは頭を掻いて二の足を踏んだ。
「なんで助けんの〜? アイツが助けを求めてるって? 」
「だって攫われたんだよ! きっと助けてって思ってる!」
両の手を握って力説する。どうして分かってくれないの? 一刻を争うのに?!
「あのさー、一刻を争うのはあんた。ちびっ子だって自覚あるー? 」
「えっ? あの、オレ?」
キョトンと首を傾げる。ニコルとオレの影が遠くまで伸びてさっきより色濃くなっている。
「こんな裏路地。貴族だって入り込まないよ? 襲ってくれって言ってるようなものだ。 さぁ、とりあえず帰るよ」
「や、やだ! いやだ! 帰んない。レイを探すんだ! 探すって言ってくれるまで、オレ、動かない」
引っ張る手を引っ張り返し、持たれた腰を振り払いつつジロウにしがみつく。ひどい、ニコル。ニコルなら絶対一緒に探してくれるって思ったのに。 こうなったら……!
転移で逃げようと思った瞬間、ニコルの手がオレから離れた。
「分かった! 分かったから、それ、使うなって!」
えっ? どれ? もしかしてニコル、転移の気配が分かるの?
「あー、面倒。分かったから。魔法は駄目だっつーの。特に今はね。ついといで……。多分、レイは無事だ」
「えっ? 何で分かるの?」
ニコルは何も言わずに急足でどんどん進む。オレはジロウにまたがってニコルの後ろをついて行く。
広場の通りは灯りが灯され、夕方の買い物や食事をする人達でごった返していた。ニコルはジロウの首輪に手をかけてぴたりと寄り添っている。
「ギャァ!」
叫び声と共にバタリ、男が倒れた。
「だ、大丈夫?」
オレが振り向くとニコルが頭を押さえて前を向かせる。
「あれは今、あんたを攫おうとした奴。ソラにやられただけだ。気にすんな」
『ピピピッ』
上手くできたでしょうと胸を張る小鳥に、オレはドギマギする。
「ッヒィ!」ーーーーバタン
「ウゲェ」ーーーードタン
「キヒヒ、悪者ホイホイだなぁ。分かった? ちびっ子。あんたジロウの背に乗ってても狙われるって。上手く攫えりゃすぐ売れるって奴だ」
「お、オレ……売れるの?」
「ああ、もちろん。ちびっ子。魔法なんかなくても売れるよ。あー、フリオサって言えばわかるか? あっち系もこっち系でも高値がつく。ちっこくても話が分かりゃ労働力としても、手駒としても。くくく。人気者だよ。分かった?」
「わ、わ、分かんない!」
びっくりして怖くなった。王都では一人身の子は売れる。高貴な子ほど、容姿が珍しい子ほど。
オレはいつだってみんなに……ディック様達に守られていたことを自覚した。じゃぁレイは? レイだって子供だ。
オレはジロウの柔らかな毛に顔を埋めた。湿った獣と雨の匂いが混ざって息苦しかったけれど、身を小さくしてジロウと一体になるようにしがみついた。