132 ギガイルの謝罪
「お帰りください、許可を出してございません」
「いやはや、そこを何とか。奥様に御目通りください」
門番とイチマツさんでギガイルを押し戻そうとするけれど、彼はずけずけと扉から入って来た。
オレ達、何にも悪いことはしていないけれど……、反射的に身を隠す。えっと、こう言う時は出て来ちゃ駄目だって言われているんだ。
オレたちの態度でジロウが扉前に躍り出た。グルグルと喉を鳴らして威嚇してくれている。
「こちらです! 急いで!」
ミルカが手招きしてオレたちを遠ざけてくれた。でもレイは凄く怯えている。真っ青だ。怖いけれど、何が起こるのか知らなくては……。直感でそう感じた。
「ソラ! 見つかりにくくする魔法、お願い!」
『いいけど、もう遅いかも。だってアイツ、コウタのこと、見ていたわよ』
「いいから! ちょっとだけ分かりにくいだけでいい。きっと,襲われるわけじゃない」
オレの言葉にソラがふわり魔法をかけた。実感はないけれど、きっと紛れやすくなっているはず。
「お前、誰と喋ってる? まさか、その鳥か?」
狼狽えるレイの震える手を取ってこくりと頷く。
「おお、サーシャ様。昨日は店の者が大変失礼致しました。あやつは首にしましたぞ。今日はご報告と謝罪の品をお持ちしましたので、どうぞお受け取りください」
ギガイルの姿は見えないけれど、声の感じからサーシャ様が二階に姿を現したみたいだ。多分、それ以上は接触しないと思うけど……心配だ。
「あぁ、そのままで。私如きに美しいお姿を見せていただけただけで恐縮に御座います。 我々、ギガイル服飾店員一同は、エンデアベルト家に対しまして精一杯の謝罪をいたします。申し訳ございませんでした。 また、レイリッチ に関しまして調査致しましたところ、借金は全て労働にて返済されておりますことが確認できましたので、本日より彼の労働は不要となっております。ご報告申し上げまして、我々はそうそうに失礼致します。昨日の、大変に、大変に、失礼をしたコウタ様にも何卒お伝えくださいませ」
声のトーンで様子が分かる、揉み手に土下座。あの手この手のパフォーマンスに背筋がゾクリとした。謝罪とは言っているけれど……。なぜ? 何しに来たの?
呆然と立ち尽くしたのはレイも同じだ。ううん、レイの顔は凍りついている。血色がなく、怖いくらいだ。
バタリ。
ドアが閉まった瞬間、ハッとしたかのようにレイは扉に駆けて行く。大扉をドカと開けてギガイルの背中を掴んだ。そして、その背にすがって叫んだ。
「働かせて……、働かせてください! 給金は安くてもいいです。お願いです。旦那様ーー」
「ええい、うるさい! 聞いていただろう? もうお前にやる仕事はない」
肩を振ってレイを投げ飛ばす。ついて来た家来もレイを捕まえて蹴り飛ばした。
「お願いです! なんでもします! 汚れ仕事でも泥仕事でも! 俺、役に立ちます。頑張りますから!」
泣き叫んだレイを無視して馬車は走り出した。両膝をついて石畳に何度も拳を打ちつけるレイ。どうして? どうして、あの店にしがみつくの?
何て言葉をかけたらいいのか? ゆるゆると濁る視界にオレは小さな手の平を見つめた。
玄関に積み上げられた幾つもの箱。カラフルで大きなリボンが付いていて、服飾店らしく華やかだ。だけど、オレ達の心は真っ暗な穴がぽっこり開いているみたい。
レイはしばらく大扉の前で泣き伏せた後、「帰る」と言って重い体を引きずるかのように歩いて行った。
オレはレイを見送った後、玄関にしゃがみ込んで、レイの帰った道をただぼんやりと眺めていた。
分からない。どうしてあの店がいいの? レイ、大丈夫かな。ちゃんと家に帰れたのかな?
オレのために半分開けられた扉。ミルカもイチマツさんもサーシャ様だって慰めてくれたけど、みんな「レイは難しい子だから」って言うだけだ。
でも、一緒に遊んだレイは素直で優しくって、難しいところなんかない。
『気になるならレイに聞いたら? ちゃんと正面を見て話してみたら? ヒトは言葉で分かりあうんでしょう?』
キュイキュイと冷たい鼻を押し付けてジロウが言った。
うん、そうだ。
どうしてって聞けばいい。教えてくれなくても、オレと一緒に店に行けば許して貰えるかも知れない。
幸い、ソラの見えにくくする魔法が効いている。
気がつけば、オレはジロウの背にまたがっていた。お願い、ジロウ! レイの後を追って! きっと追いつく。
雨上がりの道をクンクンとジロウが案内する。真っ直ぐに進む道だからザブンと水溜りにはまったり、馬車に水をはね上げられたりする。
オレ達は魔法で乾かせるけど、レイはきっとずぶ濡れだ。村でも王都でも、平民の家には普通、お風呂なんかないことを知っている。風邪、引かないかな? 心配だ。
『コウタ、ここから馬車に乗ったのかな? 匂いが消えたよ』
ジロウが首を傾げている。馬車? 誰か知り合いが? そんな人がいるのかな?
ドキリ。不安がよぎった。
「ジロウ、おかしいよ。馬車、その馬車の匂い、追える?」
『うん、馬の匂いを辿るよ』
ここはまだ貴族街だ。クンクンと匂いを追うジロウ。路地に入り、くるり回って大きなお屋敷の塀の横を歩いて行く。
「あれ? ここさっきも……?」
『うん。変なの。同じところをくるくる走って、また戻って……。なんかよく分かんなくなっちゃった』
キュイーーン、項垂れるジロウにオレはサッと血の気が引いた。そんなのおかしい! レイ! どうしちゃったの? 何が起きているの?
佇んだジロウからするり飛び降りて、オレは空を見上げた。傾き始めたお日様にどくどくと不安が高鳴った。