129 ひぃいい!
「ひぃいいいい。坊ちゃん、お許しください」
叫んでいるのは料理長のディーナーさん。筋肉ムキムキのマッチョさんなのに、とっても慎重派。オレのご飯を可愛く飾りつけてくれる気配り上手な料理人だ。
卵とお砂糖を混ぜた小麦粉の生地にミルクをたっぷり入れて伸ばしているんだけど、一つ作業するだけでこの調子。生地をトロントロンにするだけなのに、そんなに怯えなくても。
今朝は雨。
だからかな? いつもの時間になってもみんなは起きてこない。きっとオレが寝た後でみんなで酒盛りパーティーをしていたんだ! だって執務室からいい匂いがするってジロウが言ったもん。
きっと二日酔いだからね、朝ごはんにパンケーキを焼いて貰おうと思ったんだけど。
「ひぃい。 坊ちゃん、焼くのはこんなフライパンでいいんですか? パンはオーブンで焼くんですよ〜。 それに、こんなドロドロ、美味しいんでしょうか?」
もう! 美味しいって言ってるのに! ほらほら、バターを溶かして! そうしたら濡れ雑巾の上にフライパンをジュッとして!
「坊ちゃん、危険です。 雑巾が燃えます」
「燃えない! こうすると綺麗に焼き色がつくんだよ」
文句を言いつつ、言われた通りに焼いてくれるディーナーさん。ほら、薄いからすぐ焼けるでしょう? ここに、ハムとお野菜を乗せて、クルン。お食事パンケーキの出来上がり。
だけど、やっぱりあの味が欲しいな。
「ねぇ?」
「ひゃぁっ、なん、なんでしょう、坊ちゃん」
「卵、ボールに割って」
「へ、へい!」
いちいち怯えなくても。オレは柄の長いフォークを持って構える。ぐるぐる混ぜたら、お塩を入れて。
「あのね、白っぽくなるまで混ぜて欲しいの」
「へ、へぇ……」
後ろで見ていた助手さんにも手伝ってもらうよ。
「助けてくだせぇ! 無茶です。ディック様は酸っぱい味はお嫌いです。私の首が飛びます〜」
「大丈夫、首なんて飛ばないよ! それに、そんなに酸っぱくないから」
お酢を入れるだけなのに、こんなに腰が引けること? 涙目になること? じゃあ油を入れるって言ったらどうなっちゃうの?
「うわぁぁああ、勘弁してください〜。坊ちゃん、卵も油も貴重品です。村ではどうだったか知りませんが、お願いですから、もうやめてください〜」
「もう、このまま終わっちゃう方が無駄になっちゃうの! オレ、頑張るから手伝って」
オレが手伝えるのは口ばっかりだけれど。ほそーくゆっくり、糸のように油を垂らして、かき混ぜる。しつこく優しく。美味しくなあれてって念じながら。
とろりん、もったりいい感じ。乳白色の液体が艶を帯びたら完成だ。指でそっとひとすくい。うん、酸味控えめ! 美味しくできたよ。マヨネーズ!!
パンケーキの野菜にとろりと垂らして、はい、どうぞ!
「えぇ? 私からですかい?」
「うん。まずはディーナーさんがお味を確かめてみて? 美味しいって分かったら安心して作れるでしょう」
不審がるディーナーさんの口に丸めたパンケーキを押し付ける。ディーナーさんは観念したようにフングと頬張った。
「・・・・・・・・・」
「……どう?」
横目で覗き込む助手さんの方を振り向き、残りを助手さんの口にフグッと押し込むデーナーさん。押し込まれた助手さんは、目を白黒させ、隣の助手さんにフグ! フグフグリレーのその後は、ガシとフライパンを掴み、ジュッと音を立て、とろり生地を流し込む。
ディーナーさんも助手さん達も、みんな無言で焼き始めた。ううん、新たに生地を追加で仕込み、みんな黙々とパンケーキを量産し始めた。よかった! 気に入ってくれたみたい。
焼き上がったパンケーキに蜂蜜をトロン、ナッツとドライフルーツを散らす。オレは甘いのも好き! 今度はナイフとフォークで小さく切って食べる。ソラ、美味しいね! 甘い味はソラも大好物だ。
「ちょっと失礼しやす」
横から伸ばされた手、手、手。あぁもう! オレの蜂蜜パンケーキ。あっという間に食べられちゃった!
幾つかあるコンロにどんどんフライパンが並べられ、作る側から野菜巻き、肉巻き、蜜かけと手際よく色とりどりに色んなお味のパンケーキが並べられ、料理人さんたちのお口に吸い込まれていく。
ちょっと、待って待って! これ、ディック様に食べさせたいんだけど!
「すいません、自分、おかしくなっていました」
我に返り、厨房の床に正座する料理人たち。汚れるよ? 謝罪なんかいいから、ディック様が起きる前にたくさん作って!
「あのね、パンケーキは自分で具を乗せるのも楽しいの! さぁ、どんどん焼いて! ディック様に食べて貰おうよ」
「坊ちゃん、承知です! みんな、命を賭して焼いて焼いて焼きまくれーー!」
「「「「 おー! 」」」」
団結した料理人たち。ディック様もアイファ兄さんもものすごく食べるもの。たっくさん焼いてもらうんだ。
ディーナーさんたちが活気を取り戻したからもう大丈夫だね。オレはトテトテと部屋に戻る。ディック様を起こすんだ。
ーーカチャ。
寝室で豪快に寝入っているディック様の上によじよじ登る。ふふふ。薄茶の癖毛がぐわぁと広がって魔物みたい。じょりじょりする眉毛を指でなぞってみる。伸びたお髭に気をつけて、ほっぺをペチペチ叩いてみる。
「ぐわぁおおおおおおおおお」
ーーーーぎゃぁあああ?!
突然飛び上がった魔物に驚いてひっくり返る。
「なんつー声を出すんだ。こっちがびっくりするわ」
ドキドキと跳ね飛んだ鼓動に動けなくなってしまった。首根っこを掴んで宙ぶらりんにされるとポンと上に投げられてからのギュッと抱っこだ。
「おはようだよ! もう遅い時間だけど。今日はね……」
続けようとするとクンクンと匂いを嗅がれて大きな口をアーンと開けられた。
「もう、食べるのはオレじゃないよ! 朝ごはん!」
「そうか? お前、いい匂いがするぞ。朝ごはんはコウタってやつか?」
もう、ふざけ過ぎ〜! オレはシュタッと腕からすり抜けてぴょんと跳ね回る。
「今日はパンケーキっていうの。ふかふかでやわやわでいい匂いで。好きなものいっぱい乗っけて食べるんだよ!」
ディック様の長い足を掴んで言うと、ディック様は上機嫌で笑った、
「やっぱお前じゃねぇか。やわやわでいい匂いなんだろう? じゃぁ、いくか?」
「もう! お顔洗ってお着替えしてからね! オレ、アイファ兄さんを起こしてくるからーー」
「喰われんじゃねぇぞーー」
「きゃぁ、あはははは…………」
パタタと走って部屋から部屋へ。
雨だけど、今日はきっといいことがある。そうだ、今日はレイが厨房を手伝うって言ってたっけ。オレは上気する頬を桃色に染め上げてはしゃいでいた。