128 エサ
「悪な……。起きてたか?」
無骨な大きなグラスに、なみなみと注がれた琥珀色の酒をごくりと飲み干した男が言った。 村より幾分か広い執務室だが、総勢が集まれば手狭になる。中央テーブルに慌ただしく用意された軽食を前に、皆、神妙な顔つきで主の言葉を待つ。
「何だ? こりゃ?」
机上のパンに目をやるとむんずと一つを掴んで口に運ぶ。
「ほう。いいじゃねぇか。最近の流行りか?」
「コウちゃんが教えてくれたの。サンドイッチよ。ソースを工夫するといいって言ったから、ほら、料理長が幾つか作ってくれたわ」
「へぇ、肉がそのまんま挟んであるじゃねぇか。案外葉っぱも喰える」
サーシャが勧めるがままに、皆は次々と手を伸ばす。
皿の中央には一枚のカード。筆のような物で描かれた一本のオレンジの線。
穏やかな談笑の中、皆の表情は硬い。
「コホン。 時間がありません、ディック様。 食欲の方、まだ戻られていないようですね。 確認を」
タイトの言葉に、両手に持ったサンドイッチを慌てて口に含んだ男は、手に付いたソースを舐めながら目を走らせた。
「あー、いいか。三十分だ。情報をくれ」
ニヤリ笑ったその顔に、一同は警戒しつつもあえて語気を強くする。
「今日は、俺たちゃギルドに缶詰だ。主に昨日のトカゲモドキについての尋問だな。街中依頼を受けていたから、まぁ、あの惨事でどうなるかって問題が主だ」
アイファに続き、キールが使った魔法について尋問の様子を事細かに伝える。ディックは腕組みを崩さず、難しい顔で聞いていた。
クライスは学校区で被害状況と古代学者としての見解を報告。最後にサーシャがギガイルの店での出来事を伝えた。
「そうか……。皆、一日も早く身体を戻せよ」
険しい顔を崩さないディックに、サーシャが上目遣いでおずおずと申し出る。
「あなた……。何か気になることでも……?」
タイトと目を合わせたディックは、皆に落ち着くように前置きをして、絞り出すように言葉を吐いた。
「アイツの、コウタの申請が……却下された」
一瞬の沈黙。
床に崩れ落ちるサーシャをクライスが瞬時に支える。椅子を蹴り倒し徘徊するアイファ。
「な、なんで? はぁ? 訳わかんねぇ?」
「父上、そんなことってあるんですか?」
「皆様、お気持ちはお察しします。どうか落ち着いて……」
御するタイトにアイファが喰ってかかるが、執事の握った拳の震えを感じて、突き放すように背を向けた。
「あー、俺は風呂に行く。寝ろ、一旦、みんな寝ろ。分かったか? クラ! 」
ギリと奥歯を噛み締めた者は誰だっただろうか? 家族らは散り散りに自室に戻った。タイトも使用人らに今夜は各部屋に近づかぬよう言い付ける。
暗く重苦しい雨音が静まり返った館に鳴り響いた。不届きに覗き潜む輩の半分は何処かに報告にでもいくのだろう。不穏な雨はまだまだ降り続く。
程なくしてクライスの部屋に皆が集まる。クライスは夜遅くまで勉強や研究に勤しむことで有名である。煌々と漏れる光は日常の景色。常になく慎重に気配を消して集まる主達。
魔道具の灯りを部屋に残した者、あえて消した者。眠れぬ夜を想定した偽造を施す面々。
魔道具とシールドで防音の効果を高める。ぐっすりと眠るコウタもイチマツに抱かれてきた。
「兄さん、気配は?」
「分かんねぇよ。こーいうのはニコルの仕事だ。だが、下手な奴じゃねぇな」
「ああ。おそらくプロだ。まぁ情報に特化した奴だろう。俺たちも舐められたもんだ。いいか? 各々に餌は撒いた。食いつくなら数日中だ。気を抜くな」
ディックの言葉に神妙な面持ちで頷く。
「それにしても、珍しい手だ。資産家や権力者でもない子の縁組を許可しないなんてあるのか?」
思案気にキールが口を開く。
「聞いたこともありません。資産や私軍が増える訳ではないですし。 父上、王とは話さなかったのですか?」
クライスの問いに、ディックは湿った髪を拭きつつ応える。
「んなこと聞けっか。 まぁそこまで話が行っているとは思えん。 正確には保留ってことだが、エンデアベルトへの嫌がらせは、その一点しかなかったってことだ」
「合法的な嫌がらせってことでしょうけど。それ以外にメリットはないわよね?」
ベッドに寝かせた幼子の髪をサラと撫で付けるサーシャ。
「ギガイルの店での店員は知っていたってことでしょうか? 彼女の言葉から察するに、上級貴族が関わっているかと」
イチマツが数名を挙げると、眉間に皺を寄せたアイファが意見を述べる。
「俺たちへの嫌がらせならいいが……。コイツの囲い込みちゅー可能性があるぞ。 あのトカゲ野郎の時にコウタの魔法を目にした奴は多い。誤魔化すのにキールの尋問は相当に面倒だった。教会も騎士団も、魔法研究家もアイツの有用性に気づいたんじゃねぇか?」
「ああ。不審がられて、俺たちはギルドマスターのお見送りつきだったからな」
自笑する笑顔すら硬いキールに、イチマツがため息をつく。
「ですが、昨日の今日、まだ尋問中のこと。旦那様に結果をお伝えするには早すぎるタイミングじゃありませんか?」
「ええ。ですから我々も驚いているのです。前例がありません。本来、勲章までいただいている家柄です。優遇されるべき事案かと」
タイトが幾つもの書類を確認しながら頷く。
「古代学の教授もコウタを随分気に入っていた。誰だってそうだろうけど。 僕は教授と色々話したけど、学者や研究者からの圧力は教授がうまく逃してくれるはずだ。うーん、裏から手を回されちゃ分からないけれどね」
「クラがそう言うんなら、学校区方面からの触手はセーフってことか」
ディックが腕組みをして聴き入る。
「ですが……。ディック様はじめエンデアベルトの強さ、栄誉、そして自治領としての立場を良く思わない者が多いのは事実です。屋敷の者の調査を含め、信用し過ぎませんよう御用心ください」
「……だな。 狙いさえわかりゃ対処もしようがある。数日待って動きがなきゃコウタ狙いだ。作戦を練り直そう」
タイトとディックに皆は静かに頷いた。皆は万歳のように両手をあげて身じろぐ幼子に目を移す。
クライスはふふと頬を擦り付け、幼子をディックに渡した。柔く暖かく乳臭い。とろける薄茶の瞳をニヤニヤ眺めた人影は、真っ暗な廊下をヒタヒタと気配を消して部屋に戻った。