122 洗濯場の少年
「母上、調子はどう? 大丈夫? 」
「えぇ、コウちゃん、こっちに」
「ああ、よかった。あったかい」
ベッドで横たわるサーシャ様が求めるまま、オレは身体を預ける。すりすりと桃色の頬が擦りつけられて、しゃらしゃらと髪の毛がかき混ぜられ、胸が潰されるほどにぎゅっと抱きしめられる。
ふぅ。今朝からもう四度目だ。
兄さんの学校で大事件に巻き込まれたオレ。盛大な勘違いもあったようで帰宅してからが大変だった。
風呂に連行されたオレは、ディック様に穴が開きそうなくらい身体を調べられ、怪我がないか、痛いところはないかをしつこく念入りに確認されたし、サーシャ様はショックで倒れてこの有様。ミルカは怒って口を聞いてくれなくなったかと思えばストーカーのようにオレにへばりついてくる。
アイファ兄さんとクライス兄さんは慰問に訪れた騎士達に問い詰められ、今日は朝から事情聴取だって。
うーん、王都って大変なところだね。ディック様が嫌がるのが分かるよ。
オレは心配症になったサーシャ様にすぐに呼ばれるから屋敷の中で遊んでいる。
今日は探検だ。モルケル村より広くて豪華なお屋敷は一周するだけでもくたびれる。迷子になりそうだからジロウの付き添いは必須。
ちなみにプルちゃんはサーシャ様の火照った頭と不安な心を癒すためにぴったり寄り添って頑張っているんだよ。
ここは応接室かな? こっちが食堂で、サロンに図書室。 執務室と応接室かな? メイドさんの控え間に、小さいキッチン。大きな厨房。特別変わった部屋はなさそうだ。
退屈になってきたオレは裏庭に向かう。村より随分小さい裏庭だけど、馬場に花壇、ちょっとした散歩くらいなら十分。村の兵士さんたちの訓練場程の開けた広場もあるから、鍛錬だってできそうだ。
「邪魔です。どいてください」
小さく呟かれた子供の声。振り向くとドンクよりちょっと大きい男の子。ザングリと短く切られた髪にツギのあるシャツ。ブカブカのズボンをサスペンダーで調節している貧しい身なり。だけど、シルバーグレイの髪と瞳が執事さんを彷彿とさせる。
「ご、ごめんなさい。あ、あのオレ、コウタって言うの」
「……、知ってる」
「モルケル村から来たの。よろしくね」
ぶっきらぼうな返答に心許無くなって、ちょっとよそ行きに挨拶をしてみた。
「…………じゃねェ」
コトンと首を傾げる。
「あの、なんて言ったの?」
「……どいてください。重いんで……」
ふと見ると大きな洗濯籠を抱えていた。
「あっ、ごめんなさい」
スタスタと進む少年の姿を追っていく。彼は黙って洗濯物を一つ取るとパンパンと振ってシワを伸ばし、張られたロープにかけて木ピンで留めた。そしてまた一つ。タオルや布巾、小さな少年でも困ることのない大きさの洗濯物を、だがしかし、籠いっぱいの量を手際よく干していく。
「……楽しいか?」
不意に止めた手に顔を上げる。シルバーグレイの瞳はとても冷めていて、まるでオレを拒絶するみたいだ。
「数を数えている。あんたが居ると気が散る」
どうしてそんな突き放すことを言うのだろう。オレはドクンとする胸を押さえた。
「盗まねぇようにな。確認させられんだ。坊ちゃんには想像もつかねぇだろう?」
「盗まない……ようにって?」
意地悪い顔で、でもとても悲しい顔で。チッっと舌打ちをして俯いた彼は、小さな布巾をパンと振り鳴らした。
「一生懸命数えたって、十を超えたら間違えるんだ。間違えたらニヤニヤして盗んだペナルティーだってボコられ、給金を引かれる。だから邪魔すんな!」
真っ直ぐに見つめる瞳にオレはジワと震えた。
「誰が……、そんなこと……」
彼は何も言わない。
オレのことを坊ちゃんと言ったから、この館で働いているんだ。ここで……。
ここはディック様の館だ。ディック様はそんなことしない。意地悪なことは嫌いだ。
サーシャ様も、兄さん達だって、みんな優しい。タイトさんもミルカも。
でも……、じゃぁ誰が?
お腹の中をぐるぐるぐるぐる。汚くて意地悪で気持ち悪い思考が渦を巻いた。
「そんな顔すんなって。 此処の奴らじゃねえよ。安心しな」
ピタと動かなくなったオレに気づいて、少年はフッと頬を緩めた。薄汚れたポケットから硬いパンの欠片と小さな飴を出すと、飴の方を一つ手にとってオレに差し出す。
近くの細い木に背を預けて座った彼は、ぱきりと硬いパンを口に含んだ。
「レイリッチ。レイでいいぜ。坊ちゃんよ」
「あ……、ありがとう、レイ。オレもコウタでいいよ」
とっておきだろう少し砂がついた飴を口に含む。ほんのり酸っぱい香料が舌を刺激してレイらしい気がした。オレはゴソゴソとポケットを弄るふりをして、空間魔法から紙に包まれたクッキーとキャラメルを取り出して差し出した。
「あんなぁ、坊ちゃん。いくらなんでも貴族様を呼び捨てには出来ねーよ。それに……、先に名乗るんじゃねぇ。舐められるし、お館様にしかられっぞ?」
ゴシゴシと頭を掻いておやつを受け取ったレイはニカっと子供らしく笑った。
「俺を雇ってんのは服屋のギガイル。俺がボコられるのが面白いからって息子を寄越して見張ってるだけだ。もういいだろう? あっちいけよ」
タッと立ち上がり、黙々と作業に戻ったレイ。
「……、ディック様は、ディック様はそんなことで叱らないよ。村ではディック様だって呼び捨てにされていたもん」
オレは濁った空を見上げて瑠璃の鳥を探した。手を伸ばせば、パタとオレの肩に止まる。
「ねぇ、ソラ。一緒に数えよう」
さわさわさわ。暖かで優しい風がフゥと吹き抜けた。数本の紐にはためく洗濯物、レイが干し進むそれをソラと一緒に数えて、再び乾いた風を当てる。ジロウもタオルを加えてパンと振れば、ほら、もう終わるよ。
「な、なんでだ?! 今干したやつがもう乾いてやがる」
「うふふ、レイ! オレの親友ソラと従魔のジロウ。プルちゃんはまた今度紹介するね! あっ、それから洗濯物は五十二枚だよ。ソラと数え合ってピッタリだったから正確だよ」
「はぁーーーー?!」
立ち尽くす少年をそのままに、今度はみんなで洗濯物を取り入れる。角をピッタリ合わせて。歪んだところはちょっと熱風を当てて。丁寧に大きさも向きも揃えて畳んでいくよ。
オレとジロウの熱魔法でサクサク終わらせれば、メリルさんなら絶対に褒めてくれるレベルの仕上がりだ。
「お前、いや、坊ちゃん……。す、すげぇー」
くしゅくしゅと撫でられたその手は骨が当たって細く頼りない。日焼けした笑顔は村の子供とおんなじで、きゃぁきゃぁと笑った。
ーーーーバン!!
「おい、レイ! 何がおかしい」
洗濯場の戸を乱暴に開けたずんぐりした青年。ソバカス顔に豪奢な趣味の悪い刺繍服。ーーーーこの人が!
オレの喉がグッと閉まって熱くなる。レイに意地悪する人だ。対峙するオレとは対照的にレイはすいませんと頭を下げる。
オレのそばにメイドさんが駆け寄って、その場から離そうとしたけれど、俺はガンとして動かない。だって、レイがボコられたら嫌だもの。
ーーーーあれ? でも、ボコるって、な、に?
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