118 ちょっと
「さぁ、もっと力を込めて、ワンツーワンツー」
グリグリ、グリグリ。
「脇を締めてー、力強くー、丁寧にー、はい、ワンツーワンツー」
ふりふりハートのエプロンをつけてすり鉢でゴリゴリ、グルグル。汗だくになってカカオを擦り潰すのはオレ。軽快なリズムを取るレイナさんの隣でミルカはへそ天になったジロウをモフモフしている。
ここは古代学研究所の一室。一番偉い教授先生の部屋はまるで家のように幾つもの部屋がある。実験室のようなキッチンに訳の分からない遺跡品や調理器具があるかと思えば、床には贅沢なモフモフのラグ。傍に大きなソファー、天井には豪奢なシャンデリアと色々な物が置いてあって混沌とした不思議な空間だ。
いいな〜、オレだってジロウをモフりたい! オレは早く終われるようにこっそり金の魔力を溢れさせて圧をかける。ほらね、パサパサの粉がじっとり濡れてきたでしょう?
「へ〜、こんな風にねっとりなるんだ。あ〜、この記述って温度ね。ちょっと温めるってこと? じゃあこの絵は砂糖で、うわ〜、こんなに入れるんだ」
オレのそばでカカオの状態を確かめたレイナさん。古いボロボロのページとオレのすり鉢を見比べながらメモをとる。
「もういいでしょう? オレ、もうくたくたなんだけど」
ぜいはぁと息を切らしながらすり鉢を渡して、床に転がった。レイナさんは慣れた手つきで砂糖やミルク、バターを加えてチョコ作りにいそしんでいる。
飛び散ったカカオの粉がついた顔をベロンと舐めたジロウは、ブッと顔を歪めて、ミルカの前に伏せると尻尾をパタタと揺らして撫でてとまた催促だ。うらやましい!
「いや〜、こりゃ驚いた。悪いなクライス。こいつは最高の土産じゃ」
ご機嫌なお爺さんがオレを抱き上げると、クライス兄さんは慌ててオレを取り返した。
「あげませんよ! コウタは弟です。ちょっと相談したかっただけです。もう2度と連れて来ませんからご安心ください!」
ピリピリと怒っている兄さんに、オレはぎゅっとしがみつく。
『先生』と呼ばれるお爺さんはオレの空間収納を確かめると、後ろを向かせ、髪を触り、口の中をあーんと観察し、コキコキと首を傾げる。あれ? 疲れているのかな? ちょっとだけ、と金の魔力を送れば、さっき見た悪い顔でニッと笑った。ドキリ!
瘦せた身体をやれやれと持ち上げてカーテンで仕切られた奥まった一角で来い来いの合図。クライス兄さんが頷いたのを確認してとてとてと寄っていく。
わぁ、すごい! 懐かしいものがいっぱいだ。どれも魔力が抜けていて、部分的にしか残っていないから多分なんだけど。(兄さんから魔法は使うなって言われてるから、魔石に魔力を注ぐのはやめたんだ)
本で見たカメラやピーラーはもちろん、兄さんの部屋で見つけたマイクの欠片、スマホっぽい残骸にシャワーヘッド。父様が大切にしていたのと同じ素材の本。ありふれたカトラリーや調理器具も遺跡品になるとこんな風になるんだね。
オレは無造作に広げられたガラクタのような遺跡品を這いつくばって手にとっては戻し、クスリと思い出に浸る。ここは古代文明を調べる研究室なのに、とても古いものばかりなのに、どうして山の暮らしで使っていた道具がいくつもあるのかな? 不思議だね。
「ちょっとボクゥ~? この後なんて書いてあるの~?」
今度はレイナさんがオレを呼ぶ。
遺跡から出てきた、おそらくレシピ本。その古代語を解読しながらチョコレートを作っている。とっても不思議なんだけど、オレは図の横にちょっと書かれたメモのような言葉がなんとなく読めるんだ。だからさっきから協力させられているのだけれど。
でもね、オレだってチョコの作り方なんて知らないよ。何度か食べたことはあるけれど。ちゃんとできる自信なんかないから。
「お~い、ちょっと来い。坊よ、これはなんじゃ?」
ああもう、さっきからオレは大忙しだ。レイナさん、それは水分を入れちゃ駄目っていう注意書き。お爺さん、それは氷嚢! お熱の時に頭にのせて冷やすと気持ちいいんだよ。
グテングデンと身体を伸ばし、思い切りリラックスしてモフモフされているジロウを横目に、ポヨヨンポヨヨンとレイナさんの横でカカオのボールを冷やしているプルちゃんを横目に、オレはくたくなになりながら狭い部屋の中を走りまわっている。その時ー---
ー-----ドカン!
プシュ~プシュ~プシュ~!
『プギー! プルルルー』
レイナさんが手持ちのボールを爆発させた。驚いたプルちゃんがオレの頭にヒュンと転移してきたよ。
「わぁ、プルちゃん?! レイナさんも大丈夫? 何で? お料理していて爆発するなんて・・・」
急いでキッチンスペースに向かう。真っ黒い煙をぷすぷすと身に纏ったレイナさん。頭を掻き掻きニカッと笑う。その顔ってニコルみたい。
「あー、びっくりした。だって一度下げた温度を今度は上げるって書いてあったから。面倒だから爆弾岩のかけらを放り込んでやったんだ。いやー、参った参った。ちょっと多かったね」
ああ・・・、そう。爆弾岩・・・。多い少ないの問題じゃないのだけれど。オレ達はじっとりとした呆れた目で見つめ、深く深くため息をつく。なのに、懲りてないこの人はまた初めからやり直すのだとオレの魔法を当てにした。
「ほら、そこはさっき言ったよ」
「必死にやってると忘れちゃうよ」
すり鉢を持ってグリグリグリのグリグリグリ。ああ、もういいや。言いつけを破ってごめん、兄さん。
くたびれ果てたオレは、すり鉢たちがふわり優しく発光したのを合図に、彼らに全てを任せてふぅとジロウに大ジャンプ。
ここを投げ出したことを悟ってくれたレシピ本もジュワリ音を立てて光ったかと思えば、古代文字をぞろぞろと今の文字に書き換えてくれた。なんだ、できるんだ。だったらオレなんていらなかったね!
「わ、わ、わわわわわわ! ちょっとちょっとボクゥ? えっ、えっ? クライス? 何、これ?」
「うをををををを! レイナ何やっとるんじゃ! 貴重な古代文字が?! いや、読めるようになりゃ翻訳が、、、いや、そんな場合じゃない! 止めるのじゃ」
「む、無理~~~~! ボクゥ、何とかしてぇ?」
慌てる二人をちらと見て、オレは知らんぷりを決めこむんだ。だって、オレ、何もしてないよ。お願いだって、ちょっとだけしたけど。あとはみんなが勝手に動いてくれてるんだもん。
ふわふわでサラサラの漆黒と一体になったオレは、上目遣いにミルカを見る。ふいにかち合ってしまった瞳。ニッとアイファ兄さんを真似て笑った。
あぁ、ジロウは温かくて気持ちいいね。すんすんと匂いを嗅げば、さっきのミルクの香りがする。ジロウもオレをフワと抱きしめ、しっぽの先も使って優しく包んでくれたんだ。