111 勲章
「良い。 楽にしろ」
威厳に満ちたよく響く声に、人々はそっと顔を上げる。声を発した人物を不躾にまじまじと見つめる機会は今までにあったであろうか。いや、あるはずがない。
王城で政治を司る王が、街中に繰り出すことは皆無で、あったとしてもお忍びだろう。王たる立場を民に晒すはずもない。
仮に政務の一翼で王都を出るにしても、おそらく身分は伏せられて出立するため、このように民衆の中心に姿を現すことなどは、本来あってはならないことだ。
だが、今、彼はここにいる。
守るものにとって一番困難だろう時間帯。薄暗い夜は多くの明かりを灯したとしても相手の顔も動きも把握しづらい。
もしやあの王は偽物かもしれない。ふと頭をよぎった者も多くいるだろう。だが、おそらく本物なのだ。不敬な考えを払拭する存在があるのだから。そう国の英雄が今、帰還したのだ。
幾度となく他国軍を退いた華々しい実績。軍でも敵わない魔物をその身を挺し、死闘の末に討伐した過去。称賛されるべき御身を決してひけらかさない謙虚さ。
伝説級と称される英雄が王都に凱旋したのだ。その出迎えに偽物の王を寄越すほどこの国は腐ってはいない。
だからこそ、人々はじっと待つ。王の言葉を。王が英雄にかける言葉を静寂を持って待ち、のちに嬉々として歓声に変えようと。
ーーカツン。
杖が床を打ち鳴らし、王が静かに立ち上がる。
「皆の者、聞け! 英雄が凱旋した。 ただ昨晩に、脅威となった古代獣を倒し遺跡街カスティルムを救っての凱旋だ。これほど嬉しいことはない」
うおおおおおおおおお
王の言葉を聴き、歓喜を上げる民衆たち。拳を突き上げ肩を抱き、後の世まで語り継がれるだろう瞬間に立ち会うことができたと興奮は高まる。
サッと挙げられた手に、再び静寂が訪れる。皆は知っている。これから何が起こるかを。
「ディック・エンデアベルト辺境伯。前に」
「はっ」
呼名と共に一瞬伏せた頭を、キリリと挙げて前を見据える男。片腕を胸に忠誠を誓い、静かに歩み寄る薄茶の瞳は闇を捉えて漆黒に輝いている。つい先ほどまで嫌だ無理だと駄々を捏ねていた人物だとはとても思えない。
カツ、カツ、カツ、カツ。
数多の群衆が見守る中で、くっきりと靴音が鳴り響く。そして王の前までゆっくりと歩み寄る。照らされた明かりを虹色に反射させたマント。その堂々たる姿はまさに英雄といえよう。
この男が、つい先ほどまで馬車の中で布団をかぶって駄々をこねていたとは誰が思うのだろうか。
「昨晩の英雄がもう一人、クライス・エンデアベルト」
「ははっ」
クライスはふふと笑みを漏らしてコウタを見、さらりと金髪を煌めかせてディックに続く。
あれほどまでに怖がって泣いていた幼子は、高みに歩み進む漢達に羨望の眼差しを送った。
「危険を顧みず、街を、民を救ったこと、感謝する。今、二人の栄誉を讃え、勲章を授ける。 その名も……ミツクビヒーロー勲章である」
うわああああああ
膨れ上がった歓声は人々の頬も心も高揚させ、熱を帯びて広場を震撼させた。
(( なんじゃそりゃ? だっせぇ ))
瞬時に崩れ去った栄誉。心の内を悟られないよう、真面目に勲章を受け取った二人。拍手喝采、歓喜の嵐にキリリと手を振って応えた。
▪️▪️▪️▪️
「チッ、やられた。 やっぱ来るんじゃなかったぜ」
ふかふかのソファーにもたれ掛かり、ローテーブルに足を投げ出した英雄は、小指で鼻を掻きつつ、だらりと寝転がっている。
オレ達はサプライズの受勲式で機嫌をよくした王により、王宮に招かれている。今日はここでお泊まりするんだよ。
「カスティルムで目立ってしまったからね。予定外だったけど、このまま報告を終わらせてしまえばいいよ。手間が減って良かったじゃない?」
重そうな勲章付きの上着を脱いでサンに渡すクライス兄さん。
「でも王様だよ? 王様から勲章を貰ったんだよ! 凄いよ、凄い! オレ、初めてディック様を尊敬できたよ」
興奮冷めやらぬオレの言葉に、スポンと靴を脱ぎ飛ばして不機嫌さを募らせた。
「なんだよ、初めてって」
あわわと口を塞いでみたけど飛び出した言葉は戻らない。オレは慌ててジロウのふかふかの毛に飛び込む。
丁寧にブラシをかけられた毛はいつも以上に艶めいて柔らかさともふもふ感が最高に仕上がっている。ふごふごと匂いを嗅げば、温かなお日様の香りで落ち着ける。ふにゃりと溶ろけた顔にサーシャ様が手を伸ばす。
「あなたがいつまでも逃げ回っているから、噂に尾ひれがついてこんなことになったのよ。自業自得です。それより、王宮に泊まることになるなんて……。ドレスの手配が間に合うといいけれど…」
サーシャ様の心配は別のところにあるらしい。
だけど、噂? 尾ひれ? オレはちょっとだけ好奇心をくすぐられる。
「ねぇ、噂って?」
「ああ、父上が他国軍を圧倒的な勝利で制圧したってことかな?」
「ちゃんと壊滅させたじゃねぇか」
不貞腐れてあぐらをかくディック様。何万の軍だったと有名な話だ。制圧したのも相当数の兵がいたことも本当。
隣領で海竜の群れが出たと聞いたディック様。喜び勇んで私兵を連れて海に出た。そんなことより仕事をしろと執事さんも追いかける。二人は一日勝負の賭けに出た。
大きな魔石を手に入れた方の言うことを聞く。
執事さんが勝てば撤退だ。
そこでうっかり敵国の船団を発見。敵国にとってみれば秘密裏に進軍をしたのに何故分かったのか、発見されるまでに随分あるはず。訳が分からず大混乱。
海竜が群れでいたからじゃん♩のディック様。
海竜の脅威と暴君の脅威。どちらも理屈は通用しない。敵兵の皆様、ご愁傷様。
海の魔物は討伐されれば海に沈む。その魔石を獲るために進路を塞ぐ船の上にに片っ端らから落とすように狩る。獲物が力尽きた直後を逃さず総出でガッツガッツと魔石を取れば、不要になった船はざんざか藻屑と散っていく。
一方、こちらも負けられない執事さん。他軍、海竜、ディック様、誰彼構わず魔法を放ち、ドゴンドゴンと船の上へ。ザックザックと魔石を集める。その勢いは止まらない。
統率をとって進軍する兵と、ただひたすらに魔物を追い回す暴君と、主君さえ区別しない無差別攻撃の執事。
追い回され、仲間を呼び、呼べば呼ぶほど喜ぶ相手に混乱する海竜。
一日たたずに決着し、勝ったのは主君の兵を味方につけた執事なのだが、そこは当然語られない。
ディック様は強い。正しく強い。だけど、だけど、残念感が募るのは何故だろう?
王都に届いたのは隣領からの結果のみ。
『 いち早く、敵国の動きを察知した辺境伯が、私兵と共に数万の兵を撃退。我が国は一切の損失なく救われた 』
かくして武勇伝その1が、恩を感じた隣領の領主によって脚色づけられ、王の耳に届くことになる。
「 あの後素直にこっちに来てみろ、きっとカイリュウ英雄勲章か、敵を沈めたねかっこいいよ勲章だ。 んなもんいるか! 美味くねぇ」
確かに残念感漂う勲章だ。要らない。
「他にも死闘を繰り広げた魔物っていう話もあるよ。確か、ドラゴンのことだよね?」
兄さんが確認すると、顔のパーツを中央に寄せた最高に嫌そうな顔をした。
「ええ! ドラゴン? それって龍爺みたいなの? それとも全然違う感じ?」
わくわく胸が高鳴って、ジタバタと足踏みをして聞いてみた。だけど、ぴゅうと室温を氷点下に変えたサーシャ様の微笑みにブルルと誰も突っ込めない。
「さぁ、お食事をいただきましょう。ご飯を食べたらコウちゃんは寝る時間よ。昨日も今日も夜更かしするのは良くないわ」
疲れているだろうと、隣室に用意された家族水入らずの食事に舌鼓を打つ。いつかドラゴンの話を聞かせてもらおうとほくそ笑んだオレは、お約束のようにデザートまで辿り着けずに夢の中へと足を踏み入れたのだった。