010 小さな青い鳥
もうすぐ本格的な冬に差し掛かるという季節がら、今日はいつもよりも冷え込んでいる。焚べられたサロンの暖炉は暖かく、ソファーの上にはラビが伸びてくつろいでいた。
オレは元気を持て余して、不機嫌にわしゃわしゃとラビの体中の毛を撫で回し、長い耳を顔に擦り付け、クンクンと臭いを嗅いでみる。
動かない。
ときどき迷惑気に片方の目をうっすら開けるだけのラビに、早々に見切りをつけ、オレはとてとてと当てがわれている客室、もとい自室に向かう。
領主館は中世ヨーロッパ風で随分昔に国の支給のもとで建てられたため、どこの領主館も似た造りになっている。普通は数代に渡って様々な改修や増築が施されているが、ここは調度品や景観など代々無頓着な領主のおかげで全く手が加えられていない。
いや、時々やらかす領主らの都合で、いくつかに分断された建物は兵舎になり馬屋になりと居住空間を減らしてはいるが、王都から随分離れた辺境に貴族の来客があるはずもなく、最低限の豪奢だが味気ない家具で事足りている。
とはいっても、コウタは山暮らしだった。雲が湧き上がる遥か上空の険しい山では簡素な山小屋がせいぜいで、博識の父が地下洞窟に大量の本を集めた書斎があっただけ。自分の部屋など考えたこともなく、当てがわれた客室をことの外気に入っている。
日当たりがよく、館の荒野に申し訳程度に作られた花壇が見える窓を開け放し、花壇の先に見える森と少し濁った水色の空を眺める。ヒューと冷たい風を浴びると、大好きだった山の暮らしを思い出す。
気付くとポトリ。いつの間にか頬を伝う涙を慌ててゴシゴシ擦り取る。ーー大丈夫。頑張れるだけの力はつけて貰ったもの。
あの日、父様と母様はとっておきだという鎧をオレに着せながら話してくれた。
ーーもし、離れ離れになったとしても、幸せを見失わないで。あなたには出来るでしょう?
どんな状況になってもきっと生きていける……。
忘れないでね。約束よ……。
オレが大切なものを見失うと父様と母様がオレにしてくれたことが否定される。そんな気がする……。
胸がギュッと締め付けられる思い出に鼻の奥をツンとさせ、ブルルと気持ちを引き締めると一羽の鳥が頭に乗った。
それは薄青色の小さな小鳥。尻尾がちょっと長いけど引きずる程でなく、光を帯びた瑠璃色の嘴。右に左に首を傾げて囁く姿に見覚えがある。
「ピピ、ピピピ?」
「もしかして、もしかして……!」
オレの胸が高鳴る。
「まさか?…………ソラ?」
「ピ!! ピピピピ! ピピピピ! ピピ、ピピ」
そうだよ!と頷くかのような仕草で嬉しそうに羽をはためかせるソラは、懐かしい山の匂いさえ運んできたかのようだ。
「ソラ、ソラ、本当に? ソラだ!」
オレは嬉しくて嬉しくて! 手の平でそっとソラを包むと、ディック様の執務室に向かって走り出した。
バン!!
ノックなんてすっかり忘れてドアノブにぶら下がり、隙間に足を突っ込んでバタン!! と蹴り開ける。勢いそのままにディック様の前に手を差し出すと、息も整えずに話し出す。
「見て! 見て! ソラだよ! ディック様、ソラだよ! 父様の従魔のソラ! オレの友達! 来てくれたの、こんな所まで!」
そっと手を開くと小さな手の平二つに丁度収まる青い小鳥が、こんにちは!と言うかのようにピピと手を(翼を)挙げた。
ディック様と執事さんは目を大きく見開いて驚いたものの、よかったな、と優しい眼差しで微笑んだ。
さっきまでの言い合いがまるでなかったことのように、オレたち三人は額を寄せてソラを見る。小さな指で頭を撫でれば少し長目の羽毛の中に首を引っ込めて目を細める。
うん、この感触、久しぶりだ。オレとソラはどれだけ離れていたのだろう。生まれた時からソラはオレと一緒にいた。こんなに離れていたことなんて初めてだ。
懐かしさにぼんやりしていると、ソラの身体が虹色の光を纏った。
ーーと思うと、ソラは脚を交互に上げて円を描くように踊り出した。手の平がほんのり温かい。
「ピピ、ピピピピ」
ソラが頻りと何かを伝えようとしている。
「何? なあに? ソラ、教えて? 何かあるの?」
いくら聞いても分からない。
するとソラは大好きだよというかのように、艶めいた眼でオレを見つめて、身体を頬に擦りつけてきた。
「何だ、大好きだよって言いたかったの? オレもソラが大好きだよ。 ねえ、ディック様、ソラとずっと一緒に居てもいい?」
「もちろんだ。仲間は大事にしろよ。」
してやったり、ドヤ顔のソラに視線を奪われる。
カチリ。
何かがピッタリと合わさる音がした。
オレとソラをふわりと包み込む、キラキラ輝く魔法の光。ほの温かい血液がオレの身体の外側に流れ込んでくるような不思議な感覚。
『やったわ。コウタと繋がったの…よろしくね。コウタ!』
「あっ、ソラ? お話できるの? オレ、分かるよ! ソラの声、急に聞こえたよ!」
今までは何となく分かったソラの気持ちが、とてもはっきり伝わってくる。
ソラと一緒にキャキャと喜ぶ様子にディック様と執事さんが目を合わせて叫んだ。
「「な、じゅ、従魔契約?」」
椅子から転げ落ちたディック様と額を抑える執事さん。
嬉しいな! オレの生活に新しい光が注がれた。