109 まずい
逃げ惑う人々に逆らって、ディックは検問所に向かった。見張り台を兼ねたここは、塔のようになっていて、門外をしっかり見渡せる。大きな身体を引きずる音は門外の方向から向かって来て、到着するまでにもう少し時間がかかりそうだ。
部外者を引き止めようとする憲兵がディックを確認するやいなや一礼して走り去っていく。王都から随分離れてはいるものの覚えている者がいるのかと自然に笑みが漏れた。
「誰が通した? いや、はっ、申し訳ございません。国の英雄、エンデアベルト辺境伯でしたか。ここに来てくださっていたとは運がいい。ありがたき幸せ」
狼狽えた憲兵長に、ディックはこんな事態で何が幸せかと鼻で笑いつつ目視した獲物に思考を止めた。これは……まずい。
いつか見たドラゴンのように大きい巨体。小山では済まされない大きさの亀だ。頭は三つに分かれていてケルベロスを彷彿とさせる。見たこともない魔獣。
動きを止めようと前に出る冒険者や馬を石ころのように弾き返す。あんな物に只人では障害の一つにもなるまい。
弾ませた息が暴君の隣に並んだ。
ーーコイツも来たか。だが俺と同じで簡単には手は出せないだろう。
「クライス殿! あやつは遺跡からまるで転移のように来たと報告があります! どうかお力を」
憲兵長は古代学研究で一目置かれているクライスを見ると、これで事態が収束に向かうはずだと一抹の望みをかける。
「父上、コウタは?」
「サーシャに預けて来たが、猶予はない」
(時間が経って冷静になれば首を突っ込むぞ)
ーーーー何と、国の英雄をもってしても難しいということか! これはまずい!
冷や汗を流す憲兵長は、自身に打てる手段はないものかと知恵を絞る。
「あの甲羅は物理では無理でしょう」
「お前、アレを知ってるのか?」
ーーーーさすがクライス様だ。対策は? こっそり耳を澄ます憲兵長。
「ミツクビガメ。あれは殲滅する魔物ではありません。どちらかというとお帰りいただく、つまり撤退させる魔物です」
「何だつまらん。もっと洒落た名前にならんのか、まんまじゃねぇか?」
ーーーーディック様! 突っ込むべきはそこではありません、撤退方法を! きっとディックを睨みかけ、その存在に小さくなった憲兵長。
「下手に切ったら怒りに任せて暴れます」
「そりゃまずい。とっととやらねぇと」
(派手に動いて怪我人がでりゃ、あいつの金の魔力が飛んで面倒になるぞ)
「セオリーは甲羅に魔法攻撃。動けなくなったところで撤退してくれればいいですが。引かなければ頭を一つずつ潰します」
「魔法か……。まじいな」
(まんまコウタの獲物じゃねぇか。けどられるなよ)
(もちろんです。父上)
ーーーーそういえばセガ様がいらっしゃらない。魔法使いが不在ではないですか。青くなる憲兵長。
「父上、雷の剣技ができますよね? それで足止めしてください。僕が撤退を促し、駄目なら首を斬ります」
(すごい兄さん、かっこいい! なんて。コウタの賞賛は僕がもらう)
「お前ぇこそ雷撃が得意だろう? そしたら俺がまとめて首を殺ってやるよ」
(道中、かっこいいところを見せたはずなのに引かれたからな。 撤退なんかさせるな。殲滅一択だ。手柄はこっちによこせ)
ーーーー頼もしい! さすがです! とっととやっちゃってください! 憲兵長は一刻も早く蹴りをつけたいと祈るような気持ちで話し合いが終わるのを待つ。
だが二人の話しは平行線だ。俺がやる、僕がやる、お前にゃ力不足だ、一番危険なところは僕が、などと互いに庇い合うい親子。じんと胸を熱くし、感涙する憲兵長。
「あのう、先ほど、お帰りいただくとおっしゃっていましたが、追い払うのですか? それとも退治なさるのですか?」
なかなか動かない二人に痺れを切らした憲兵長はおずおずと伺う。
「「撃退に決まってる」」
ーーーーひぃ! だってさっきは。そう言いかけた憲兵長は二人の迫力に腰を抜かす。
「ケルベロスは頭を残したまま殺っちまうと爆発すんだよ。あれと一緒だと頭を殺るのも魔法だな」
「ええ?! それじゃぁ、魔法使いを用意しなくては……」
「反属性の魔法ですので、幾つかの魔法が使えないといけません。あの巨体だと上級魔法が必須ですね」
「はっ、探して来ます」
「「 待て!!」」
慌てて駆け出す憲兵長に二人の待ったがかかる。
(コウタに聞かれたらまずい! あいつ、自身が来なくてもソラやらジロウやら喜んで仕掛けてくるぞ)
「はっ、ですが……、魔法でないと……」
ーーーーズズズ、ガガガ、ズズズズズ!
ーーーースウ、ブヲーーーー、ドガガガ!
進路を塞がれ、幾つかの魔法を撃たれたミツクビガメが次第に怒りを露わにする。真っ直ぐだった進路が乱れ、たった今、炎のブレスを吐いた。幸い進路が逸れたおかげで被害はないが、アレをまともに受けて仕舞えば災害級の大被害だ。
ワオーーーーーン。
見下ろすとジロウの遠吠えだ。ミツクビガメと対峙している。
「「ま、まずいぞ!」」
(俺たちの手柄をジロウに取られる)
「う、うわぁ、ワイルドウルフのボスまで来ちゃいましたー! 退けー、退けー! 一度撤退して対策を練るぞー」
(グランだよ)
慌てて冒険者や憲兵を撤退させた憲兵長。
王都に近いカスティルムは、憲兵の数が少ない。ダンジョンのおかげで常日頃から冒険者には事欠かないし、いざとなったら王都から軍が派遣される。
だが、今のこの危機は、統率された軍の力でないと難しい局面だ。そして数いる冒険者も憲兵すらも手も足も出ない。
満身創痍。
真面目なだけが取り柄の憲兵長は静かに秘策を練っている(と信じている)二人に運命を任せるほかなかった。
「撃退は無理でも、何とか時間は稼げないでしょうか?」
「はぁ? 時間なんか稼いでアイツが飽きたらどうするんですか? 」
「ああん? 馬鹿野郎! 寝ちまったら元も子もねぇぞ!」
(ひぃぃ。よく分かんないけど怖いよぉ)
問いかけにくってかかられた憲兵長はヘナヘナと座り込んだ。
「いえ、きっと王都から軍が来てくれます。上手くすればワイバーン部隊が。そこまで持ち堪えれば…………、す、すみません」
次第に殺気立つ二人に耐えられなくなった憲兵長はその場にひれ伏した。
「父上、申し訳ないですが、先手をとります」
( 冗談じゃない。ワイバーンなんかが来たら、コウタの羨望はワイバーンに向いてしまう )
「思い切りやれ! 俺も勝手にやる!」
( ワイバーンはまずい。アイツが喜んじまう。 面倒な軍が来る前にさっさと片付けるぞ。 不本意だが痛み分けだ)
二人は目を閉じて集中を始める。剣の周囲の空気が歪み、力を持った何かが集まっているかの様だ。
タタと塔の上から飛び降りた二人。
ーーーーこの高さを?! さすが英雄とそのご子息。 決死のご判断です! 感激に震えるる憲兵長。
クライスが雷を纏った剣を硬く厚い甲羅に叩きつけ、足止めをする。
ジロウがブレスを吐いた頭に氷雨を降り注ぐ。
ディックが蓮撃でザザザと三つの首を斬る。
山の様な巨体、厚い甲羅、出血する太い首。だが、攻撃が効いているのかいないのか。じっと動かなくなったところを見ると多少の効果はあるのだろうが。
「チッ……」
ガラ悪く舌打ちをするディックに、やはり自分の剣技では力が足りないと眉を落とすクライス。そしてガブと首筋に噛みつき肉を引きちぎるジロウ。
ザクリ。
ちぎりきれない首に逆方向からクライスが剣を振るう。
ジロウが鋭い爪と牙を唸らせて手足にも喰らいつく。
ドドドと稲光を纏いディックが甲羅の中央に剣を刺す。
ジロウごと短い手足をバタつかせた巨体はズズンと回転し、短い尾を振り回して二人を薙ぎ払おうとした。
「この……、腹が減ることやらせんじゃねぇよ。 俺はまだまだ食いたりねぇんだよ」
首の届かぬ甲羅の上で再び剣に力を集め、高く飛び上がると、ディックはザクリと深く剣を刺し、雷撃と共にぶった斬る。
「父上、先に首を斬るって言いませんでしたか? 爆発したらどうするんですか?」
うねうねと蠢く首を足場にザンザンと剣を打ち込むクライスが暴走し始めた父親を制する。
「オオン、オン。 尻尾は柔らかい?! 堪らん! この深みーー 」
齧り付いた尾が案外に美味いことを知り、よだれを飛ばすジロウ。
だがしかし、一度火がついた食欲は如何ともしがたく、腹一杯に喰らいつきたくなったジロウが動く。
ーーーーバチバチバチ!
ーーーードガガガ!
ーーーーゴウ!
雷撃、氷槍、炎、幾重にも放たれた魔法と共にガシガシと血が滴る肉に喰らいつく。その速さはディックをも凌ぎ、只人たちの目には残像さえ残らないが。
「「この……、美味しいところを持っていきやがって」」
何としてもコウタに自分の勇姿を見せつけたい二人は出鱈目にザック、ジャキジャキと剣を走らせ、体裁を見繕った。
ーーーーーーーーズン。
ちぎれた首にはボコボコと穴が開き(齧った跡)、避けた甲羅は大きくえぐれている。(喰らいついた跡)
力なく地に落ちた巨体の尾があった場所からは(ここが一番美味かった)どくどくと血が流れ、さっきまでの恐怖が一切感じられなくなっていた。
二人と1匹の視線は小高い丘にある宿の窓からサーシャに抱き抱えられて見つめる漆黒の瞳に集まる。
(どうだ? 兄ちゃんだってやるだろう?)
(よし、決まった! 俺の強さが分かったか?)
(ワオン、コイツ、美味かったーー)
稲光のような閃光が甲羅の割れ目から迸る。まずいぞ! 爆発する!
ギュンと唸る風に一羽の虹色の大鳥が舞い、ミツクビガメの周囲をピンクのシールドで覆った。
ーーーードガガガガガガ、ドドドン! ズキュン! ドカン!
もうもうと湧き上がる砂煙と全てを覆すような振動。誰もが目を閉じ身を守る姿勢をとった。
しばしの静寂。
そっと目を開けた人々の目に映ったのは、真っ黒に煤を浴びたクライスとディック。そして、砂煙を浴びたにもかかわらず漆黒の長毛を艶めかせるグランの雄々しき姿。
うおおおおおお!
人々の叫びが歓喜に変わった。一番の褒美が息を弾ませて走って来……、ヒュンと飛び込んで来る。
「ジロウ、すごい! かっこよかったよ」
抱きしめようとする腕が空を掴む。漆黒に顔を埋めて擦り付けるふくふくとした頬をうらめしげに、親子はふうと息を吐いた。
もちろんその後には、期待通り、小さな柔らかな頬を高揚させて夢中で褒め称えてくれる心地よさに親子は満足気に微笑むのだった。
ーーーーそして憲兵長は自ら馬を走らせる。たった今目にした奇跡を伝えるために。並いる冒険者も憲兵ですら役に立たない程の魔物を一瞬で退治した英雄のことを。