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106 セントの夜


「ほら、いい加減起きなよ。夜に寝れなくなっちゃうよ」

「おやめください、クライス様。流石に痛いですって」

 乱暴に引き延ばされた頬に顔を歪めて目を覚ます。サンのお日様みたいな瞳が心配気で不機嫌になった顔を慌てて直す。そうだ、馬車だったと思い直してぷいと外を見れば色とりどりの灯りが飛び込んできた。


「す、すごい」

 渓谷の隙間の川に沿うように作られた街並みは街道から幾らか下った先にあり、家々の明かりが赤や黄色、オレンジ、白と色彩豊かに灯されている。

 夕暮れに差し掛かる茜色の空と渓谷に落ちた薄暗い闇のコントラストに明かりが映え、幻想的な雰囲気を醸し出す。


「渓谷の街、セントよ。一番いい時間につけたけど、審査が混むのよねぇ。でも街に入ってしまえばニコルが宿の手配を済ませてくれているはずだからすぐに夕食よ」

 サーシャ様の言葉にこくんこくんと大きく頷きつつ、窓にぶら下がって外を眺める。魔獣の素材でできた透明な窓は少しだけ景色を歪める。オレ達の顔も反射してしまうので開けようとしたらディック様に止められてしまった。


「お前……、絶対落ちる。こんなところでやらかされたら堪らん。大人しくしとけ」

 落ちるつもりなんて全くないけど、ジロちゃん印のおんぶ紐を見せられたら大人しくするしかない。


 ガラガラと細くなっていく道を下って門まで来れば、チャプチャプと川のせせらぎに不思議な匂い。サースポートでは貴族の馬車は優先的に審査されたけど、ここは道が狭いので来た順番に入るしかない。

 近づけば近づくほどに闇が降りてきて小さかった明かりが紙に包まれたランプの光だと知る。渓谷の上には薄雲の光と小さな星屑が輝き始め、その美しさにほうと見惚れる。


 事前に先触れを出しておいたお陰で今日は宿が貸切だ。私兵さん達が一階でオレ達が2階。ここは貴族の常宿でそれぞれの階に食堂と風呂がついている。アイファ兄さん達が先に宿に着いていた為に、既に温かな食事が用意されていてオレ達はすぐに食べることができた。


 街明かりをイメージした食事は肉も野菜も小さく盛り付けられ色取り取りで美しい。オレの口にもピッタリだ。


 …………と思っていたら大きなブルとスースの塊肉のローストが出てきた。ディック様とアイファ兄さんがおおと拍手をしたと思えば、給仕の人がナイフを取り出す前にそれぞれが当然のように塊肉に齧り付いた。涙目で厨房に戻った給仕さん。

 本当はその肉、スライスしてソースをかけて出すんだよね。ごめんね。村では二人を冷ややかに操縦する人がいるけれど解き放たれた野獣はそうはいかない。



 暫くして同じ塊肉をいくつか持ってきたけれど、その一つには薄らと取り分けようとした跡があった。想像するに……兵士さん達用だ。給仕途中だったのに取り急ぎこちらに回してくれたのだろう。オレとクライス兄さんはお気の毒にと混乱しているだろう厨房に同情する。


 ニコルとキールさんはそんな二人を気にするでもなくマイペースで品よく食べるが、さすがアイファ兄さんのパーティ。食べるペースはちっとも落ちない。給仕の人が一人増え二人増え。ここではお客のサンですら、すっかり宿の一員のように給仕に勤しんでいる始末。


 ディック様は肉と見れば際限なく食べる。何なら獲ってきたブルをそのまま焼きつつ齧り付く程に。アイファ兄さんだって同様だ。野生児というか野生的というか。食事に関してはまさに暴君の食事だろう。何なら生肉だっていけるんじゃなかろうか。うん、人間版ジロウっていう感じ。

 ちなみにジロウは自分の食いぶちは自分で獲って食べているらしい。オオカミの最上位種フェンリルが変異したグランだからね。

 たまにフラと居なくなる。ただジロウは神獣の次代でその血が濃いため、何も食べなくてもいい。オレの魔力を隣で吸っていれば満足できるそうだから不思議だ。


 肉が足りなきゃさっき獲った肉を出すぞとか、何なら今から狩りに出るぞと好き勝手。ふと見れば転がったエールの樽が二つ三つ。オレはサーシャ様とクライス兄さんと顔を見合わせて、早々に食事を終えて部屋に戻った。



 食堂にサンがかかり切りなのでオレ達は自分で風呂の準備をした。街に入った時に感じた匂いは温泉の匂いなんだって。領主館では魔法使いや魔道具でお風呂に湯を張るんだけれど、ここは自然にお湯が湧き上がるらしい。疲れがとれて肌がすべすべになるのよとサーシャ様がオレを抱き上げる。


「ちょっとちょっと母上。コウタは男湯ですよ」

「いいじゃない。貸切なんだから一緒に入っても」


 ……嫌だ。


 街の一番奥、少し高台に建てられた宿だからか、街に向かって浴室が作られていた。脱ぎ散らかしたクライス兄さんの服を畳んで籠に入れ、自分の服も脱ぎながら畳む。備え付けられていたタオルを兄さんを真似て腰に巻くとピョンピョンと飛び込んできたプルちゃんを抱き上げた。

 スライムってお湯に入れても大丈夫?


 着いてきたならいいのかと思って引き戸を開ける。ふわりと蒸せる湯気に早々にじわりと汗を染み渡らせて兄さんを探す。

 相変わらずきちんと泡だてもぜずスカスカと石鹸を滑らせてジャバリとお湯をかぶるいい加減な身体の洗い方だ。見慣れぬスポンジを手に取り、石鹸を泡立てれば極上のふわふわ感。湯桶をひっくり返してその上に立ち、細くて案外に筋肉のついた背中をゴシゴシ擦る。首の後ろも耳の下も、顎だってちゃんと擦ってあげる。

「コウタ、それ、死んだスライムだって知ってる?」


「プギー」  チャポン!

 慌てて飛び退いたプルちゃんを追いかけて膝に乗せてよしよしと慰める。酷い言い方だ!


「ごめん、ごめん。はあ、僕も浮かれてるなぁ。コウタと温泉が嬉しくて」

 ひょいと膝に乗せられて目を合わせるクライス兄さん。オレもつられてにっぱり笑った。


 あのスポンジはマシュマロスライム。温泉の近くで育つスライムで、小さな泡をシュワシュワ出して強い酸で攻撃する。普通、スライムは倒されると小さな核の魔石になるけれど、マシュマロスライムは気泡でできた身体をそのまま残す。

 魔獣の皮のようによく洗って特別な処置を施せば、極上のスポンジになるんだそうだ。この街の工芸品としても有名なんだって。ちゃんと加工したならいいね。ああびっくりした。


 ちゃぽんと外に作られた湯船に入れば見渡す限りに丸い明かり。お風呂の湯気でゆらめいて、空の星々と同化して、夢のように美しい。そう、教会で見た星の夜のように。


 一瞬見開いた漆黒の瞳を見逃さなかったのか、そっと肩に手を置いた兄さんはオレの耳元で優しく囁く。

「ん? 泣きたくなった? 大丈夫。君はちゃんとコウタだよ。忘れても忘れなくても。新しいことを詰め込んでも詰め込まなくても。 僕の天使、僕の弟。違う?」


 図星な思考に恥ずかしくなって両手で兄さんを押し退けた。

「天使……、違う」


 俯いて振り絞った言葉に真ん丸くなった紅茶色の瞳。薄いけどキラリと潤んだその瞳がパチパチと瞬きをした。


「ぶっ、くくくく、コウタ、顔、真っ赤」

 盛大に笑い声を上げた兄さんにオレとプルちゃんでお湯の総攻撃。もう、知らない! クライス兄さん、ふざけ過ぎ!


「ちょっと、コウタ。駄目だって、ここ宿だから」

 逃げ惑う兄さんを執拗に追いかけて湯を浴びせかける。思い切り笑ったから心を翳らせた雲がすっきりと晴れていた。だけど二人と1匹はのぼせてしまい、上がるのが遅いと心配して見にきたサーシャ様に救出され、セントの夜は更けていった。



今日も読んでくださってありがとうございました。


今日の1日が皆様にとって温かで居心地のよい1日となりますように。

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