105 王都へ出発
バタン、コトン。バタン、ゴトゴト。クライス兄さんの部屋から音が鳴り止まない。夕飯もそこそこに部屋にこもっている兄さんが気になって扉を開けた。大きなカバンと横に積まれた本。どうやっても入りきらない衣類や不思議な道具がそこかしこに散らばっている。
「ああ、コウタ。僕のことは気にしないで早くおやすみ。明日は早いからね。まぁ馬車で寝ればいいだけなんだけど」
カバンを開けては何かを取り出し、代わりにそこらの物を鷲掴みにして放り込む。うん、それじゃぁどうやったってカバンの蓋は閉まらない。オレは取り出された衣類を畳み、不要そうなガラクタをそこらの籠に放り込んで整理を始めた。
「王都にも洋服は置いてあるんでしょう? ほら、これは元々ここに置いてあった物だから持っていかなくてもいいはず。あぁ、古い教科書はオレが出してきたやつ。これもあれもいらないよ」
テキパキと選択してしまえばほら、カバンに余裕で収まった。
「すごいな、コウタ。どうして兄ちゃんの必要なものがわかるんだい。いざとなったら父上の収納袋を頼ろうと思っていたけど、すっきり収まったよ」
「ディック様も収納袋を持ってるの?」
「えっ? まぁ貴族だし、高級だけど便利だからね。普段は父上とセガさん、あとはメリルが持ってるよ。僕も一応小さいのは持ってるけど、宿題でいっぱいさ」
コシコシと瞼を擦るオレを抱き上げて、さらりと髪を撫でた兄さんはオレのベットに潜り込んでトントンと胸を叩く。
「明日は早いよ。野営をしないでランドの隣り、渓谷の街まで飛ばすからね。コウタ、馬が疲れないように協力してもらうよ。さぁ、ちゃんと寝るんだ」
わぁ楽しみだと声を出す余裕もなく、オレはふわりと柔らかな笑みで答えた。そうだ、お布団も持っていこう。馬車の中が快適になる。
「そろそろいいぞ。ほどほどに帰ってこい」
早朝に馬車で王都に出発したオレ達。何の変化もない外の景色に飽きてきたオレはディック様の許可のもとジロウに飛び乗った。先行しているアイファ兄さん達に追いつくんだ。
街道は村から離れると人目もなくなる。乗合馬車も行商も今日は来ないはずだからオレがジロウに乗っていても気づく人は少ない。うん、馬に乗るってこんな気分なのかな? ジロウは風魔法を上手に使ってオレが振り落とされないようにしてくれる。ソラのシールドもあるから安全対策バッチリだ。
本来はクライス兄さんとサーシャ様が王都に帰る予定で、その護衛にアイファ兄さん達がついていくんだったんだけど、ディック様とオレも行くことになったから、アイファ兄さん達は一泊したら別行動になるんだ。ディック様がいれば護衛なんて必要ないから。
だけど仮にも領主が王都に帰還するのに護衛も兵もいないのはおかしいそうで、対面を保つために王都の手前の街で再び合流するよ。
ディック様の戦力がモルケル村から抜けるのは大きいから、執事さんとメリルさんは居残りだ。代わりに王都から来ていた御者さんとサンが同行する。
そして今回は私兵さんとフォルテさんも小さな馬車で来てくれている。馬達のご飯や野営用のテントとか。これも領主が出かけるのに馬車一台じゃ格好がつかないからだそうだ。わぁ、貴族って大変だね!
「おっ、来たな。 いいか、ニコルより前に行くなよ。 アイツが時々索敵して道の状況を把握してるんだからな」
アイファ兄さんと並走するオレは温かな日の光を浴びてふふと頷く。シールドのおかげで風は感じないけれど、草原を颯爽と駆け抜けるのは気持ちがいい。潮の香りのない空気を胸いっぱいに吸い込んで、ジロウの漆黒の毛に身体を預ければお布団とは違ったふわふわの感触が堪らない。
『ディーさん、コウタ戻すよ』
ぼちぼち近くの休憩所で飯にしようかという時、不意にジロウからコウタ送還の連絡だ。やれやれ、間が悪い。有無を言わさずヒュンと目の前に浮かんだコウタをガシと受け止める。プルを抱き抱えたままぐっすり眠っているコウタに、サーシャが手を伸ばし、愛おしく抱きしめる。
先行しているアイファ達はこの先の休憩所で準備を始めるか? ピーと二つ、口笛を吹き、さらに奥の休憩所まで行けと合図する。寝入ったところを起こすと機嫌が悪いからな。一眠りさせりゃいいだろう。
「はぁ、眠った姿は天使なんだけどね」
頬を突きながらクライスが目を細める。
「はっは、寝てりゃやらかさねぇからな。それにしても、俺は無事に王都まで行けるか不安しかないぞ」
「いいのよ。大抵のやらかしなら誤魔化せるから。やらかしの前例だらけのエンデアベルトでよかったわよねぇ?」
サラサラの漆黒をかき混ぜ、耳元でふわりと頬を寄せるサーシャにコウタがううんと身じろいだ。
乳臭せぇ。歳の割に小柄なコウタにそんなことを思う。
だが一度目覚めると一丁前に剣も弓も使いこなし、訳のわからん、それこそ専門職も真っ青な魔法を杖も詠唱もなしに発動する。この歳で書庫の本を読み漁り、クライスでさえ頭を抱える古代文を部分的ではあるが読み解く知識は博識のセガも舌を巻く。
こんなちっこい身体に、何もかもがよく詰め込まれる物だと呆れるしかない。
にまにまと笑みを溢しながら寝入るコウタのおでこをペシと撫で、皆でクスと頷き合う。馬車の中は溶ろける雰囲気だ。王都に行くのは随分気が重いが、たかがガキ一人増えただけでこの心地よさ。悪くないと思う自身の心境の変化に驚きさえ素直に受け入れる。
「あいつのことは言えねぇなぁ」
過保護すぎるほどにコウタの世話を焼く先行している冒険者のリーダーに思いを馳せる。
昼を随分回った休憩所。馬を休ませながら食事を摂る。
馬車の振動は意外と体力を奪うのか、がっつり寝かせたはずなのに未だ半目のコウタ。肉を口に突っ込んで叩き起こせば、不機嫌そうに視線を返す。ここらでコウタに馬の回復を頼もうと思ったのだが、この調子では無理そうだ。
冷めたスープに手を突っ込んで目を擦るからそりゃ痛いだろう。ヒイと泣き出したコウタに皆が呆れて失笑する。何をしているんだか。こいつは時々ポンコツになる。
渓谷の街“セント”に着くのは夜になってしまうだろう。だが好都合だ。
短い休憩で馬達には悪いが早々に出立だ。わあと目を輝かすだろうコウタを脇に抱えると、クライスが慌てて抱き上げに来た。こいつも大概に甘いわと、ささと受け渡し馬車に乗り込む。さぁ、今夜の宿が待ってるぞ。




