101 反抗期
「お帰り、コウタ。疲れたろう? 今日のこと、風呂でゆっくり話そうか」
馬車から降りるとクライス兄さんが待ち構えたように手を伸ばす。だけどオレは決めていた。
「ただいま、兄さん。話したいこと、いっぱいあるけど、今日はお風呂に入んないから」
ピョンと飛び降り、トテトテとサロンに向かう。サーシャ様が首を傾げた。ふふん、だってお風呂に入ったら絶対オレ、寝ちゃうもん。その後きっとオレの会議でしょう? 本人抜きの会議なんてさせないよ!
サロンに行くとミルクとシチューがすぐに目の前に出された。
「お腹がお空きになったでしょう? 少しだけでも先に召し上がってください」
さすがサン。オレが夕食前に寝ちゃうことが多いから、ちゃんと準備をしてくれている。だけどみんなと一緒に夕食を摂るって断ったんだ。
「コ、コウタ様が言うことをお聞きになりません」
涙目で狼狽えられても……、オレ、そんなにいけないことをしてるの? ちょっとだけ不貞腐れてラビに当たる。
「てめぇ風呂、好きだろう? 汗もかいただろうし……、入ってこい」
「プルちゃんが汚れを食べてくれたから大丈夫。それより、オレ、ギルドで戦ったよ! ちゃんと勝ったんだよ」
アイファ兄さんの手を振り解き、木剣を持って構えて見せる。えいやぁと剣を振るうとクライス兄さんが困ったような笑顔で相手をしてくれた。
サーシャ様とキールさんが揃うのを待って夕食だ。オレは寝ちゃわないように控えめにして、今日のことをたくさん話す。キールさんは魔力を使い過ぎたからと早々に自室に戻って行ったけど、オレはへっちゃらだ。食後のお茶タイムまで元気いっぱい。
「コウタ様、そろそろお休みのお時間です。お部屋に行きましょうか」
いつも通り、サンが声をかけてくれた。でも今日は寝ないって決めているからきっぱり断る。
「今日は寝ないの。だからもうちょっとお喋りしようよ」
「「「 ?????? 」」」
「子供は寝て育つものですよ。夜更かしは感心しません。さぁ、抱っこをしてあげますからお部屋に……」
珍しく執事さんが抱っこをしてくれるって言ったけど、今日は寝たくない。一人になりたくないんだもん。オレはプルルと首を横に振った。大人達は顔を見合わせる。オレは絵本を膝に広げて楽しいことを思い浮かべる。そうだ、王都に持っていく物も決めなくちゃ。
「コウちゃん、私も疲れちゃったから部屋に戻ろうと思うの。今日はあの人もいないし、一緒に寝ない?」
「うん、寝ない。サーシャ様、おやすみなさい」
「コウタ、ちょっと難しい僕の本を読んであげるよ。一緒に部屋に行こうよ」
「行かない。クライス兄さん、きっとオレを寝かすでしょう? オレ、今日は眠くないの」
みんなあの手この手でオレを誘うけど、魂胆が見え見えだ。オレの意思は固い。キッパリと断り続ける。
「わかった、ちびっ子。あんた本当に寝ないつもりなんだ。だったらアタシの部屋に来るかい? ヘビ、トリ、ソラ、ジロウ、従魔同士で語り合おうよ」
それは魅力的。それにニコルはオレを寝かし慣れてないから本当にずっと話せそうだ。だけど……。
「ねぇ、ニコル。薬草とか匂いの薬とか使わない?」
唇の端がピクリと引き攣った。これだから油断出来ない。オレはプイとそっぽを向いた。
「何だ何だ反抗期か? お前、何だって寝ないんだよ。今日は絶テェ疲れてるはずだぞ」
チビリチビリと琥珀色のお酒を飲んでいるアイファ兄さんがソファーに持たれて気だるそうに言った。
「だって……」
教会であったことを思い出す。懐かしかった幸せな時間。だけど父様の手を取ることができなかった自分にチクンと胸が痛む。そして……
「「私たちのことは忘れなさい」」
呪文のように頭に響く低い声。逆らえない、身動きができなくなるあの声。
どうしたって気にしてしまう。忘れたくない両親の思い出なのに、思い出そうとすると胸が苦しくなる。本当に忘れちゃったらどうしよう。それがとっても怖い。夜中にふと目覚めて、あの言葉に支配されたら……、そう思うだけで苦しい。だから寝たくない。でも……、これはオレの問題。兄さん達にどうにかできることじゃない。心配をかける。一緒に悲しんでくれるけど、そんなの……嫌だ。
伏せた目をうん?と見返されて、素直じゃないオレがプイと顔を背けた。ここにいると寝かされそうだ。オレはトテトテと部屋を出る。目指すは夜番のメイドさんの部屋。
オレ、ちゃんと知ってるよ。メイドさんは夜番の仕事があって、お裁縫やちょっとした片付けなんかをしながら不測の事態に備えてるってこと。兵士さん達の見回りに差し入れをすることもあるよ。そこなら夜中起きていても退屈しないはず。
書庫でちょっと難しい古代語の本を持って、書き損じの書類の紙と墨ペンも用意する。両手がいっぱいだと転びそうだから本はジロウに咥えてもらおう。
「おいおい、本格的な夜更かし態勢だな」
「頑固ですから……。サン、気の済むまでコウタ様に付き合いなさい」
アイファ兄さんと執事さんの許可がおりたからオレは堂々と夜番のメイド部屋で自席を確保した。
えっと、クライス兄さんに教えてもらった文字は……。早速勉強を開始する。夜番のメイドさんは熱い紅茶を飲みながらおしゃべりにも付き合ってくれた。オレもミルクじゃなくて蜂蜜たっぷりの紅茶をもらって眠気を覚ます。
「…………おい、白目むいてるぞ」
ハッとしてヨダレをジュルル吸い込む。危ない、寝そうだった。
いつの間にかアイファ兄さんが正面で座ってニヤニヤしている。あれ、メイドさんは?! キョロキョロ見回すとサンと一緒に困った顔だ。
「べ、勉強の途中だった。こっちの文字がーーーー」
慌てて墨ペンを拾い上げようとしたけど、すごい速さでアイファ兄さんに抱き上げられてしまった。
「お子様は寝る時間だ。 メイドさんにも迷惑だぞ? プルちゃん印の抱っこ紐が作れねぇってよ。 椅子から転げ落ちそうだって呼びにこられちゃ俺が寝れねぇ」
スタスタと大きな歩幅で自室に連れてこられ、ポスンとベッドに放り投げられた。
「寝ない! オレ、寝ないの」
「うっせぇ、寝なくてもいいが横になってろ」
「嫌だ! 兄さんだけ寝ればいい」
「ーーとに、ガキは寝ろ! 気がつきゃ朝だ」
もう、兄さんの分からずや!
「っうおおお?」
パシュンとサロンに転移した。ラビがソファーでビクッと耳を動かして驚いた。オレ、寝たくないの。怖いの。嫌なの。ポロポロと涙が溢れた。どうしたらいい? どうしてこうなっちゃったの?
ラビをぎゅっと抱きしめた。あれ、冷たい。ああ、ジロウの鼻だ。オレの気配を探してきてくれたんだね。プルちゃんもソラもプルプル、ピピピと頬擦りをしてくれた。あったかい。ラビもジロウもプルちゃんもソラもあったかい。もふもふの毛でオレの固くなった心を柔らかく包んでくれる。ペタペタの感触で慰めてくれる。
真っ暗なサロンでオレはジロウとラビの毛をぎゅっと握りしめて声を押し殺して泣いた。
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