三
カフェのカウンター席でカフェオレを飲みながらみぃちゃんを待っていると、後ろからカラン、とドアの開く音がする。振り返ると、黄色いワンピースに白いカーディガンを着たみぃちゃんが私を見つけて嬉しそうに手を振っていた。やっぱり私の親友は世界一可愛い。あんなの天使以外の何物でもないでしょ。
澄ました顔で手を振りかえしながらみぃちゃんの可愛さに悶絶していると、彼女はすたすたと私の隣まで来て椅子に座った。
「お待たせ、ちぃちゃん」
「ううん、大丈夫。ごめんね、急に呼び出したりなんかして」
「全然いいよ! それより⋯⋯何があったの?」
先程までのふわふわした可愛い顔とは打って変わって、みぃちゃんは真剣な眼差しで私の目を見据えてくる。⋯⋯やっぱり、この子には敵わないな。私が無理をしているのなんて、全部お見通しのようだ。
「⋯⋯うん。実はね」
それから私は、学校で起きた出来事を少しずつみぃちゃんに話した。話しているうちにまた腹から何かが込み上げてきたが、みぃちゃんが背中をさすってくれたので何とか耐え忍んだ。
そして全てを話し終えると、私は深呼吸してからみぃちゃんに向き直り、ある『確定事項』を伝える。
「みぃちゃん⋯⋯『その時』は、もうすぐだよ」
幸い、彼女にはそれで伝わったらしい。みぃちゃんは少しだけ目を見開いて驚いたあと、すぐにあの優しい目で微笑んだ。まるで、救いの手を差し伸べる女神のように。
「そっか。⋯⋯頑張ってね、ちぃちゃん」
私の手を握りそう言ってくれるみぃちゃんが本当に女神様のようで、嬉しいような、泣きたくなるような、そんな気持ちにさせられる。私は彼女の手を握り返し、じっと目を見つめた。そして、心の底から笑ってみぃちゃんに感謝を伝える。
「ありがとう、みぃちゃん。じゃあ、そろそろ」
「うん。ちぃちゃんが落ち着いたみたいでよかった」
「うっ、そこまでバレてたのか⋯⋯」
「ふふふ、ちぃちゃんのことはなんでもお見通しなんだから!」
他愛もない会話を交わしながら会計を済ませ、私たちはその場を後にする。その後少しだけ雑談をし、それぞれ帰路へついた。
帰り道を歩く中、私は今一度決意を固め直していた。⋯⋯といっても、もう一周まわって冷静になってしまったから、そうする必要はほぼほぼないのだけれど。
明日から、私は計画を早めてあいつを本格的に惚れさせる。この計画を、最低だと罵られてもかまわない。だって、私にとってあいつは⋯⋯。
死んで地獄に落ちても許されないほどの、極悪人なのだから。
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それから私は二週間、計画を予定よりもずっと早く進めていった。今までよりもスキンケアに手をかけ、立ち居振舞いに気をつけ、笹原にもわざとらしくない範囲で言い寄って⋯⋯とにかく、たくさん努力をした。そして、ついに。
「姫咲さん! 笹原くんに校舎裏に呼び出されたってマジ⁉」
あの笹原が、私を告白のために呼び出したのだ。柊和が取り巻きに応援されている笹原を見たと言っていたから、これは確実だった。
「私も聞いた! しかもそれ、マジの告白だって⋯⋯!」
「えーうそー!」
「超羨ましいー!」
きゃあきゃあ騒ぐモブ女子たちに、チラチラとこちらを窺う男子。そのどれもが、今の私には誇らしくて仕方がない。
ああ、まるで私を祝福する賛辞のようだ!今からあいつを天から地へと叩きつけるその瞬間を今か今かと待ちわびる観衆たちが、私に大いなる期待を寄せている!⋯⋯まあ本当はみんな、私の計画なんて知る由もないのだけれど。
そんな妄想を繰り広げながら猛攻を続けてくる女子たちをいなしていると、後ろから「ちぃちゃん」と私を呼ぶ声が聞こえてきた。私は立ち上がってモブ女子たちと別れ、声の主であるみぃちゃんといつの間にか教室に来ていたらしい柊和のもとに行く。
「おはよ、千彩都。今日は一段と騒がしくなってんな」
「おはよう。正直同じ質問ばっかりでうんざりしてきたよ」
「まあまあ、もう少しの辛抱だから頑張って」
今日も今日とて友達らしい普通の会話を交わし、SHR開始のチャイムが鳴り響く。私たちは急いで自席に戻り、チャイムの鳴り終わりと同時に教室に入ってきた先生の話を静かに聞いた。そして先生が立ち去ったあと、一時間目の準備をしながら⋯⋯私は、今度は覚悟をきめる。
さあ、今日でやっと全てが終わるぞ。
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放課後、私はみぃちゃんと柊和に一言伝えてから校舎裏へと向かっていた。二人は私の意をくんで、余計な事は何も言わずに送り出してくれた。⋯⋯あの二人の思いに応えるためにも、私はこの計画を成功させなければならない。
その気持ちに駆られて早歩きになる。おっといけない、あんまり早く着くとと不審がられる。
気持ちを落ち着かせるため、一度深呼吸をしてみる。初夏に入ったからか、少し湿った草花の匂いがした。そういえば、昨日の夜は雨が降っていたな。
スタスタと歩き続けていると、校舎裏の中でも少し開けた場所に笹原が立っているのが見えた。奥のほうには、隠れているつもりらしい取り巻きたちもいるようだった。へえ、あいつの取り巻きは女もいるのか。これはこの後の学校生活は一波乱あるかもしれないな。女子って結構陰湿ないじめとかしてくるし。
吞気にそんなことを考えながら、若草をしっかり踏みつぶしつつ笹原のもとへと歩み寄る。その足音に気づいた笹原は振り返り、柔らかく微笑みながら私の名前を呼んだ。
「姫咲さん。来てくれたんだ」
「⋯⋯うん。それで、話って?」
「あー、うん。ええっと、もう分かってるかもしれないんだけど⋯⋯」
目の前のあいつは、首に手を当てて目線をわざとらしく外す。ああ、やっぱりこいつは人をなめ腐っているな。その程度で『本気』を演じるなんて、新人役者のほうがもっとらしくなるだろうに。⋯⋯でも、私は優しいから気づかないふりをしてあげた。むしろこのお芝居に付き合ってあげようと、私もわざとらしく緊張したような顔を作り、笹原を見つめる。
見つめられた笹原は微動だにせず、そのまま自分の演技を続ける。
「⋯⋯姫咲さん。色々言っても仕方ないから、単刀直入に言わせてもらうよ」
意を決したらしい笹原が、私に向き直った。じっと見つめてくるその目を見て、期待に胸を高鳴らせる。⋯⋯ああ、やっとそれを言ってくれるのね。
「ずっと前から君が好きだった。だから、俺と付き合ってくれ」
ずっと待ち望んでいた言葉が、笹原の口から発せられた。その瞬間、私は言葉にするのが難しいほどの高揚感を覚え口元を押さえた。
ああ、嬉しい、嬉しい、嬉しい! こんなにも上手く事が進むなんて! これで⋯⋯これで、私の復讐は果たされるんだ!!
「⋯⋯姫咲さん?」
にやつきそうな顔を必死に抑え込んでいると、ずっと黙っている私に不信感を覚えたのか笹原がこちらに声をかけてくる。いけない、まだ終わっていないのに一人で盛り上がってしまっていた。
私は口元を隠したまま、顔を上げて軽く微笑み手をどかした。
その顔を見た笹原は顔を少し赤らめる。良かった、あいつはもう本気で私に惚れはじめているようだ。
「ううん、なんでもないよ⋯⋯優吾くん」
猫なで声でふいに彼を下の名前で呼べば、あいつにしては珍しく分かりやすいほど動揺した様子を見せた。そうだ、それでいいんだ。もっと私に本気になってしまえ!!
心の中で叫びながら、私は笹原にゆっくりと近づく。
「あのね、優吾くん」
もう一度、あいつを下の名前で呼ぶ。笹原は、今度は嬉しそうに笑って私の言葉を待っている。ああ、何度見ても気持ち悪い。早くその仮面を剥ぎ取ってやりたい。
笹原のすぐ隣まできた私は、彼の耳元に顔を近づける。⋯⋯やっと、復讐を遂げる時がきた。
これでやっと、こいつの生み出した負の連鎖を断ち切れる。私は心の底から安堵しながら、このクソ野郎に囁くように言ってやる。
「私ね、君のこと⋯⋯ずーっと」
ずっと前から、大嫌い。
次は旧作のあとがきで言っていた蛇足的な話を投稿します。