28 惨めな結婚と、今後の惨めな9年間(※アンジュ視点)
あんまりだわ、と思って華やかなドレスを見下ろしたが、それは白では無い。
結婚式ではないけれど、ジクリード家から送られた豪奢なドレス。サーモンピンクに白のフリルとリボンで仕上げられたオフショルダーのドレスはどこに行っても着られるが、一時だけ。年齢に合わせてドレスは替えなければいけないが、今後9年、私とアイゼン様に社交の機会は訪れない。
この1年間ずっとそうだった。一人だけに違うものをお出しする訳にはいかないからと茶会にも夜会にも呼ばれなかった日々。友達……いえ、私が利用した人たちからは縁を切られた。
「どうしてよ……」
本当は分かっている。
私が欲を出したせいだ。アイゼン様のジュペル伯爵令嬢に対する態度は、政略結婚のそれで、隙だらけだった。
他に有望な人もいない。子爵令嬢では王子にアピールできるわけもない。私、成績そんなにいい方でもなかったし、きっかけが無かったと思った。
だから、ジュペル伯爵令嬢……フローラ様の席を譲ってもらおうと思ったのだ。伯爵令嬢なら、婚約破棄されてもいくらでも嫁ぎ先なんてあるでしょう? そう思った。
そしてその通りになった。彼女は殿下に求婚され、今は一緒に新しいカフェで全く新しいお菓子を提供し、社交を活発に行いながら殿下の婚約者として相応しい女性になろうとしている。
ううん、孤立していた1年間すら、彼女はそれを嘆くより勉強に打ち込んでいた。
私の方が……見た目は、ちょっと可愛いかもしれないけど、フローラ様のように美人になれるわけじゃない。
アイゼン様の心は私にあるけれど、自分に不利益をもたらした女なんか……お互いに10年社交界から締め出されるという制限がなければ、結婚しなかったはずだ。
ジクリード公爵も、ご夫人も、私に冷たい。とばっちりを喰らって、義理の両親になる方々も王宮に『宰相夫婦』として呼び出された時以外の社交活動はできなくなっている。
自分の両親もそう。領地経営を任されていたけれど、王宮の文官として父は働く事になり、母は一文官の妻として刺繍などで家計を支えている。結納金は公爵家の面子として出してくれたし、持参金はいらないと言ってくれたけど……あと9年も、父も母も社交界から締め出される。私より辛いに違いない。
(私が……やろうとした事は、こういう事なんだ……)
豪奢なドレス。白い小花を散らした髪型。綺麗なお化粧。でも、これはウェディングドレスじゃない。
その姿で粛々と書類を神殿で取り交わし、納めて、私とアイゼン様は夫婦になった。
一応、これで私はアンジュ・ジクリード公爵令息夫人だ。今日からジクリード家で暮らすが、きっと針の筵に違いない。
馬鹿な事をしなければよかった。軽い両家の食事会のためにジクリード家へ向かう馬車の中で、ずっと考えていたのはその事。アイゼン様も、どこか茫然自失という形で、私たちはお互いにお互いの事を考える余裕なんてありはしなかった。
「カフェ・ガブリエラから、お祝いの品が届いております」
カフェ・ガブリエラ。半年ほど前にオープンした、貴族向けの高級カフェ。名前の通り、ガブリエル殿下の新しいカフェで、完全予約制。もちろん、私とアイゼン様……もとい、ネイピア家とジクリード家は入る事は許されない。
全く新しいお菓子の名前は入って来た。嫌でも、街を歩いていれば耳にする。ショコラ、というお菓子らしい。
会食の会場に、ワゴンに乗せられた大きな箱があった。白い箱に、青いリボンが巻かれた大きな箱を開けると、そこには四角い茶色のケーキにふんだんな果物が彩りよく載せられ、中央に金粉で彩られた『結婚おめでとう、9年後に食べにおいで』という言葉が入っていた。
「これは……ウェディングケーキか……!」
「素敵ですわ。なんて上品なのでしょう」
ジクリード公爵夫妻も物珍しさに感動している。
うちの両親もだ。
私はなんだか、やっとこれで、あぁ結婚したんだ、という自覚が湧いて来た。誰にも祝われず、式も挙げられず、それでも書面を交わして家に入った私は、アイゼン様を見る。
彼もやっと、私と結婚したと思ったらしい。
「9年間……今後9年間、アンジュにはできるだけ幸せで居て欲しいと思う。君の言葉を盲目的に信じて止められなかった私も悪かった。だが、1年の時間をかけて、本当に君を好きになったんだ。……君はどうかな」
「私も……、私も、アイゼン様をお慕いしております」
泣きながらの本心だった。
会食がはじまり、最初にウェディングケーキが配られた。私とアイゼン様が最初に一緒にケーキナイフを刺して、使用人に切り分けて貰った。
ショコラのケーキは、涙が出る程ほろ苦くて、とっても甘くて、凝っていて、複雑で……美味しかった。
私たちはあと9年の間、このショコラの他にも口に入れられない食べ物がたくさんある。
9年、自分たちのペースで幸せでいよう。領地も戻り、ショコラやジュペル領の食べ物が当たり前になった頃、私たちは2家族で新鮮な味に感動しよう。
ガブリエル殿下はひどい方だ。……こんなにおいしいもの、1度食べたら忘れられるはずが無いのに。
それでも、後悔しても戻らない物がある。時間も、人脈も、私がフローラ様から取り上げようとしたもの全部。
ショコラのケーキはあっという間になくなった。あんなに大きいケーキなのに、私たち2家族は2切れずつ食べたせいで、もう無い。
これからの9年間、どんなにアイゼン様と幸せになろうと思っても、このケーキを、ショコラを忘れられはしないだろう。食べ物に心を奪われるなんて、恥ずかしい。それ以上に、これをいつでも食べられない事が惨めだ。
あぁ、惨めな9年間が始まる。
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