15 ガブリエル殿下の来訪
「久しぶり、フローラ。寂しくはなかった?」
「ごきげんよう、ガブリエル殿下。はい、あの……ショコラの数が減るのが待ち遠しかったです」
どれも美味しかったです、と付け加えながら、今日もふんわりと甘い香りがする殿下に頭を撫でられる。
編み込みのハーフアップにした髪と、真新しい菫色のワンピース姿で迎えたが、殿下はお父様と書面を交わすために正装できていらっしゃる。
ドレスの方がよかったかしら、と思いながらも、殿下は、今日もとっても可愛い、と褒めてくださるので、よかったと胸を撫で下ろした。
「書斎にご案内します」
「うん、お願いするね」
後ろにそれぞれ手荷物と書類を持った従者が付いてきて、4人でお父様の書斎に向かった。
「お父様、ガブリエル殿下がいらっしゃいました」
「ご案内してくれ」
お父様の返事にドアを開ける。応接用のソファの前に立ったお父様と、殿下が微笑んで視線を交わす。私は父の隣へ移動した。
ガブリエル殿下にソファを勧めたお父様は、自分は座らずに深く頭を下げた。
「この度は、我が娘を窮地より助けてくださった事、心より感謝申し上げます」
「お父様……」
普段厳格な父が、こんな風に頭を下げる所は初めて見た。動揺する私をよそに、ガブリエル殿下も立ち上がる。
「頭を上げてください、ジュペル伯爵。私は徹底的に相手を追い詰めるために、1年間フローラを孤立させたままにしました。卑怯な男です、彼女は私の命を救ってくれたというのに」
そうして、今度はガブリエル殿下が頭を下げる。お父様が慌てて頭を上げさせて、二人は苦笑いをした。
「その娘のおかげで……そして、貴方のおかげで我が領は栄える可能性がある。国も、……感謝の念に絶えません」
「さぁ、二人とも座ってください。まずは、宰相と父上から預かってきた婚約破棄の書面から……ジュペル伯爵が領に戻っている間に大きな話になっているので、お覚悟を」
不敵に微笑む殿下の顔は王族のそれで、それに応える父の目は貴族のそれだった。
私は一応全てを知っているが、当事者でもあるのでこの場で全てを聞いていた。口を挟む余地はなかったけれど。
婚約破棄はジクリード公爵家有責の元、慰謝料は支払われる。それと、王室侮辱罪の賠償金がジクリード公爵家とネイピア子爵家を筆頭に嘘の証言と証拠を捏造した10を超える家から国に支払われた。
これらは全て、今後のジュペル領から広げていく全国規模のプロジェクトの予算に当てられ、さらにジュペル領としてネイピア領、ジクリード領を10年間お父様が管理する事となる。
「これは……また、大きな話になりましたな」
「まだ終わりじゃありませんよ」
言って、今度は荷物を持たせた従者に、机の上に品物を広げさせる。
ショコラのお菓子類だ。
「これは……、例のカカオの?」
「そう、ショコラと名付けました。今はまだ私の研究段階ですが、これはかなり応用が効きます。お一つどうぞ、フローラが名付けたショコラのトリュフです」
「ふむ……確かに、トリュフに似てますな」
指でつまみ上げた丸いショコラを一口で口に入れたお父様は、ほろ苦さと甘さ、滑らかな舌触りを味わっているに違いない。
「これらを王都の、まずは私のカフェで貴族の間に提供します。カカオが原料だと気づく者は居ないでしょう。持ち帰りはさせません、とにかく流行らせる、そして特別感を高めます。その間、摘果をお願いしたカカオは薬の分を除いて全て私に卸してください」
「なるほど……いいでしょう。ガブリエル殿下程効果的に使ってくださる方は居ないはずです」
そして、婚約破棄の書類にサインを済ませた父は、カカオの価格に驚きながら満足して一部専売契約の書類にサインをした。
「次に、領の移譲と、それに伴うジュペル領からの作物と酪農について……、それから、蜂蜜とコーヒーは本来のジュペル領の特産品として販売する書類……」
ここから先の話は、私には何の権限もないので、熱のこもるガブリエル殿下とお父様に失礼をして席を立った。
頭を使った時には甘いもの……ショコラを私の分までお父様が食べ切らないうちに、使用人にも振る舞ったスイートポテトを盛り付けに向かった。