表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/31

10 『毒じゃないよ、大丈夫』

 殿下はグラスを傾けて氷をカランと鳴らすと、懐かしむような目でその氷をじっと見ていた。どこから話そうか、と思っているように見えて、私は手を膝に乗せて待つ。


「昔、父上について兄と一緒に各地の視察に行ったことがある。私は5歳、やっと馬車の旅でも大丈夫だろうという事で、まぁ、勉強というよりも遊びだね」


「5歳で……王族というのも大変ですね」


 自分が5歳の頃はまだ領地にいて、家の中で本を読んでもらったり人形遊びをしていた気がする。


「うん……、長旅の疲れが出たんだろうね。途中で熱を出してしまって……、そこは暑い場所だったけど、一生懸命冷やして風を送ってくれて……中々ご飯も食べられなくて、そこの領主の館で寝込んでしまった」


「まさか……、うちですか?」


 ガブリエル殿下は肩を揺らして楽しそうに笑う。やっと気づいた? と、目で笑いながら問いかけてくれる。


 5歳の頃の詳しい記憶なんて覚えていない。まさか、そんな事があったなんて……熱を出してる王子のそばに、子供を近寄らせないというのは正しい判断だろうけど。


「無理にでも連れて帰るか、ご飯が食べられるまで休ませるか、悩んでいたみたいでね。父とジュペル伯爵は夜も考えていて……、近くには兄も寄らせてもらえなかった。兄もまだ8歳だったからね。なのに、そこに侍女を連れた君が入ってきた」


「まぁ……、私ったらなんてことを」


「心細かったから、びっくりしたけど嬉しかったよ。それで……、ふふ、君は侍女に2つのマグカップを運ばせて来たんだ。私は侍女の手を借りて起こされてね。君の命令で」


「…………本当に申し訳ありません」


 私は赤くなって小さくなった。我ながら、王族相手に何をしているんだろう。しかも、熱でご飯も食べられない子を起き上がらせるだなんて。


 その侍女は叱られなかったかな、と、一抹の不安を覚えながら、殿下の話の続きに耳を傾ける。


「君が私にマグカップを握らせて。温めのマグカップの中には……カカオを粉にして、砂糖とホットミルクで割ったものが入っていた。ミルクティーとも違う香りだし、私は食欲もなかったけど、ベッドに座ったその子もマグカップを持ってね。『毒じゃないよ、大丈夫! とっても甘いおくすりなの!』って言って飲んでみせた。私は半信半疑ながら、甘い薬? と不思議に思って口にして……、本当に甘くて、美味しくて、お腹の中に何もなかったから余計に。一気に飲んでしまってね」


 確かにカカオは今も薬として流通している。苦い物で、確か薬効としては滋養強壮やお通じの改善、少量なら安眠効果だったろうか、熱を下げる効果はない。


 でも、疲れて食べられなかった殿下には効いたのだろう。飲み物で栄養補給する手段はあまり無いから。


「君がその子。フローラ、君があの飲み物を飲ませてくれたら、熱があったけれどゆっくり眠れてね。栄養失調だったんだろう。それからその子は私がご飯を食べられるようになるまで、毎晩甘い薬を持ってきてくれた。あの飲み物の名前は?」


「いえ、無いんです。私も風邪をひいた時なんかに飲まされていたので……それで、お節介したのだと思います」


「あれは……人を幸せにする、元気にする飲み物だった。それから暫くして、お菓子作りにハマって……なんとかカカオの事を思い出して、取り寄せて、数年前からずっと研究していた。そうしてできたのがショコラトール……苦い水。たしかに、砂糖とミルクが無ければ飲めた物じゃ無い。……そうだ、固形はショコラ、飲み物はショコラトールで出そう」


「ふふ……、ガブリエル殿下は本当にお菓子が好きなんですね」


 私の話をしていたのに、すっかりお菓子の話になってしまっている。


 理知的な顔の中で、目だけがきらきらと輝く様子は、愛しくて、素敵だ。


「そう、君のおかげでこうなった。君があの時ショコラトールを持ってきてくれなければ、私は下手をしたら死んでいたんだよ。分かるかい? 何より……君は私の前で私に配慮して、先に飲み物を飲んで、笑いかけた。私を気遣うその優しさと、笑顔。どれだけ心細かったか、そこに君が現れて嬉しかったか。……遅くなったね。今度は君を、私が心細さから助ける番だ。絶対に、一人にしない。笑顔にしてみせる。……好きだよ、フローラ」


「ガブリエル殿下……」


 そっとテーブルの上に差し出された手に、私は少し慌てて、そっと手を乗せた。そろそろ夕日の頃だ。


「今日は帰ろう。お土産があるんだ、明日から1日一粒食べて、食べ終わる頃には色々と決着をつけて会いに行くよ」


 握られた手に唇を寄せられてから、私はどうやって帰ったのか覚えていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ