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幸せについて

作者: 白波 しぶき


幸せ、幸福、不幸。


幸せとは、何なのだろうか?


人は皆、常に自分の幸せの事を考えている。


当然だ。皆幸せになりたいし、皆不幸になりたくない。

出来ることなら、常に幸せでいたいと思う人もいるかもしれない。


だが逆に、不幸があるから幸福を感じられると思う人もいる。


また、他人の幸せを、自分の幸せかのように喜べる人もいる。


ある人にとっては不幸なことでも、別の人にとっては幸福な場合もある。


幸せとは、幸せの定義とは何なのだろうか?


人によって違うのかもしれない。

自分の中で答えを持っている人もいれば、全く分からない人もいるだろう。



もし明確な幸せの定義があれば、効率よく幸せを得ることが出来るかもしれない。

不幸にならず、常に幸せを感じることが出来るかもしれない。


しかし、不幸にならないというのは、ほぼ不可能に近いだろう。

幸福だけを得続けていれば、いつか、幸福を幸福と思えなくなってくるかもしれないし、それどころか、幸福になることを不幸だと思う人も出てくるかもしれない。


人は、苦難という不幸があるからこそ、幸福を得たときに喜べるのかもしれない。



他人の幸せを喜ぶことが出来る人間がいる。


どうして、自分ではない別の存在の幸福を喜ぶことが出来るのだろう?

不思議だが、これはもう人間の心に刻まれた本能の様なものなのかもしれない。


共感や賛同など、他の人と同じ物を持っていると嬉しくなる、などだ。


また、他人を助けたり、協力したりすることでも幸せを得ることが出来る。

自分に何らかのメリットや報酬が無くても、行動することが出来るのだ。


これは、何の幸せを得ているのだろうか?


本当に他人を助けて幸せにすることで、自分も幸せになることが出来る人もいるかもしれない。

他人を助けることで優越感を感じる人もいるかもしれない。

他人を助けて恩を売り、将来自分が困ったときに助けてもらうため、と考えている人もいるかもしれない。



ある人にとっては不幸でも、別の人にとっては幸福な場合とは、どういうことだろうか?


分かりやすいのは好きな食べ物だろうか。


ある人にとっては見るのも嫌な食べ物も、別の人にとっては大好物かもしれない。


また、これは個人的な考えではあるが、ドМと呼ばれる人もいる。


ドМと一括りに言っても多少の程度などの違いはあるのだが、総じて肉体的、または精神的苦痛を快楽へと変換する性癖の持ち主のことである。


世間一般では変態と言われているが、殴られたり、侮辱の言葉を言われることで幸福を得られる人は、少ないのではないだろうか。


そう、ドМの人は、他の人が嫌がることでも、幸せになることができる。

しかも、他の人と同じように美味しいものをたべたり、欲しいものを手に入れることで幸せになれるにもかかわらずだ。


これはもしかしたら、他の人よりも得しているということ、・・・なのかもしれない。



幸せには様々な種類があり、様々な方法で手に入れることができる。

これらは同じ言葉でも、同じものなのだろうか?


幸せを得るためには不幸にならなければいけないのだろうか?


私たちは、幸せのために生きているのだろうか?


幸せとは何なのだろうか。


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