コータロー
「お疲れー、今日は暑いな」
私が牛舎に戻ると、一つ早い便での仕事を終えたコータローが話しかけてきた。毛が濡れているのを見たところ、水浴びを済ませてきたところのようだ。秋雨が降り続いていた中、久しぶりの晴れ間がうれしいのか、コータローはしきりに太陽を見つめている。目を細めているが、その瞳は十分に凛々しい。年は三つコータローの方が若く、八年前、生まれ育った隣島から共にこの島に移動した。
移動する前、年上の水牛からは、「あの島での仕事は難しい。諦めるなよ」と言われた。その言葉の通り、観光客を乗せる水牛車を引きながら狭い道を歩くのは難しく、何度も何度も失敗した。しかしその日々を乗り越えることができたのは、私以上に失敗し、それなのにいつも明るいコータローの存在があったからである。いまだに頻繁に糞尿を道に垂れ流すが、その「気にしない強さ」が私は羨ましい。
「明日もこんな良い天気ならいいんだけどな」
コータローがつぶやく。明日からの祭りは島の作物の豊作を祈願するものであり、屋根はついているが、外の舞台で行われる。規模は大きく、様々な舞踊や歌謡などの演目が予定されている。基本的には島民が仕切りから演技まで行うが、県外から演技をしにやってくる者もいる。また、一年の中でこの島に観光客が最も集まる日でもあり、道路は人でいっぱいになるため、水牛車もこの祭りが行われる二日間は出番がない。
つまり、私とコータローにとってはのんびりとできる休みなのである。
「せっかくの休みなんだから良い天気がいいな」
こういうとまるで仕事が苦痛なように思われるかもしれないが、そんなことはまるでない。私が引く牛舎に乗った観光客の笑顔を見るのはいつだって気分の良いものだし、内輪差を考慮して角をきれいに曲がれた時にあがる歓声はやみつきになる。何より、ゆったりとした時間の流れるこの美しい島のシンボルのような存在になれていることが、たまらなく嬉しい。
「祭りの二日間、君は何をするんだい」
「毎年のように、祭りを楽しむよ」
「耳で聞くだけで楽しいのかい」
「耳で聞いて想像するのが楽しいのさ」
そう、祭りの舞台となる場所はこの牛舎から近くちょうど道路を挟んで右斜め前のお堂で行われ、例年笛の音や歌う声が人々の歓声とともに漏れ聞こえてくる。牛は視野は広いが、視力は良くない。人間の視力が一とすると、牛の視力は0.04程度だ。牛舎から舞台までは近いとはいっても40メートルは離れているため、目で楽しむことはできない。一方耳は良く、かなり遠くの音も聞くことができる。特に人間と比べると高い音を聞き取りやすい構造をしている。祭りの日の、普段の落ち着いた雰囲気の島とは大きく違った、人間のエネルギーを感じられる音が私は好きだ。本当はコータローも、私以上に祭りが好きなのだが、照れ隠しからかそのことを自分からは明らかにしない。
「おたくの相棒の竹男も張り切っているそうじゃないか」
「まあね」
そう、私の相棒の竹男が、今年の祭りの実行委員長を務めることになっている。普段の牛車の仕事はもちろんのこと、会場の設営や各演目担当者との折衝、さらには当日の観光客対応の準備など、ここ一か月は火の出るような忙しさであった。しかし、私や牛車に乗る観光客への丁寧な対応は何一つ変わることはなく、改めて竹男の誠実さを知ることとなった。こうして竹男に思いをはせていると、丁度向こうから竹男がやってきた。手をぶらぶらさせているところを見ると、水浴びの時間らしい。水浴びの前には、竹男はいつもこの仕草をする。
「今日は暑いから、いつもより長めに当ててやるからな」
そう言いながら、竹男は傍らに置いてあるホースを蛇口に突っ込み、勢いよくひねった。私やコータローのような水牛は、名前にもある通り、本来は川や池などの水がある場所に生息する動物である。しかし、この島に大きな体の水牛が満足に入れる川や池はないため、こうして定期的にホースから水をかけてもらうことになっている。体が本能的に水を求めているだけでなく、晴天の天候もあいまって、いつにもまして気持ちの良い水浴びであった。三分ほど念入りに水浴びをした後、竹男は事務室へ、コータローは次の便へ行った。とりたてて大きな出来事が起こるような日々ではないが、こんな日常がずっと続けばいいのにな、と思いながらしばしの間目を閉じた。