56.見逃してもらって……
《前回のあらすじ》
アルトゥに挑むも敗北してしまった三人。呆然とするウルティナを抱え洞窟を出たのだった。
洞窟から出て、クリアンの焚き火があった場所に戻る。
無言で歩き続けていたが、そのおかげかウルティナの尋常でない震えも収まりつつあった。
二人はウルティナを座らせると、自分たちも焚き火を囲うようにして腰を下ろす。
セクリアが生活魔法に分類される魔法を使い、道中で歩きながら拾った枝に火をつける。焚き火跡に放りこんで、少しして、火は大きくなる。
「……大、丈夫?」
一番最初に口を開いたのも、火をつけ終わったセクリアだった。
ウルティナは小さく頷く。気持ち、息と鼓動が普段よりも早い気がした。
青い顔のまま俯いているウルティナにどう話を切り出そうかとセクリアが悩んでいると、隣でダンッと地面を叩く音がした。
ウルティナが僅かに視線を上げると、立ち上がったクリアンが自身の棍棒を地について仁王立ちしている。
こっちを見下ろしている。視線があってしまった。
お姉様、と彼女は静かに言った。
沈みつつある夕陽が顔の半分を照らしている。
なぜだかとても泣きたくなった。
恨んでいるはずの義妹が、真摯で力強い瞳を向けてくれているからだろうか。
「なぜ、あの場で自らの身を棄てるような真似をなさったのですか?」
問いかけに返答しようと口を開いて、唇が乾ききっているのに気づいた。
切れたところがあるのか、じくじくと傷む。
「……私なら、一回死んでいるもの」
もう義妹に隠し事をするほどの元気なんて残っていなかった。
ぼんやりとしか動いていない脳みそが命じるままに、口が勝手に動いていく。
「死ぬのって、とても怖いことですのよ。あなたは私が殺そうとみせかけたことがあるから知っているかしら? セクリアも出会ったときぼろぼろだったから、知っているかもしれませんわね。
まぁでも私、前世で一回死んでますし、死に慣れてる度合いなら私が一番ですもの」
ひび割れた地面のように笑いながら淡々と続ける。
「ねぇ、なら私が盾にでもなってあなたたちを逃すことが一番の選択肢だったと思いませんこと? 精神体だから実際に死ぬわけではありませんけれど。
ですけど、現実世界でもその事実は変わらないと思うわ。だって私、努力してもなにもできない人間ですもの」
「そんなこと、ない!」
セクリアが立ち上がりかけながら叫ぶ。
「ウルティナ、が、努力して、なにもできな、い、なら、俺だ、って――っ」
「できないですわ」
ウルティナは視線をセクリアに向ける。
顔は笑っているのに目が黒く澱んでいた。泥沼よりも海底よりもずっと暗く、真っ黒な血の色のように。
「――違う、でき、てる」
それでもセクリアは言葉を絞り出した。
「じゃなか、ったら、この試練、受けれて、ないっ」
「あら、でしたらなぜ先ほど負けましたの? 私の指揮能力が足りなかったからですわね。あるいは、近接戦の鍛錬を怠ったからかしら。そもそも私の[勲章]自体に問題があるのかも知れませんわ。
あ、ならやっぱり私ができないのがいけませんのよ」
冷え切った声音で、なのに瞳からは雫があふれて身体はまた震えはじめていた。
けれどもウルティナはそのことに全く気づいていない。
目の当てられない歪さに、セクリアは言葉を詰まらせてしまう。
間があくか、ウルティナの卑下が続くか。
どちらでもなかった。
「お姉様」
二人の会話とも呼べない言葉の羅列を静かに聞いていたクリアンが、そっと棍棒を地面に置いてウルティナをぎゅっと抱きしめる。
「独りで泣かないで、お姉様。わたしはお姉様の辛い涙をもう、見たくありません」
言われて、ウルティナは手を頬に沿わせる。
あぁ、泣いていたんだ。
「わたしは知っております、お姉様が屋敷にいた頃、夜中誰にもバレぬようにと鍛錬を重ねていたことを。
こっそりと裏庭へ行くお姉様の後をつけたときに見ました」
両親から放置されていたウルティナには、こっそり部屋から抜け出すことも、屋敷から抜け出すことも、造作なかった。
「わたしは知っております、お姉様がわたしを突き落とした際に泣いておられたことを。
階段から落とされた先にあった、ふわふわの大きな魔力で作られたクッションもお姉様が作られたのでしょう?」
怪我一つさせないために、あの日、入念に練習しておいた魔力のクッションを階段と踊り場の床と壁に作って、両端の壁に当たらないように気をつけて肩を押した。
「わたしは知っております、お姉様の本当の両親がお亡くなりになられていることを。
わたしの父はお姉様の両親から本家の座を奪うためだけに下々に殺させて、事故死と偽ったのですよね。お姉様だけは逃がされていたから、仕方なく保護してわたしの父が養娘として引き取ったと。父から聞きました」
屋敷には自由が多かった代わりに味方は誰一人としていなくて、だから精神を壊さないようにと考えてフィーディーを作った。
もしウルティナの本当の両親が死んでいなかったら、全て、起こらなかったかもしれない事実。
ウルティナが物心ついた頃には、すでに亡くなっていた後だった。
前世を思い出したのも、物心つくと同時にだった。
「わたしは知っております、お姉様がとあるゲームの悪役令嬢と呼ばれる存在であることを。
学園主席の第二王子すらも騙しきって計画の上で断罪されたのだと、わたしは考えてます」
ゲームのなかの悪役令嬢も、最初から悪役であったわけではない。
ウルティナが最初から断罪を望んでいたわけではなかったように。
誰もが幸せに生きることを願っているはずなのに、誰かを陥れなくては幸せにはなれない世界。
ウルティナの場合、前世も今世もゲーム内でも、陥れられ続けた。
「わたしは知っています、お姉様が転生者であることを。おそらくは、第二王子と同じ世界、同じ国で生きていた方であったのだろうということも」
そのことは、誰よりも、第二王子よりも、ウルティナが知っている。
「本当なら、お姉様はわたしのことを恨んでもいいのです。放置されるお姉様の横で、わたしは両親からの愛を受けていた。
なのにお姉様は、わたしが最初に出席したパーティーでわたしを庇ってくださった。その頃には前世の記憶を取り戻してらしたのかもしれませんけれど、ならばこそ、子ども心ではわからないレベルでお姉様の屋敷内の立場を理解することは容易かったはず」
クリアンの声はいつしか涙まじりになっていた。
なぜ泣いているのだろう、と働かない頭が考える。そもそも今彼女が言っていることは、どういうことなのだろう。
クリアンは恨んでいない?
けど、だけど――
「お姉様が並大抵では表現しきれない努力をなさって今の試練をお受けになっていることは、わたしにだって理解できます。
もしわたしがお姉様のことを、学園でいじめたから、殺そうとみせかけたから恨んでいるとお考えなさっているのなら、なぜここまで自らを律し前向きに歩き続けた人間を恨むことができるのでしょう?
否、恨むことなんてありません、絶対に」
たとえ結果が出なくとも、努力をする姿は思わぬところで見られている。
「お姉様のひたむきさに惹かれたからこそ、わたしは今こうやってお姉様をお姉様とお呼びしているのです。
きっとセクリア様も、出会いはどうであれ、お姉様の何かに心打たれたから行動を共になさっているのでしょう」
こくこくと、視界の端でセクリアは何度も頷いていた。
「[紅の契約]……は、成り行き……も、あった、けど……ウルティナ、の、ことは……カッコいい、って……思ってる」
どの言葉も、暖かかった。
だからこそ心が震えた。
涙が大雨となって地面を濡らしていく。頬を伝う雫すら、暖かいと感じた。
「お姉様とて思い悩むことがあるでしょう。ですがそのときは、たった独りで抱えこまずにわたしたちに話してください。
わたしはもう、お姉様が独りで全てを背負いこんで消えていくのをただ見ているのは、嫌なのです」
今度こそ、間があいた。
帳の落ちた森のなかの小さな広間で、真ん中の焚き火だけが揺らめき辺りを照らしている。
――だって、と掠れた声があった。火の粉が飛び出す。
「私には完璧に計画を成し遂げる他に、生きる意味なんてないんですもの――っ!」




