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55.一歩動かして……

《前回のあらすじ》

 クリアンを一時的な仲間として、最終試練の試験官たるアルトゥに戦いを挑んだウルティナたち。まずは一歩、アルトゥを動かすことができたが……。



 銀狼が一回、地を蹴る。

 グンッと空気が押されるような音をたなびかせながら、まずはセクリアに襲いかかった。


「《その身に宿れ、横暴なる(ほむら)》……っ」


 ぎりぎりで避けつつ、セクリアは唱えた。


「わたしも加勢した方が」


 クリアンが焦った声で聞くが、ウルティナは無言で首を振る。


「大丈夫よ、《演舞曲(ワルツ)第、」


 発動させようとして、思い出す。

 今はフィーディーがいない。四文字の魔法はフィーディーありきだから、今回の試練では使えない……!


「……《狂詩曲(ラプソディー)第四番『(うず)』》」


 急いで違う魔法を使う。

 緑色アモーネで風の刃を巻き起こす。

 だがすべて他の魔法と同様、魔力の壁で防がれてしまう。ウルティナの魔法で魔力と意識を使わせているとはいえ、これではセクリア一人が戦っているも同義。

 セクリアの疲弊と共に負けてしまう。


 このままだと、不味い。


 そうはいうものの、自身で突撃してしまうと魔力をえげつないほど消費してしまうウルティナに、どうやってこの状況を打開しろというのだ。


 セクリアはギリギリで避けながら応戦している。

 うさぎたちにも次々と魔法を撃たせている。

 クリアンは、まだ誰も怪我してないから突っ立ったまま。


 クリアンに前線へ入ってもらうのが最適解なのは、ウルティナにもわかっている。

 だけれど、自分たちの試練的には避けたいところ。


 それに、ウルティナは今のクリアンの実力を知らなかった。

 もし、もしもクリアンが考えているよりもずっと弱かったら。弱いのに、最強クラスの銀狼と真っ正面から戦わせてしまったら。


 アルトゥに殺されることくらい、火を見るよりも明らかなこと。

 精神体だから、殺人未遂みたいなものか。


 違う。


 アルトゥに、ではない。


 万能な力を持たないウルティナが、殺すのだ。



 ――嫌だ。


 ウルティナは一度死んでいる。

 前世でトラックに跳ねられている。

 あのときなぜか兄が庇ったような気がする。

 なんでだろう。見下している人間を、最期の最後に哀れに思ったから?


 違う、違う、今はそんなことどうでもいいんだ。

 要は庇われても死ぬとき死ぬかもしれないと思ったとき。

 とても怖いと、心の底から思った。

 一瞬だけで、気づけば宙に浮かんで、気づけば何も見えなくなっていた。


 だから、ほんの一瞬だけ。

 だけ、でも。


 怖かったんだ。恐かったんだ。

 そんな思いを、過去、階段から突き落としたとき、クリアンに味わせてしまったんだ。


 だからこれは、復讐とはなんら関係のないウルティナの勝手な想いだ。

 いや、復讐すらも勝手な想いなら、同じく勝手な想い、なのかな。


 今は、どっちでもいい。


 ウルティナは、二度と、誰かを殺す真似をしたくなかった。


 だからといって、現状維持も不味い。


 いつか隙の付かれたセクリアが、殺されてしまうかもしれない。

 殺してしまう、かもしれない。


 今までわがままに彼の人生を振り回してきた、その上であの感情を味わせてしまうのも、また、嫌だった。


 なら、どうする?

 ――最終試練が始まったからと浮ついて考えなしに挑んだこの戦闘から、一旦引けばいい。


 どうやって?

 ――『自分』を合図にして。


 大丈夫。

 ここは亜空間。


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 最終試練内で一度死んで、試練に戻れるのかどうかは、正直わからない。

 だったら死なないように、立ち回ればいい。


 できるかどうかなんて、わかんないけど。


【セクリア】


 二人が死ぬ気持ちを味わうよりかは、ずっといいから。


【右方向へ誘導して欲しいの。私が隙をつきますので、一度後ろに下がってから義妹と共に仕掛けてくださいな】


 念話の理由は、アルトゥにバレないようにするため。

 セクリアが小さく頷いたのを確認して、左に三歩寄る。


「あなたは、セクリアの指示に従ってくださいまし」


 念話の使えないクリアンには、小声で。

 クリアンは何度か瞬きをしながらもこくこくと首を縦に振った。


 右へ、セクリアが銀狼を誘導している方向へ少しずつ近づく。

 うさぎを操る。炎と水と土と風がアルトゥに絡まりつく。


 魔力に長けたアルトゥから気づかれないよう、隠密に静かに、魔力を[紅之指揮棒(ルーフス=リネア)]に巻きつけて棍棒にする。

 クリアンの[固有武器]とは違って、単調に長いただの棒。殴ることはできる。盾代わりにすることもできる。


 ちょっとだけ、足が震えた。


 死ぬのかな?

 死なないよ、亜空間だから。上手く立ち回れるかもしれないから。

 死ぬ気持ちを味わうかもしれないだけ。


 そして、地面を蹴った。


 セクリアに目配せして、銀狼へ攻撃を仕掛ける。

 構えた棍棒を無造作に突き出した。ガンッと重い手応え。魔力の壁だとすぐにわかった。吸いこんだ息と共に、無理やり壁を消す。


 魔力察知で辺りを探った。

 セクリアはクリアンの元で待機している。


 ウルティナはアルトゥに、さらなる追い討ちをかける。

 今度は魔力の壁を自分の魔力で壊しながら、勢いよく棍棒を突き刺した。

 うさぎを介した魔法は、止んでいる。


 今だ、と思った。


「逃げてっ!」


 知ってる、この判断が復讐の計画には反していることは。


 ああ、けど。

 自らを賭して部下を守るこの動きは、評価されるかもしれない。


 遠くで、二人が騒ぐ声が聞こえた気がした。

 うさぎたちを操って外へ追いやっているし、隠蔽した魔力障壁でこちらへ来れないようにしているから、飛びこみ参加、なんてのもないだろう。


「僕と戦いながら余所見かい?」


 手を緩めずに攻撃していたはずなのに、急に強い打撃が来た。

 衝撃で少し、口から血が出る。洞窟の壁に押しつけられた。


 体勢を整える間もなくアルトゥが目の前に迫ってくる。

 心臓が震えた。でも、笑った。

 

 自分でもなんで笑っているのか、わからないけど。


 そもそも何がしたいのかすら、あやふやになってきた。

 今回のように、他の人に迷惑かけてやりたいことをやるのは、はたしてやってもいいことなのか。

 なんでそのことに気づくのが、計画の締めにかかっている今なんだろう、と。

 だって、もっと早くに疑問に思っていれば、違う生き方もできたはず。


 生暖かい吐息が頬にかかる。口を大きく開いたアルトゥのだ。

 並んだ牙がどこか非現実のもののように思えた。頭が回らない。

 死の恐怖に麻痺してしまったのかもしれない。


 ああ、死ぬんだ。


 また何もできないで死んでいくんだ。


 結局、努力なんて、できなかった。

 しても無駄だった。


 諦めに、目を閉じる。

 からん、と棍棒から指揮棒に戻った木の棒が地面に落ちる。心臓の音がやけに静かだ。

 もう死んだのかな?

 わかんない、もう何もかもがわからない。


 それでも死にたいとは思えなかった。

 怖いのだ、恐いのだ、どうしようもなく。


 だから、死の匂いがする生暖かい吐息が消えたとき、諦めたくない小さな世界は音を取り戻した。

 唐突に現れた生の可能性にしがみつくようにして。



 許さない、と声がした。少年のだ。

 行かないで、と声がした。少女のだ。


 瞼を開くと、二人が立っていた。

 少年と少女の姿だ。


 アルトゥは視界の端っこに横たわっていた。

 少年少女に突撃されたのか、わずかに銀色の毛が舞っている。

 少しして、笑い声を上げながら立ち上がった。


「ふふ、ちょっと油断してたよ。君が狙っていたわけじゃないみたいだけれど」


 ウルティナも立ち上がろうとして、腰が抜けていることに気がつく。無理、立てない。

 なんとか手を伸ばして指揮棒を握りしめる。


 空気が張り詰めていく。

 雰囲気からか何も話さない三人。

 銀狼は人の姿に変化すると、一度だけ、と背を向けた。


「一度だけ、見逃してあげる。いい? 今回だけだよ? 試験官としてはアウトなところに抵触してるから」


 見逃す。

 死なないで済む。


 安堵に思ってしまう自分が、一番嫌だった。


「ほら、早く。立てないなら支えてもらいな。なんでもかんでも背負いこんだって、世界は変わらないんだから」


 アルトゥに促されて、まず、セクリアが動き始めた。

 右手に細剣を構えながら、後退り、左側でウルティナの肩を支える。

 銀狼が人型に変わったことに目を見張っていたクリアンも、左手で棍棒を持ちながら義姉に寄り添った。




 洞窟の最深部を出ていく彼女たちを見送り、アルトゥは小さく息を吐く。


「今回は多分、世界も見逃してくれる。長く不在が続いたこともあって、君たちの役職を必要としているから、多少の粗相なら、大丈夫」


 だから、師匠として願うよ。


「せっかくここまで来たんだから、次こそは全力を出しにおいで。――待ってるよ」



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