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とある日の放課後、誠は一人で学校を出る。未だにどんよりと暗い空の下で、傘を差して家への帰路を辿る。
今日は数学の授業はなく、修は彼女と歩いて帰ったらしい。おかげで誠も自分の時間を自分のために費やせる。
誠の趣味は読書で、時折、自分でも少し作文程度のことはする。そのせいか、自室には娯楽物がなく、書斎のような扱いとなっているが、誠にとっては読書、作文が娯楽であり、そんな環境も全く苦ではない。
今日は誰の邪魔も入れさせずに、帰宅から夕食の時間まで、読書に全てを捧げようと考えている。誠にとって、自分の時間を手にすることは困難なことなのだ。
「今日は久しぶりにミステリー小説を読もうかな。いやいや、それとも恋愛小説かな。あまり手を出さないけど、ファンタジーなんかもいいかもしれない。最近は天気も悪いし、どうせなら明るくなる本・・・。ああそうだ。あれがいい」
誠はあらゆるジャンルの本を読んでいる。小説もそうだが、論文から詩文まで、そこに文章があれば何でも読んだ。それはその時の気分や、天気なんかで決まってくる。
今回、読もうと決めた文章は、「L&E」という作家が手掛けた、「雫」という小説だ。
その小説はもともと、地球上の言語ではないと言われる文字で書かれていたが、とある男女一組がそれを翻訳し、正解がわからないながらも名作とされ、摩訶不思議な小説として一躍有名となった。
話の内容をまとめると、一人の年端も行かない少女が、様々な人種の仲間と協力し、腐敗しきった国を復興させるため、一国の王として立ち上がり、見事、目的を成し遂げるという成功物語。
中では、生き別れた妹との再会のシーンもあり、読者を感動の渦に飲み込ませるような作品となっている。
誠が初めてこの小説を読んだのは、物語の主人公である少女と同じ歳、十三の時だった。
色々なことに影響を受けやすいこの年頃だが、読書を続けてきた誠は常識を身に着けており、変な影響は受けなかった。そしてその分、純粋にこの小説を楽しむことができ、自分の中ではハッピーエンド小説の中で、トップにランクインさせている。
「雫」は誠を明るくする小説なのだ。
家までの通路には一つ、小さな公園が存在する。あまりに小さいため、子供も寄り付かない。遊具はブランコが二人分。それと滑り台。半分折れたシーソーもあるが、それはもう遊具ではない。
しとしとと雨が降り続けた今日、道の反対側にあるその公園に自然と目が向いた。
いつもなら見向きもしない公園に、この日に限って注視する。一方行に傾き、ひたすらに雨を受け流すシーソー。隅に錆が溜まった鉄板でできた滑り台では、それがより大きく為されている。
地面すれすれのブランコからは絶えず雨が滴り落ちる。
そして、
「あ・・・」
もう一方の奥のブランコに少女の姿。雨が降る中、傘も差さずにそこにいるその少女に、誠の視線は当然のように注がれる。
遠くて微か、視界に入る少女は誠の視点からは木の枝ほどにしか見えない。だけど、その少女はこの雨のように、どこか悲しげだった。
その日、誠は読書をしなかった。
あの少女の存在を知ってなお、「雫」を読むことができるはずもなかったのだ。ただただ、あの少女が何を考えてあの公園にいたのか。何を考えてあのブランコに座っていたのか。何を考えて雨に打たれていたのか。
何故、あんなにも悲しげだったのか。
「そういえばあの人の服、うちの学校の制服だったような。もしかしてうちの生徒かな? でも見たことない人だったし、転校生?」
誠が通う高校の制服はこの地域では目立つものだ。目立つと言っても、男子は学ラン、女子はセーラー服と、他の学校の制服と大して変わりはない。ただ、他の学校がこの地域にないため、学生であることはすぐにわかる。
誠は確かめるために集合写真などを漁ってみる。するとどうか、誠の記憶が正しければ、あの少女の服装は今見ている集合写真に載っている女子制服と同じであったのだ。
それに気付いた誠は、それからしばらくあの雨の中の少女を忘れることができないでいた。