花火大会
ある日、僕は蓮から遊びに行くお誘いを受けた。
それは別段珍しいことではないけれど、今回ばかりは別だった。
「ねえ、僕じゃなくて友達と行きなよ」
「私はあなたと行きたいと言っているのよ?来てよ」
僕と蓮が住んでいるこの地域で、今から花火大会が行われるのだ。
蓮は今、浴衣を着て僕の家の前に立っている。
僕はドアから顔を半分出した状態で言う。
「せっかく浴衣まで着ているんだから、もう少しましな奴誘いなよ」
「浴衣、どう?」
僕と彼女の会話がかみ合っていない。いつものことだけど。
白地にいろんな色の花火が描かれている。色白の蓮が着ると、華やかなその浴衣もしっとりと落ち着く。
似合っているし、かわいいけど、ここでこんなこと言ったら調子に乗ることがわかっている。こんなにも綺麗なんだから、それを汚すように僕が隣にいてはいけない。
「普通かな」
「わからないよ?花火の下で見たら案外似合うかもしれない。行こ!」
蓮はそう言うと、門を開け、ドアに近づいてきた。
まずい、と思ってドアを閉めようとすると、彼女の右足の下駄に阻まれた。
「ほら行くよ。往生際悪いって」
そこまで言われたらしょうがない。それに、完璧な浴衣姿なのに袖から覗く手袋が、少し悲しかったから。
「分かったよ」
僕は財布をジーンズの後ろポケットに入れて、外に出る。改めて近くで蓮を見る。触ったら壊れてしまいそうなほど繊細で、儚い。
「行こっか。蓮」
「そう言ってるんだよ」
川の土手にコンビニのビニール袋を敷いて、蓮と二人で座る。
蓮はチョコバナナ、僕はりんご飴を持っている。二人とも、持つ手には手袋をしている。
「どきどきだね」
「花火があがるのが?」
蓮はそっちかー、と言って笑いだした。出会ったころと変わらない、明るく、綺麗で、上品な笑い方。僕は何となしに幸せだな、と思った。
「私ね、人に素手で触っても、一回じゃ殺せなくなっちゃったんだ。何回も触って、ようやく相手が苦しみだすの。彰はどう?」
僕も最近、一回触れるだけじゃ人を殺せなくなった。最初は気のせいかと思った。でも、だんだんと触れる回数が増えるうちに、気が付いた。僕は人を簡単に殺せる能力を失いつつあることに。
きっと、蓮も同じだろうと思った。僕の能力が効果を失い始めたのは、蓮と出会って少しした頃だったから。
蓮もそのことに気が付いている。だから聞いてきたんだろう。
「さあね」
「ふふふ。まあ、いいや。私ね、能力が弱くなってきていることを佐々木さんに伝えたらね、人を殺せなくなったときは殺される側に回るわよって言われたの。ひどいと思わない?」
「君は人を殺したくないんだろ?殺せなくなってうれしいんじゃないのか?」
「ふふ。本当はね、うれしいのよ」
花火があがる。色とりどりの火花が、バラバラと音を立てて広がる。もう一輪。もう一輪。夜空に花が咲いていく。
そっと横を盗み見ると、蓮の白い頬に花火の色が映っていた。
ああ、満たされている、と思った。夏に不似合いの手袋を付けている、右手を見る。もう、人は殺せないなと思った。能力的にも、気持ち的にも。
「ねえ、蓮。君は人を殺すことができる?」
蓮は花火を映していた目をこちらに向ける。口角はほんの少し上がり、頬は病的なまでに白い。その美しさに飲み込まれないように、僕はじっと彼女の目を見て、もう一度言う。
「君は人を殺すことができる?」
「いいえ。私はもう、人を殺すことはできないわ」
僕は気づいてしまった。この能力の真実を。そして僕の中にある、素敵な違和感を。あふれるようなそれを、ぐっと飲みこんで、綺麗な言葉を探す。それでも見つからなくて、しょうがないから、僕は一番素直な言葉をそっと出す。
「僕は蓮のことが好きだよ」
「私は彰のことが好きだよ」
花火はもう、クライマックスで、下に降りるばかりになっている。それなのに蓮は空のほうばかり見ていて、表情が全然わからない。
だから、目の端にたまった涙は見なかったことにする。いつも強がりな蓮は涙なんて見せたくなくて、空を見ているのだろうから。
家に帰って、机の引き出しの中に転がっていた名刺を取り出す。
そこに印刷されている、電話番号に電話をかける。相手は4コール目に出た。
「佐々木さん。明日の朝4時に駅前にある、一番高いビルの屋上に来てください。話がしたいです」
「分かったわ」
少しかすれた、低い声で答えた。