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朝日に充実な手のひらを  作者: みそしる
1/3

好きという気持ち


「そうじゃないわ。それは間違いよ」


 朝日が柔らかく照らすビルの屋上で、髪の長い、スーツの女性が言う。それがどんな表情かはっきりとはわからないけど、負の感情ではないのだと思う。

 僕の隣には同い年くらいの女の子がいる。手が触れるほど近くにいるのに、不自然なほどお互いの体には触れてない。


「答え合わせをしましょうか」








 ピピピ、ピピピ、ピピピ。

 目覚まし時計が朝を知らせる。

 僕、君江彰きみえあきらはサイドテーブルに乗っている目覚まし時計を、右手で止める。

 上体を起こしたときに気が付いた。


 僕は今、涙を流していた。



 きっと、夢が関係している。

 あの夢は何だったのだろう。

 

 忘れてしまった。どんな夢なのか。なぜ泣いていたのか。

 それでも、何かがないと感じている、僕がいる。






 


 朝、朝刊を取りに外に出ると、髪の長いスーツの女性が家の門の前に立っていた。



「はじめまして、君江彰くん。少し話がしたいのだけど、そこの車に乗ってもらうことは可能かしら?」


 彼女はすぐ横に止まっていた黒色のセダンを指して言った。


「僕はあなたをよく知りません。あなたの車に乗ることは愚かだと思います」

「そうね。その行為は利口じゃない。けれども、あなたはそうするはずよ。そうじゃなかったら、私はこんなところには来ないわ」


 彼女は僕のことをある程度知っていて、わざわざ僕に会いに来た。僕は黒色のセダンに乗って、彼女の話を聞くだろう。彼女の目的だって知りたいし、素性だって聞きたい。

 そして何より、僕はもう少し彼女と話をしてみたかった。

 彼女は僕が久しぶりに見た、話していて心地の良い人だったから。





「私の名前は佐々ささきといいます。これからいくつかの質問をします。疑問等あるかと思いますが、質問が終わってから聞いてくれるとうれしいです」


 僕と彼女は車の後部座席に座っている。運転席には誰もいない。

 彼女はバインダーに何かを書き込む準備をしている。

 

「あなたは心の底から愛しているものがありますか?」

「はい。僕は本を愛しています」

「それは常にあなたの中で、一番ですか?」

「はい。本以上の素敵なものに僕は出会ったことがありません」

 

 彼女は素早く僕の答えを書き留めている。僕はその間窓の外を見ていた。今日は休日だから、この時間に人はあまりいない。


 彼女はボールペンをバインダーに引っ掛けると、僕のほうに向きなおった。僕もならって彼女のほうに向きなおる。

 彼女がとても柔らかく微笑む。


「あなたは人を殺すことができますか?」


 僕はほんの少し口角を上げて言う。


「はい。できます」







 僕は佐々木さんに出会った日から、触れた人間を、その人間が命を一番落とす確率が一番高かった急病で殺すことができるようになった。僕が触れてから対象の人が苦しみだすまで3秒もかからない。それについては特に何も思わなかったけど、いつも手袋をしなくちゃいけないのは煩わしかった。

佐々木さんが入っている会社から、手紙で殺す人を指示される。大抵、法律では裁けないような小悪党だったり、繰り返し犯罪を犯すようなろくでもないやつがその手紙にのる。

 社会をきれいにするには仕方のないことかもしれないな、と思う。そして、掃除をする自分は正しいのだと感じる。

 佐々木さんに、もしこの仕事を降りたら次に死ぬのはあなたよ、と言われたけど別に構わなかった。


 だって、やめる理由がないから。


 今日も通学の途中の電車の中で、指示どおり、一人の男を殺した。誰かが救急車を呼んだらしいが、結局間に合わなかった。


 これで少し、綺麗になった。


 僕は自分自身、特別に善人だと思っていたりはしない。むしろその逆だ。進んで人を殺す僕は、その辺の人よりもずっと危険だ。


 それなのに人を殺す理由。それはきっと、自分の本が好きだという気持ちが、社会の役に立てることが嬉しかったからだろう。今までずっと、本が好きな自分を嫌悪していた。でも、この能力が使えるようになってから、本が好きな自分を肯定できたのだと思う。


 僕は人を殺す。人のため。社会のため。自分のために。






 佐々木さんに会ってから二週間がたった日曜日の朝、僕は手紙にあった一人の男を殺すために地下鉄に乗った。

 僕が乗ってから三つ後の駅で、その男は乗ってきた。油にまみれた汚い頭。肉で圧迫されたべとつく目。黄ばんだ歯がのぞく口。手紙に同封してあった写真と同じだ。

 僕は扉の近くに立っている男にそっと近づくと、手袋を外した。

 今、僕の手は拳銃より恐ろしい、武器だ。

 電車が揺れた瞬間に、男の右手に僕の手をコツンと当てる。

 男が倒れ、吐しゃ物をまき散らす。周りの乗客がざわめく。


「大丈夫ですか?なにか、持病をもっていますか?」


 僕は男の傍にしゃがみ込み、声をかける。また、男が吐く。


 僕は自分が手袋をしたのを確認すると、近くにいた、若い女に言った。


「救急車、呼んでください。すぐ!」


 女は慌てたようにスマホを取り出すと、電話をかけ始めた。

 どうせ、間に合わない。いつもそうだ。

 

 男がまた、吐く。今度は僕のズボンにもかかった。

 それきり、男は動かなくなった。


 


 もう手遅れの男を救急車が運んで行ったあと、僕はホームにぼうっと立っていた。

 

「使います?」


 前髪が長く、顔の白い、同じ年くらいの女の子がハンカチを差し出して目の前に立っていた。

 全然気が付かなかった。あまりにも無防備だ。


「ほら、そこ、汚れているでしょ?」


 女の子は僕のズボンを指さす。さっきの男の吐しゃ物が付いたままだ。


「 ああ。大丈夫だよ。ありがとう」


 僕がそう答えると、女の子は、あはははははと笑った。

 心の底からおかしそうに。それでも下品じゃない、明るい笑い声だ。


「あなたは優しすぎるわ。自分で殺しておいて、ぎりぎりまで生かす道を探している」

 

「何の話?」


「私もあなたと同じ。試しに素手で握手してみる?」


 そう言って女の子は手袋を外したを差し出してきた。僕も手袋を外して握手をしたならば、女の子の命もないだろうに。

 僕はなるべく柔らかく微笑むと、遠慮しておくよと、両手を上げた。



「僕は君江彰。君の名前、なんだっけ?」


「私の名前は望月蓮もちづきれん。これからもよろしくね」






 それからよく蓮に会うようになった。仕事をする場所がだいたい同じだからだろう。

 蓮と話すうちに、彼女のことがいろいろ分かってきた。例えば、彼女は甘いものが好きなこととか、佐々木さんとよく話すこととか。

 そしてもう一つ。僕と決定的に違うこと。彼女はどんな相手だろうが殺人をすることを嫌っている。

 蓮は自分と僕が似ているから、僕に話しかけたと言っている。けれども、僕はこの仕事を嫌ってはないし、殺人を憎んでもない。

 彼女と僕は違う。

 蓮は僕の何を見て、自分と似ていると思ったのだろう?彼女のほうが僕よりずっと人間的で、きれいなはずだ。

 僕は汚く、醜い。僕は僕の殺す相手に、同族嫌悪に似た感情を持っているのではないか?

 そうじゃなければいいなと思う。

 それは、とてもおぞましい。



「それで?あなたは人を殺すことをやめるの?」


 蓮がチョコレートがたっぷりかけられたイチゴパフェに、スプーンをさしながら言う。

 ここのカフェは冷房が効きすぎていて寒いくらいなのに、よく食べられるなと思う。


「やめないよ。やめたら殺されてしまうじゃないか」


「本当はそんな理由じゃないくせに」


 蓮が笑う。

 僕が人を殺すことをやめる理由。見つけられたらいいなと思う。今の僕は人間よりも怪物側だ。人を殺すことをやめる理由。見つけられたらきっと、死んででもやめるだろう。


 だから死ぬまではせめて世の中のためになりたい。自分のためにでもいい。ほんの少しでいいから世の中のために。




 夕日が、蓮が食べていたイチゴみたいに真っ赤だった。

 公園の樹も、滑り台も、ベンチだってイチゴソースがかかっている。


「蓮はなんで人を殺すの?」


 前を歩いていた蓮が振り向く。

 ほんの少し寂しそうな笑顔。今度はイチゴソースには見えなかった。


「わからない」


 嘘だ。何かをやるためには理由が必要だ。その理由がないなんて、嘘だ。


「言いたくないなら、言わなくてもいい」


「違うわ。じゃあ彰は、本が好きな理由が説明できるの?」


 本が好きな理由。たくさんある。例えば紙のにおい。お米を研いだようなあの匂いが好き。例えばあの大きさ。持っていて安心する。もちろん、本を読むことだっていい。生身では行けないところ、できないことができる。

 


 本当に、そうか?気が付いた時には好きで、愛していた。この理由は後付けじゃないのか?理由を作ろうとした僕が、勝手に思い込んだのではないか?


「できない」


 満足そうに蓮が微笑む。

 周りのイチゴソースはもうほとんど、食べられてしまった。


「ほらね」




 僕は昔から本が好きだった。どこに行くにも本を持っていたし、暇つぶしと聞いて思い浮かぶのは読書しかなかった。

 中学生になるころには本が近くにないと、ものすごく大きな不安に押しつぶされされそうになった。この感情を「愛」と呼ぶのか、それとも別の何かなのか。僕にはわからない。

 けれども一つ言えること、それは、今この世界で一番僕を満たしてくれるのは、本だけだということ。

 

 今のところ、僕はそれだけで生きている。


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