七色の橋
どうして僕はウサギなんだろうと思うと少し悲しくなる。朝起きたらオオカミになってたりしないな?とか、ハトみたいに羽があったらいいのに……とか、そんな事ばかり考えてしまう。
僕はベッドの側の窓から七色の橋を眺めた。オオワシさんが村の若者を集めて建てたその橋は、今でも伝説の様に語られている。
この村の隣には流れの速い川があり、果物や作物を町へ売りに向かうには1日掛けて遠回りしないといけなかった。それが七色の橋のおかげで数時間で済むようになったのだからオオワシさんは村の英雄と言っても過言ではないだろう。
当時、僕はまだ小さかったので見ているだけだったが、毎日毎日たくさんの人がせっせと大掛かりな工事していたのを覚えている。
長い時間を掛け、七色のレンガで作られた橋は完成した。オオワシさんはその後、自分の才能を発見したらしくここから遠く離れた街に出て仕事をしている。携わった若者たちもそれに続くように街を目指し、自分の可能性を見出しているという。
そうやって一人また一人と若者は旅立ち、気が付けば村の『若者』は僕だけになっていた。
「ウサギさんちの子、まだ村を出ないのかしら?」
「無理よ~。あそこの子、臆病者だって噂よ~。とても七色の橋みたいな大きな事はできないわ~」
「それもそうね。オホホホ」
外では近所に済むネコさんとキツネさんが井戸端会議に華を咲かせていた。普通なら聞こえない距離の会話だったが、僕の大きな耳は、それをしっかり受け止めてしまう。
臆病者。僕には辛い言葉だった。
「ごはんよー」母の呼ぶ声がした。
階段を降りて居間のテーブルに座る。そこでいつも通りの朝食を取る。
「どうしたの? 元気ないみたいだけど?」
正面に座った母が顔を見るなりそう言った。僕は今さっき聞いた会話の事をそのまま話した。
「あら、期待されているのね」
「どこがだよ。どうみてもバカにされてる」
「同じ事よ。オオワシさんだって橋を造ろうと計画したときには随分と周りからバカにされたわ」
言われてみればそうだった。あんな流れの速い川に橋を建てようなんて無茶な事だと思われていた。
「……でもオオワシさんはやり遂げたんだね」
彼とは違う……。やっぱり僕は臆病者……そう思わずには居られなかった。
「ねえ。オオワシさんは別にみんなの為に橋を造った訳じゃないのよ。知ってた?」
初めて知った情報に僕は驚いて首を振った。
「あの橋は自分の為に造った物なのよ。それを私たちが勝手に使っているだけ。大体思い出しても見て。 あの子はみんなの為に何かをするような子だったかしら?」
頭の中で少しずつ昔のオオワシさんの姿が甦る。
彼はいつも何かを探すように空を飛んでいたのを覚えている。たまに町へのおつかいを頼まれ、そのささやかなお礼で毎日を過ごしていたがそんな自分に腹を立てている様だった。
あの頃のオオワシさんを覚えている人は今どのくらいいるだろう。
「不思議だ……言われるまで忘れてたよ。水に流されたみたいに」
「めずらし事よ。良い上書きがされるなんて」
そう言うと、母は目の前のニンジンを一気に平らげた。
「あの橋には知る人の少ない本当の使い方があるの」
「どうしてそんな事知ってるの?」
「本人から聞いたのよ」
ふふんっと笑うと、母は優しい口調で続けた。
「いつか必要になるだろうと思ってね」
僕は七色の橋の前に立ち、先程聞いた母の言葉を注意深く思い浮かべた。一言一言をもう一度頭に刻み込む様に。
「橋の前に立ったら自分に1番馴染む色を探すの」
目の前には色とりどりのレンガが一色につき一列ずつ、奥に向かって伸びている。僕はその中から自分に合った色をすぐに見つける事ができた。
「見つけたら、その色を見つめて歩くの。心の中にも強く色を焼き付けて」
ゆっくりと足を進める。
「歩き出したら決して目を逸らしてはだめよ。どんな声が聞こえて来てもよ」
一色を見つめたまま、僕はその色の上を歩く。それは思っていたよりも長い道のりで、時間の経過と共に疲労は溜まっていった。
しばらく歩き続けていると突然周りの空気が変化したのを感じた。どこか懐かしい匂いと、安らぎに似た感触が肌を包んだ。
ふーんふーん。
聞き覚えのある鼻唄が僕の耳に届いた。あまり離れていない場所から聞こえて来る。
「決して目を逸らしてはだめよ」
母の言葉を頭の中で反芻する。
ふーんふーん。
決して余所見をしてはいけない……でも僕は無視する事ができなかった。
聞き馴染みのあるメロディーは記憶の中のそれよりも随分と弱々しく、それが不安な気持ちを誘い出していた。今ここで無視してしまったら僕は後悔するような……この道を歩き切れない事よりも、とても大きな……。
ふーんふーん。
もう一度聞こえた時には、もうその方角を見つめていた。
寂れた一軒家があり、大きな窓が開け放たれている。その中に歳を取った母がベッドに身を起こして座っていた。
側には誰もいなかった。多くのシワが刻まれた顔を別の窓の方に向け、また鼻唄を歌った。
ふーんふーん。
それはさっきよりも小さく、更に弱々しくなっていた。
ふーんふーん。
このまま消えてしまいそうな鼻唄を前に進路を変えずにいられなかった。側に行かなくては……もはや迷いはなかった。
しかしその時だった。
老いた母は突然こちらを向き、ゆっくりと口を動かした。
「それでも、歩き続けるのよ……」
視線を道に戻すと、まだ同じ色のままそれは残されていた。
もう一度母の方を向こうとしたが、怒られそうな気がして止めた。
後ろ髪を引かれながらも、僕は再び歩を進めた。もう二度と余所見をしないよう自分に強く言い聞かせながら。
やがて青い土筆が生えているのを見つけた。
あと少しだ。
目前のゴールに疲労を忘れて歩き続けると、僕はようやく目指していた場所に辿り着いた。そこでは目に見える物のほとんどが青い色をしていてる。そして聞こえる音はどれもが涙を誘った。
遠くでは様々な色の自動車が忙しそうに行き交っていた。
ふと横に目をやると青いフェンスが張り巡らされている場所があった。周りは青い芝生になっていたが、その中だけは砂利になっている。
そこが何の為の場所なのか即座に理解する事ができた。ここには自分の知らないものは無いんだ。
僕は決して忘れないだろう。この青色に染められた世界を。そして自分の臆病さを……。これからも、ずっと。ずっと。
おわり