最終話 Ⅱ
時はしばし遡る。
アルフレッドの依頼を受諾した二人はとある国の初級ダンジョンへ。
英雄になる前の少年ザイン・ジーバスの辿った道をなぞり深層へ潜行。
アルフレッドが言っていた更なる先へと続く道を見つけそこへと飛び込んだ。
待っていたのはこれまでと比べ物にならない質と数を備えたモンスター達だったが、
「邪魔だ死ねェ!!」
「下等生物風情が頭に乗るなよ!!」
ここに来るまでにすっかり温まっていた二人には関係がなかった。
枷を嵌めた状態であっても十年の間に培った技術がある。
一歩詰めを誤れば危ない場面は幾度もあったが、それすら楽しみながらモンスターを蹴散らして行く。
黒刃が煌く度に血霞が舞い、拳を振るえば叫喚が上がる様は正に修羅場であった。
「「ふぅ」」
雲霞の如く押し寄せて来ていた敵を粗方駆逐し、二人は同時に息を吐いた。
とは言え彼らの鋭敏な感覚は完全に安全が確保出来ない訳ではない事を知っている。
息を潜めて機を窺っているだけで、敵はまだまだ居る。
「何だよ、疲れたのか? ドラゴン様も大した事ねえなあオイ?」
「面白い冗談だねヒューマン。君こそ脆弱な心身が軋んでるんじゃないか?」
「あ?」
「お?」
メンチを切り合う二人。
こんな場所で何やってんだお前ら!
とまともな冒険者であれば注意するだろうが、彼らにとってはこれが平常運転なので心配は要らない。
いがみ合いながらも連携を取れる程度には優れた冒険者なのだ。
「フン……しかし、久しぶりに当たりの依頼を引いたなこりゃ」
「そこには同意するよ。出て来るモンスターの悉くが表ではヤバイ認定されるような奴ばっかだもん」
未知のモンスターもそうだが、既知のモンスターにしても危険な手合いばかりだ。
例え単体であろうとも街や村などのコミュニティ付近で発見が報告されれば即討伐隊が組まれる事間違いなし。
そんな連中が群れを成して襲って来るのだから良い意味で堪らないと二人は嗤う。
「油断すれば持ってかれるぜ」
嘲りを浮かべたまま首を掻き切る動作をしてみせるシン。
何かと慢心し易いポチを馬鹿にしているのだろう。
「大丈夫さ。枷があっても君とは違って油断してても早々致命的な事態にはならないもん」
「口の減らねえ野郎だ」
「君もね」
「ケッ! にしてもよ、お前此処どう思う?」
グルリと周囲を見渡す。
「…………普通のダンジョンとは違うね」
ぺたりと冷たい壁面に触れる。
石なのか金属なのか、どちらにしても繋ぎ目一つないのは不自然だ。
他にも光源。当然のように太陽光は差し込んでいないし松明などがある訳でもない、なのに明るい。
結晶のようなものが光を放っているのは分かるが魔力は感じないし魔道の産物ではないだろう。じゃあ何故光を放っている?
「それに何だろうね、妙な違和感を覚える」
場違いのような、継ぎ接ぎのような、形容し難い感覚だ。
ただここに立っているだけでも肌を刺す違和感が酷い。
どうしてか、何時まで経っても馴染めるとは思えなかった。
「頭の良い学者が此処に来たら何か分かったりするのかねえ」
「護衛を就けても厳しいんじゃない? 調査なら護衛対象も一人や二人じゃ済まないだろうし」
言いつつ二人は同時に水筒を取り出した。
ここまでノンストップで進撃し続けて来たから先々を考え小休止を取る事にしたようだ。
言葉にせずとも通じ合っているのは気が合う――と言うよりはどちらも正確に自己を把握しているからだろう。
「あたしが頭良けりゃ金に出来たのかねえ」
「どうかな? 国のお偉いさんはダンジョンなんかにかかずらってる暇はないと思うよ」
十年――冒険者としてはベテランと言っても過言ではない経歴だ。
そしてベテラン冒険者ともなれば自然と色々な情報が耳に入って来ると言うもの。
シンやポチも他国の情勢にはある程度、詳しくなっていた。
「インウィディアの跡目争いがそろそろ終わりそうなんだっけか?」
「らしいね。勝ちそうなのは末弟らしく、彼はどうにも血の気の多い人物のようだ」
「ほう……なら、次期皇帝様が最初に喧嘩売りに行く国は何処だと思う?」
「スペルビアでしょ。往時の勢いはないし、いい加減表舞台から消えて欲しいってのが総意だと思うよ」
ルークスが見れば目を丸くする事間違いなしの光景だ。
子供だ子供だと思っていた彼らがいっちょ前に国際情勢を語っているのだから。
「祖を同じにするアケディアはどうなるかな」
「さて? 僕も君もアケディアには行った事ないけど随分と善政が敷かれているようだし喧嘩を売れる口実がないんじゃない?」
「かと言って昔のスペルビアみてえに問答無用で殴り掛かれば全方位からタコ殴りだしな」
ケラケラと笑うシンの瞳には侮蔑の情が浮かんでいた。
尤も、何を蔑んでいるのかは本人も正確には把握していないだろうが。
「にしても君は良いのかい?」
「あ? 何がだよ?」
ノクティスが持たせてくれたサンドイッチを齧りつつ問い返す。
あのネコ、更に腕を上げやがったなと内心で舌を巻いているが……それはどうでも良い事だ。
「故国が存亡の危機に立たされるかもしれないのに思うところはないのかって事だよ」
「故国? スペルビアが? あたしの? ギャハハハハハ! 偶には笑える冗談言うじゃねえか糞蜥蜴」
おかしくておかしくてしょうがない!
ともすれば敵を誘導しかねない程の大声でシンは笑う。
「あたしに故郷なんざありゃしねえよ」
確かにスペルビアで生まれスペルビアで育ちはした。
だがスペルビアが故郷なのかと問われればシンは明確にそれを否定する。
「たかだか六年だぜ? あっこで真っ当に育ったのは」
そしてその六年でさえ幸福に満ちていた――と言う訳でもない。
そこからルークスに出会うまでの日々は自由のない檻の中。
郷里を想う心が育まれるような時間は一切なかったと断言出来る。
「思い入れのある場所なんざ……二つぐらいしかねえよ」
初めてルークスと出会ったあの地下牢獄。
ルークスと二人きりで過ごした思い出があるどこかの誰かの屋敷。
シンにとって価値があると言えるのはそれぐらいだ。
そしてその二つにしても何が何でも守り通したいと言う程でもない。
ルークスの傍に居られるだけで良い、それだけで十分なのだ。
「スペルビアが綺麗さっぱり焦土になっても何ら問題なし。どうぞ御自由にってな」
「君は実に薄情な奴だねえ」
「じゃあ聞くがお前は故郷……いや、お前に故郷とかあんの?」
ふと真顔になる。
よくよく考えればドラゴンの生態ってどうなっているんだ?
シンからすればポチは十年前、いきなり王都上空に現れそのまま居着いた蜥蜴程度の認識でしかない。
その来歴を聞いた事はこれまで一度もなかった。
「両親は? つかドラゴンってどうやって生まれんの?」
ポチ――と言うより竜の生態について考えてみたが、何一つとして判然としているものはない。
それはシンが無知だからと言う訳ではなく、単純に人間が竜についての情報を得られていないだけだ。
「え? 何お前気持ち悪っ!」
あまりにも謎だらけなものだから急にポチが得体の知れないナマモノに思えて来たようだ。
が、直球で気持ち悪いと言い放つのは如何なものか。
「失礼な奴だな……でも、うん……僕らってどうやって生まれたんだろ?」
「はぁ!? 知らねえのかよ!?」
「親とかそう言う存在が居た覚えもないや」
万年の長い生を振り返りポチは気付く。
竜に対する理解の度合いで言えば人間とそう大差がない事に。
「深く大きな何かから急激に切り離されて自我が芽生えたってのが僕の認識なんだよね」
「……それが親なんじゃねえの?」
「いや、どうだろ……? 親なら必要な事は教えると思わないかい?」
生んだらその時点で一人前、後はお好きにどうぞと言うのが竜の習性だとしても、だ。
その子竜はどうやって子を成せば良い?
本能でそのやり方を知っているだけなら問題はないが、生憎とポチはそれを知らない。
そして恐らくは他の竜も。ならば親たる存在が子孫の残し方ぐらいは教えておくべきだろう。
でなくば種が途絶えてしまう。命を繋ぎ続けるのが生命の本懐である以上、教えないと言う選択肢はあり得ない。
「一応、今の僕は人間の姿を取っているからね。人間の交尾は出来るよ」
「交尾って言い方止めろよ、生々しいだろ……」
白い目を向けられるがポチはそれを華麗にスルーした。
「でもそれで子を成せるかと言ったら先ず不可能だろう。何となくだけど分かる。あくまで快楽目的の行為にしかなり得ないだろうね」
「…………お前ら、ホント何なんだ?」
「僕が知りたいぐらいさ。ああ、マスターなら知ってるのかな?」
およそ全知全能と言う言葉があれ程似合う存在もそうはいまい。
ルークス・ステラエであればポチ当人ですら知らぬ竜についての来歴を知っていてもおかしくはないだろう。
ただ、それを語るかどうかはまた別の話だが。
「最初からルークス様に頼ってんじゃねえよ。どうしても知りたいなら先ずはテメェ自身で探ってみろや」
「言われずとも。いやまあ、万年生きて今更疑問に思う程度だから別段何が何でも知りたいって訳でもないんだけど」
「そうかい。んじゃ、そろそろ探索を再開すんぞ」
「ああ」
小休止を終え依頼を果たすべく探索を再開する二人。
迷いのない足取りでずんずんと進んでいる彼らだが一般的な冒険者がそうするようにマッピングなどはしていない。
ともすればあてもなく彷徨っているようにしか見えず、帰還すら怪しいのではと思うかもしれないがそこは大丈夫。
前者についてはその通りだが、帰還自体は問題ない。
順路を記憶しているとかではなく己の臭いや残留した気配の濃淡で帰路を辿る事が出来るのだ。
更に言うなら、いざとなればルークスの居る拠点へ転移する事だって可能だ。
「よう、依頼人の爺はこの層よりも更に先があるかもと言ってたが……お前はどう思う?」
「んー……どうだろう? 君程馬鹿なつもりはないけれど、僕も専門って訳じゃないからね」
冒険者の中にはダンジョンを専門とするダンジョンエクスプローラーと言う手合いが居る。
彼らならばまた別の視点でこのダンジョンを見つめる事も出来たかもしれないが、生憎とポチは雑食だ。
選り好みするのは危険度ぐらいで危なければ何でも良いとテキトーに依頼を受けている。
そしてそれはシンも同じで、単純な戦闘能力はともかく専門家と比べると知識・経験、大きく劣っていると言わざるを得ない。
「だよなぁ……やっぱ専門家一人ぐらい連れて来た方が良かったか?」
シンらしからぬ発言だが、当然理由がある。
現状を楽しんではいるが、それはそれ。今の自分が冒険者である事も忘れてはいない。
割と生真面目な彼女はクライアントの要望を叶えるのが当然だと考えている。
しかし、現状では情報を記録して帰る事が出来ても期待されている”先”へと続く道を見つけられるかどうか分からない。
「愚痴っててもしょうがないさ。あのお爺さんも100%の成果は求めてないでしょ」
自分が逃げ帰る事しか出来なかった今居る層の探索だけでも十分のはずだ。
「あーあ、如何にもそれっぽくて怪しい何かがあると良いんだがな」
暢気な会話を交わしている二人だが現在も戦闘の真っ只中である。
探索を再開し程なくして再びモンスターが群れを成して襲って来たのだ。
その対処(抹殺)をしながら先へと進んでいるのが現状だ。
「そう都合良くは――――」
開けた空間に辿り着いた二人の目に、
「「あ」」
”如何にもそれっぽくて怪しい何か”が映り込んだ。
「うっそだろお前……これはあれか? あたしの日頃の行いが良いからか?」
「……君、善行なんて積んでないだろ」
「ルークス様にしっかりお仕えしてんだろ」
「む、それは確かに……でもそれなら僕もじゃない?」
「駄犬みてえに散歩散歩言ってる奴が何を」
「意に背いて自分より弱い子供を殺そうとしてた奴が何か言ってるけど聞こえないや」
それは中々に煽り度が高い変顔であった。
「あ?」
「お?」
「「チッ!!」」
二人同時に舌打ちをし、同時に顔を逸らす。
折角見つけた手がかりを前に煽り合いをしている場合ではないと我に返ったようだ。
「……こりゃあ、石碑か? だが、ただの石碑じゃあねえな」
「うん。大きな、とても大きな力を感じる」
墓標のようにも見える漆黒の石碑にはどこのものとも知れぬ文字が刻まれていた。
当然の如くシンには読めないが、アルフレッドにとっては違う。
モノクルを付けている側の目を走らせ一通りの記録は取っておく。
「それは今のテメェにとってか? それとも……」
「わざわざ聞くまでの事でもないだろ――――枷も何もない全力の僕と比べても、だ」
一見すれば何て事はないように見える。
ある領域にまで達していない人間には何一つとして感じる事は出来ないだろう。
だが、その領域にまで達していれば眼前の石碑が途方もない力を内包している事に気付けるはずだ。
そして、このような力の持ち主を彼らは一人しか知らない。
「……ルークス様か?」
「……どうだろう? ちょっと分かんないかな」
数はそこまで多くはないが二人はルークスが力を振るう場面を幾度か間近で見ている。
ゆえに朧げではあるがその気配もある程度は分かる。
だが眼前の石碑からはルークスらしき気配は感じない。
かと言って無関係だと断ずる事も出来ぬ不可思議さがある。
「どうする? ルークス様に指示を仰ぐか?」
「まさか! 君もさっき僕に言ったじゃないか。先ずは自分でやれるだけやれってね」
「そりゃ道理だが、どう調べるよ?」
「とりあえず今出せる全力で攻撃してみようと思う。本気の僕でも破壊は不可能だから問題はないだろうしね」
「まあ……それもそうだな」
ポチはグルグルと肩を回しながら大きく足を広げる。
威力に主眼を置いたモーション、実戦では隙だらけなので先ず使う事はないだろう。
だが相手は物言わぬ石碑、何の問題もない。
「おらっしゃあ!!」
速度、威力、冒険者活動時に出せる全力を出し尽くした技も飾りもないシンプルな一撃。
真正面から放たれたそれが石碑にヒットした瞬間、轟音が鳴り響く――事はなかった。
半透明な力場が石碑の表面に発生し、波紋となり全体へと広がっていく。
それと同時に、
「ッ……!」
「おい、どうした?」
「熱い……ッ……血が、熱いんだ……!!」
全身の血が沸騰しそうな程に熱を帯びている。
これは石碑に反応した――と言うよりは、その向こう側にある”何か”に反応した感じだ。
「(同族か? いやだが、少し違うような……)」
思考を走らせるポチであったがそれを阻むように光が爆ぜ、二人はこの場から消え去った。
転移した場所は後程マリーらもやって来るあの花畑。
「……此処が爺さんの言ってた”更に先”か?」
「そのようだね。でも、見た感じこれ以上先はなさそうだ」
四方を見渡してみてもどこかへ続いているような道は見えない。
それは上方も同じ。かなりの高さはあるが厚い岩盤に覆われていて蟻一匹侵入出来る隙間もない。
「さっきのフロアと違って怪しそうなものもないっぽいし……でも、これってどうやって帰れば良いんだろ?」
「一方通行かよ……あたしらじゃなきゃ此処で死んでたんじゃねえか?」
「かもね。しかし、これからどうする?」
依頼は一応、これで完了したと言っても良い。
だがアルフレッドが依頼を出した背景を酌むのであればもう一つ二つ何かを拾って帰るべきだろう。
「とりあえずそこらを散策してみるか。結構広いし、大まかに見ただけじゃ分からん事もあるかもしれねえ」
「OK。とりあえず隈なく歩き回って記録するとしよう」
遮蔽物がないので分かり難いが軽く見た感じでも、この大空洞の規模はかなりのものだ。
幾らポチやシンの視力がずば抜けていてもその場で見渡すだけでは気付かない事もあるだろう。
そうして探索を開始して十分程で、彼らはそれを発見した。
「……ありゃあ、人間の死体か?」
前方十数メートルの場所で人間らしき存在が苦悶の表情を浮かべ何かを掴もうと手を伸ばしたままうつ伏せに倒れていた。
命の気配は微塵も感じられない。
死んでいるのか、いやこの際生死は問題ではない。
問題なのはその姿形だ。
「ほう、君の知る人間は腰から二対の翼を生やしている訳だ」
近付けば近付く程、人間との差異が露になる。
先ずは上から見て行こう。
頭部――くすんだ銀髪、これはまだ良い。問題はその額から突き抜けている突起、まるで角のようだ。
顔立ち、これも問題はない。目を閉じられているので断定は出来ないが、見える部分だけでも端整な顔をしているように思う。
人間基準でも男前、と評される顔だ。年の頃は二十代半ばから三十手前と言ったところか。
問題は肌の色。唇も真紫だが、これはまあルージュと言い張れなくもない。しかし、肌の色は違う。真っ白だ。
死体のそれともまた違う白さは人間のそれではまずあり得ないように思う。
「嫌味な野郎だ。しかし、人間じゃないとすると……」
次に目を引くのはポチも指摘した腰にある二対の翼だ。
蝙蝠の羽根にも似たそこそこ大きな翼、こんなものを生やした人間が居るか? 居る訳がない。
他にも細かな部分の差異は窺えるが、そこは一旦置いておこう。
「断定は出来ない。だけど、思い当たる存在が居ないかと言えばそうでもない」
「――――魔族か?」
モンスターは何故、人間を敵視し執拗にその命を狙おうとするのか。
過去より論ぜられて来たこの命題に対して幾つも仮説が立てられた。
その中の一つに、上位存在の命令を受けてと言うものがある。
過去から現在まで確認されているモンスター達の中に高度な知能を有した存在は居なかった。
さしたる知能もないのに何故、彼らは同士討ちもしなければ人間を見誤る事もないのか。
彼らに命を下す高度な知的生命体が居るからでは?
その存在が理由は不明なれども人間に敵意を持ち尖兵としてモンスターを操っているのではないか。
その上位存在を指して――――魔族。
「やっぱりそれが思い浮かぶよね」
魔族は人間が思い描く”悪魔”そのままの姿をしていると言う。
それに照らし合わせればこの死体は正に悪魔そのもの。魔族と呼称しても差し支えはないだろう。
「ああ、だが……」
渋い顔をするシン、彼女は正直半信半疑だった。そしてそれはポチも同じ。
と言うのも魔族はある意味、真なる魔女よりも御伽噺寄りの存在なのだ。
魔族の姿云々も所詮は想像によるものでしかなく、明確な目撃例が残っている訳ではない。
あやふやな伝承にしてもそう。
魔族が齎した災禍と思わしきものも残ってはいるが、どうにも怪しい。
仮説が立ってから辻褄合わせのために過去の災禍を引っ張り出して来たのではと言うものばかり。
「一応世間じゃ、魔女も居るなら魔族もって論調があるのは知ってるけど」
万年を生きたポチだが過去を振り返っても糧とした強い命の中に魔族らしき存在は居なかった。
まあ、真なる魔女の存在や超越の黄金について知らなかったじゃねえかお前と言われればそこまでの話だが。
「考え事はあたしらの領分じゃねえ。とりあえずこれを持って帰れば爺さんも喜ぶだろ」
そう結論付けシンが骸に向けて手を伸ばしたその瞬間、
「!」
カッ! と骸の瞳が開かれた。
「な……!?」
驚くシンの横っ面に裏拳が叩き込まれその身体が吹き飛ぶ。
幾ら虚を突かれたと言っても彼女の知覚と本能をすり抜けて攻撃を叩き込むなぞ生半な事ではない。
「チィッ!?」
吹っ飛ぶと同時に右腕からスカー・ハートを顕現させ切っ先を楔のように変え刀身を伸ばし地面に突き刺す。
そのお陰で距離を短縮出来たが、何もしなければ数百メートルは吹き飛ばされていた事だろう。
「(コイツ、やべえ……! 一撃で足にクるなんて何時ぶりだよ……?)」
体勢を立て直したシンは即座に冒険者活動を行う上で嵌めている枷を解除した。
制限がある状態ではどう足掻いても勝てない事を一撃で悟ったのだ。
「……」
少し距離を取り、油断なく骸だった何かを見つめ続ける。
「う、あぁ……うぅむ……」
そいつは寝起きの悪いオッサンのような唸り声を上げながら散漫な動きで立ち上がった。
どこからどう見ても隙だらけ。
しかし、迂闊に仕掛ければ手痛い反撃を喰らうであろう事は予想に難くなかった。
「んん……ここ、は……? ああ、そうだ……俺様は此処を破……ん?」
男はようやくシン達の存在に気付いたらしい。
「…………おい、テメェは何だ?」
「あ? 俺様はバエルだが……いや、んなこたぁどうでも良いか」
バエルと名乗った男の視線はポチに向けられていた。
「俺様を起こしてくれたのはテメェだな」
「……生憎と、覚えがないね」
「まあ自覚はねえだろうよ。たまさか規格が――にしても、世界は随分と歪に様変わりしたようだ」
忌々しげに吐き捨てるバエルの瞳にはこの上ない憎悪と憤怒が宿っていた。
「まだ人間が滅んでねえとは。それだけならまだしも、一体どれだけの時が流れている!?
千年や万年どころの話じゃねえだろ……! 何時まで愚行を犯し続ければ気が済む!?
運命に逆らい浅ましくも続かせて行くなど……ああ、畜生! それもこれも奴らのせいだ! アイツらさえ居なければ……!!」
顔を手で覆い怨嗟の声を漏らしていたかと思うと、
「いや、俺様はこうして目覚めたのだ。ならば……ああ、とりあえずお前から殺すとしよう」
それまでの態度が嘘であったかのようにシンへ向けて殺害宣言。
情緒が不安定なのか、そもそも人間とは違う精神構造をしているのか。それはこの際どうでも良いだろう。
「あたしを殺す……? やってみろや糞カス野郎!!!!」
「ギャハハハハハ! 威勢が良いな人間ン!?」
激突する剣と拳。
衝突地点を中心に爆ぜ広がる衝撃波が大空洞を揺らす。
一瞬の均衡、それが崩れ競り負けたのはシンだった。
「がぁ……!」
仰け反ったシンに容赦なく降り注ぐ拳足の嵐。
どうにかこうにか対応出来てはいるがこのまま続ければジリ貧になるのは目に見えている。
「(技術や戦闘経験自体は大した事ねえな)」
激情を燃やしながらも冷静にバエルを分析する。
回避されるなら回避されない程、速い攻撃を。防御されるなら防御ごとぶち抜く攻撃を。
バエルが自分を上回っているのはシンプルな性能差ゆえ。
スペックにものを言わせたごり押し――まるでかつてのポチを見ているようだ。
「(とは言え、曲がりなりにも戦いの形になってる以上……勝機は零じゃない。付け入る隙は必ずあるはずだ)」
一瞬、撤退も考えた。だが直ぐに却下した。
現状、バエルの底は見えていないし何者かも分かっていなければ何が出来るかも不明。
そんな状況で拠点への帰還を実行すればどうなるか。
逃げられるならばそれで良い。問題は逃げられなかった場合だ。
仮説その1、帰還の術式を無効化される。
これはまだ良い。退けなくなるだけで腹を括れば何の問題もない。
問題は仮説その2――――術式に干渉し、自分達を追って来る可能性だ。
これは駄目だ。ルークスの居城にこんな奴を連れ込むのはプライドが赦さない。
ルークスであれば容易くバエルを殺してのけるだろうがその手を煩わせるなど下僕としてあり得ない。
「つか糞蜥蜴ェ!? テメェ何さっきからボーっと突っ立ってやがんだ!?」
ポチもまた絶対の忠誠をルークスに捧げる下僕だ。
であれば自分の考えている事などポチも考えていて当然。
だと言うのにポチは動かない。別段、加勢を望んでいる訳ではない。
ポチ一人で何とかなるなら自分がやられた後にバエルを殺せば良い。
出来るなら自分で殺したいが結果としてルークスに迷惑をかけずに済むのであればそれで良いだろう。
が、棒立ちは頂けない。
加勢するなら言わずもがな、突っ立ってないでさっさと手伝え。
加勢しないなら自分の番が回って来た際に確実に殺せるようバエルを観察しておくべきだ。
なのにポチは視線すら寄越さず棒立ちのまま微動だにしない。
「違う……!」
シンからはポチの表情は窺えない、しかしその声には確かな焦りがあった。
「ああ!?」
「――――身体が動かないんだよ!!」
「な……」
「そうら隙アリぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
横っ腹に叩き込まれた回し蹴り。
着弾点から広がっていく痛みと衝撃が全身を蹂躙する。
「はしゃいでんじゃねえぞ糞カス野郎!!」
「うぉ!?」
痛みに顔を歪めながらもスカー・ハートを無数の茨に変化させバエルの足を絡め取った。
そしてそれを振り回し遠心力をつけ放り投げる。
予想外の反撃だったらしくバエルは成す術もなく彼方へと消えて行った。
「はぁ……はぁ……動けない!? テメェがか!?」
僅かばかりの時間を捻出出来た。
呼吸を整えつつ、先程発せられた耳を疑う発言についての真偽を問う。
身体が動かない――恐怖によるものか? 馬鹿な、バエルは確かに強いがそれだけ。
ルークスのような圧倒的な質量熱量を備えた真なる規格外ではない。
かつてルークスに恐怖したポチがバエル程度に怖じる訳がないだろう。
「ああ……! 加勢しようと思ったんだけど……何でか、ピクリとも身体が動かないんだ!!」
ポチも自分の身に何が起きているか分かっていないらしく混乱しているらしい。
「チッ! だったら邪魔になんねえよう隅にでも行ってやがれ!!」
舌打ちと共に茨を伸ばしポチの足を絡め取るとそのまま自身の後方へ向けて放り投げる。
身体が動かないポチはバエルのように成す術もなく投げられるかと思いきや……。
「何するんだよ!?」
空中で翼を出し、急停止。
「動いてんじゃねえか糞蜥蜴!!」
「え? あれ?」
一瞬キョトンとするポチだったが、理屈なんて今は後回し。
動けるようになったのならば自分もと全身に力を漲らせるも、
「あ、あれれ?」
パン! と気の抜けた音と共に力は霧散。
身体の自由も再度奪われポチは呆気なく地に落ちた。
「(これは……まさか!?)」
ポチは浮かび上がった推論を下に”戦闘の邪魔にならないよう距離を取る”と意識し手足に力を籠める。
するとこれまでの静止状態が嘘であるかのように足が動いた。
「…………理由は分からないが、奴への敵対行為にのみ制限がかかっているらしい」
「成る程」
ポチはもう置物と大差ない存在に成り下がった。
となれば、
「あたし一人で殺るっきゃねえって事だな」
その頬を一筋の冷や汗が流れ落ちた。




