第二話(表)深夜のお誘い
草木も眠る深い夜。
トラブルはあったものの、概ね満足の行く一日を終えたマリーらは心地良い疲労に抱かれて眠っていた。
寝間着などを買う金も惜しいのだろう。全員が下着姿なのだが、悲しい事に色気もクソもない有様だった。
「こ、殺す……私の胸……胸ェ……!」
「zzz」
ツインベッドに無理矢理三人で入っているからだろう。
腕も足も絡まりまくりで決して快適とは言えない有様だが、少女らにとっては慣れっこだ。
このまま昼前までグッスリコースを外れる事はないだろう――――何も無ければ。
「!」
突然、マリーが目を覚ます。
跳ねるように起き上がったせいでジャンヌとマレウスがベッドから転げ落ちてしまったものの、二人は眠ったままだ。
「……」
二人の事を気にかける余裕もないまま険しい顔でキョロキョロと辺りを見渡すマリー。
「……何、今の?」
胸を抑える、傷なんて一つもありはしない。
だが何だ? 先程のアレは。まるで心臓に刃を突き立てられたかのような……。
気のせいか? いや違う。
眠気も一瞬で吹き飛ぶような鋭く冷たい何かを自分は味わった。
晴れない胸のモヤモヤに顔を顰めていると、
「! まただ」
また感じた。
荒々しく、燃え滾るようなそれは――敵意だ。
自分にのみ向けられた敵意。だがマリーには心当たりなどまるでなかった。
強いて言うなら今日……いや、日付が変わってので昨日か。昨日絡んで来たチンピラぐらいだが、
「違うよね」
あんなチンケな輩にこんな敵意を飛ばせる訳がない。
マリーはしばしの間、逡巡し、そっとベッドから降り立った。
そして床に転がる二人をベッドに戻し、音を立てないように着替えを始める。
「(行こう)」
万全の支度を整えたマリーは一度だけ腰に差したショートソードの柄を撫で、忍び足で宿を後にした。
言葉で何かを伝えられた訳ではない。
だが言葉よりも雄弁な意思が伝わった。
呼んでいる、誰かは知らないけれど、誰かが自分を呼んでいる。
「……ホントは、宿で大人しくしてた方が良いのかもだけど」
万が一、ジャンヌやマレウス――他の宿泊客が巻き込まれたら悔やんでも悔やみきれない。
不安と恐怖に苛まれながらも他者を想う気持ちの方が勝ってしまうのがマリーと言う少女なのだろう。
「(何処に居るんだろう……?)」
日中の活気が嘘のように静まり返ったエデの街を往くマリー、明確にどこへ行けば良いかなんて分かっていない。
ただ、向けられた殺意に導かれるがまま走っているだけ。
そうして走り続け、気付けば大手門前までやって来てしまった。
普段冒険者や商人らが出入りしている門は閉じているが、警邏のために衛兵が使う通用口は開きっぱなしだ。
「(どうしよう――なんて考えるまでもない、か)」
ここで退くぐらいなら最初から宿で大人しくしている。
意を決して通用口に入ったマリーは途中で咎められるかもと不安に思っていたが、それは杞憂だった。
「(い、居眠りしてる……)」
通路の中は無人。出口に立つ衛兵も壁に背を預けて鼻ちょうちんを作っている。
エデは駆け出しの街と称されるように、周辺で出没するモンスターの危険度も大したものではない。
とは言え、流石にこれはどうなのかと頬が引き攣る。
世の中にはほんの少しの居眠りで大惨事に繋がりかねない程に緊迫した所もあるのだ。
だと言うのに、この間抜けヅラ。
「(これがマレウスの言ってた……あー……うー、格差社会ってやつなんだね)」
しみじみと頷き、長居は無用と外に飛び出す。
「(モンスターも眠ってるのかな?)」
静まり返った草原をひた走る。
モンスターに絡まれそうな地点に踏み入っても接触がない事で疑問を抱いたマリーだが、それは違う。
モンスターは眠っている訳ではない。ただ怯え”それ”の標的とならぬよう息を潜めているだけだ。
走り続けて十数分、街の影すら見えなくなったところでマリーは立ち止まった。
「――――」
言葉を失う。
雲の切れ間から差し込んだ月光が照らし上げたのは自分の何倍も大きい黒いドラゴン。
それにも目を引かれたが、ドラゴンの存在が霞む程に無視出来ない者が居た。
「……」
竜の頭に片膝を立て胡坐をかく女が自分を見下ろしている。
珍しい黒髪黒目と黄色の肌。
ちょっと――いや、かなり刺々しい印象を受けるものの街ですれ違えば十人中十人が足を止めるような美女と言って良いだろう。
だが、マリーはどうしてか綺麗だとかそんな風には思えなかった。
それは彼女の美醜の価値観が狂っているとかそう言う事ではなく、
「(怖い)」
これに尽きる。
怒りと言う概念が人の形を取ったかのような存在だと思った。
分かり易く激している訳ではないけれど、それでも確信が持てる。彼女は怒っていると。
自分に? それもあるだろう。
だが、きっとその怒りは広く深く――――
「……マリー・スペーロだな」
「!」
魔性に惹かれかけていた意識が急速に浮上する。
名を呼ばれた事でマリーは幾分か冷静さを取り戻した。
「(どうして私の名前を知ってるの?)」
当然の事ながら女に心当たりはない。
黒髪黒目、かなり目立つ容姿だ。面識を持てばまず忘れはしないだろう。
だがマリーの知っている黒髪黒目と言えば日付が変わる前に出会ったリーンぐらいだ。
「(あれ?)」
リーンを思い浮かべたからだろう。
女の顔立ちがどこかリーンに似ている事に気付いた。
縁者なのだろうか? いや、だとしたら何故だ?
自分の名前を知っているのがリーンの縁者だからとして、何故彼女から敵意を向けられなければいけない?
次から次へと浮かび上がる疑問、今のところどれ一つとして答えは導き出せなかった。
「確かに私がマリーだけど……あ、あなたは?」
とりあえず会話をしてみない事にはどうにもならない。
怯えを必死で噛み殺しながら何者かを問うた。
「あたしはシン。だが、別に覚えておく必要はねえ」
そう言ってシンは竜の頭から音もなく大地に降り立った。
「タマ、お前は散歩でもしてろ」
「グルァ!」
タマと呼ばれたドラゴンは短く鳴き声を返し、夜空へと消えて行った。
これで完全に二人きり。
竜が居なくなり感じている重圧も少しは薄れるかと思ったが別にそんな事はなかった。
むしろその逆、強くなった気さえする。
「テメェは……何だ?」
「は?」
苦み走った表情で女――シンが口にしたのはあまりに不明瞭な問いだった。
何だ、何だ、何だと言われて何と答えれば良いのか。
名前はもう名乗った。家族構成を答えれば良いのか? 出身も? それとも夢を? いいや、どれも違う。
シンが求めている答えはそんなものではない。
それぐらいは分かるが、ちゃんと言葉にしてもらわなければ何一つとして答えられはしない。
「……オッサンみてえに、世間一般で言うところの善人だってのは分かる」
「(オッサン?)」
会話は投げて返しての繰り返しだ。
だが、受け取れないと返す事も出来やしない。投げたところで受け取ってもらえなければ成立しない。
今は正にそんな状況だ。受け取る事が出来ない、投げても受け取ってくれない。
「だが、それだけだ」
「(何なの、この状況?)」
敵意に導かれて結構な決意の下に飛び出して来た。
未だ敵意はあるものの、困惑の色が強くなったせいで少しは気が楽になったがこのままじゃ埒が明かない。
さあどうしたものかと悩んでいたその時だ。
「オッサンに比べりゃ力もねえ。なのに、何でテメェは――――」
「嫉妬?」
ここに来て初めて読み取れた怒り以外の感情をつい、口にしてしまった。
瞬間、空気が爆ぜた。
「きゃっ!?」
「違う……あたしは……!」
目に見えない衝撃に叩かれ吹き飛ばされた。
そのままゴロゴロと転がり、岩にぶつかり――ようやく止まった。
痛みに呻き声を漏らしながらも顔を上げると、そこには憤怒で塗り潰されたシンが立っていた。
「何でも良い……様を苦しめる奴はあたしが殺す!!!!」
振り上げられた禍々しい黒刃が月光を浴び妖艶な殺意を映す。
自分を両断せんと振るわれた刃。
恐怖のあまり咄嗟に目を瞑るマリーだったが、その刃が彼女を切り裂く事はなかった。
ガギィン! と鳴り響いた甲高い金属音。恐る恐る目を開けると、
「――――嫌な予感は的中だった訳だ」
火花を散らしながら刃を押し留めるリーンの姿が。
痛みを堪えるような苦しげな表情に、マリーは二の句を繋げる事が出来なかった。
「僕も少しは師匠に近付いてるって事かな?」
などと軽口を叩いているが、リーンに余裕はなかった。
シンは片手で剣を握っているが、リーンは両手で剣を握り刃を受け止めている。
それでも尚、拮抗状態から押し戻せない。
それどころか徐々に徐々に押され始めている。
単純な膂力の差が如実に見える競り合い――しかし、最初に刃を引いたのはシンだった。
「……誰だテメェ?」
刃を引き、軽く距離を取ったシンだがリーンに怖じたとかそう言う事ではない。
自分と同じ黒髪黒目に何かを感じた訳でもない。
単純に、どうでも良い雑魚を殺すような趣味がなかっただけ。
その無関心はリーンにも伝わっていて、
「(……やっぱり、僕はその程度の存在なんだね)」
刃で穿たれるよりもずっと胸が痛かった。
「いや、誰でも良いか。オイ、斬られたくなきゃ失せろやクソガキ」
「状況はよく分からないし、貴女が何を考えているかも分からない」
背後のマリーを庇うように立ち塞がったリーンは臨戦態勢を維持したまま語り掛ける。
「それでも、これが八つ当たり染みた何かだって事は分かる――――ガキはどっちだよ」
「……」
「ッ!」
すぅ、っと細められたシンの瞳から迸る殺意がリーンを射抜く。
気当たりだけで意識を半ば程まで持っていかれそうになったものの、寸でのところで踏み止まった。
彼には退けない理由があるのだ。
「マリーさん、彼女の相手は僕が引き受ける。君は今直ぐ、街へ戻るんだ」
下手をすれば被害が拡大しかねない――それはリーンにも分かっている。
だが同時に、シンの良心を信じたくもあった。
正面から軽々とエデを陥落させる事が可能なのに、手間のかかる方法を取ってまでマリーだけを誘導した。
それはつまり他の人間を巻き込みたくはないと言う事なのではないか?
希望的観測、都合の良い妄想じゃないかと囁く自分が居ない訳でもない。
「(それでも、僕は……)」
家族を信じたかった。
御し切れぬ複雑な感情が渦巻き冷静さから遠ざかっていくリーンを引き止める声があった。
「ご、ごめん……私、腰が抜けて……」
「……そうか。そうだよね」
涙声で告げられた言葉にリーンはしょうがないと笑ってみせる。
実際、それなりの修羅場を潜って来た自分ですら気圧されてしまう程なのだ。
冒険者としてまだ駆け出しの域を出ないマリーには酷が過ぎると言うもの。
「(今は全部後回しだ。マリーさんを護る事にだけ専念しなければ)」
これがリーン・ジーバスと言う少年だった。
それがどれだけ重い決意であっても、それを押し殺してしまえる根っからの人好し。
「(でも参ったな、まるで隙が見えない)」
冷静さを取り戻したリーンは油断なくシンを見据えるものの、彼女は完璧だった。
刃を肩に担ぎ無造作に佇んでいるようにしか見えない。
それなのに、どう打ち込んでも自分の首が飛ぶビジョンしか浮かばなかった。
「お喋りの時間をくれるなんて存外優しいんだね。ああ、それともさっきのガキ発言気にしての事かい?」
少しでも流れを掻き乱したいと舌戦を仕掛ける。
師であるザインはこの手の小技にも長けているが、リーンは性格ゆえそれ程でもない。
それを自覚していて尚、縋らざるを得ないのが現状だ。
「は? あー……うん、まあそれで良いんじゃね?」
呆れたように雑な返しをするシン、その真意を読み取れたのはリーンだけだった。
「(…………僕が死ぬからか)」
自分が誰かを理解していないシンにとっては自分は何か紛れこんで来た雑魚その1でしかないのだ。
その発言に苛立ちを掻き立てられたものの、基本的にはどうでも良い人間である。
だが、眼前に立ち刃を交えると言うのならば殺す以外の結果はない。
シンにとってリーンは最早、死が確定した人間なのだ。
どう足掻いても死が避けられない事を知っている。
だからこそ、最期のお喋り程度に目くじらを立てる必要はない……とでも考えているのだろう、きっと。
「(これがただの驕りなら良かったのにね)」
性質の悪い事に、事実だ。
血反吐を撒き散らすような修練の果てに同年代から見れば規格外とも言える力を手に入れたリーン。
だが、その規格外ですら有象無象に数えられてしまう程の規格外こそがシンだった。
「(だけどああ、僕はこんなところで死ぬつもりはないよ)」
「んじゃまあ――――逝けやクソガキ」
無造作に振るわれた首を薙ぐ一撃。
マリーの目には見えなかった、リーンの目にも見えなかった。
「何……?」
しかし、リーンは回避してのけた。
斬撃を滑らせるように身体を傾けながら回避してのけたのだ。
だが回避するだけでは終わらない。
身体を傾ける勢いに遠心力を加えて鞭のように腕を振るいシンがそうしたように首への薙ぎ払いを放っていた。
回避と反撃が合わさった見事な動き。並の相手であればそのまま首を絶たれていただろう。
だが、シンは困惑こそしてはいるものの軽々と攻撃を回避してみせた。
「チィッ!」
困惑は直ぐに消え、微かな苛立ちに変わった。
一撃で終わらないのであれば二撃三撃と放てば良い。
嵐の如き連撃が繰り出される。
一見すれば乱雑に剣を振るっているように思えるがその一撃一撃には確かな術理があった。
速さと鋭さ、刀剣の殺意がシンプルに突き詰められた無数の軌跡は溜め息が出る程に美しい。
岩だろうが鉄だろうが軽々と切り裂くそれは、当然の事ながら人間が受ければ致命。
しかし、リーンはその総てに対応してのけた――――それも目を瞑ったまま。
「……!」
対応しているとは言えそれは完全に捌けている訳ではない。
リーンの身体には無数の裂傷が刻まれ、血が赤い霧となって夜に飛散している。
それでも彼は一秒たりとて動きを止めずシンの攻撃を捌きつつ反撃を繰り出し続けていた。
リーンの刃がシンに届く事はなかったが、明らかな異常事態だ。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ……成る程、ザインさんの言う通りだ」
剣戟の嵐の中、ぽつりと漏れた呟き。
リーンは今、完全に己を捨てシンが作り出す殺意の激流に乗っている。
捨己従人――武術における一つの極意を体現しているのだ。
それゆえ圧倒的に格上であるシンに喰らいつけているのが現状である。
「……あたしとした事が、読み違えたか?」
シンもまた”異常”のカラクリに思い至っていた。
だが彼女の見立てでは、リーンは未だその境地に辿り着ける位階ではなかった。
「いいや、間違いではないよ。他の誰にやっても僕は同じ事を出来やしない」
例えば師であるザインと本気で殺し合ったとしよう。
今と同じような状況を作り出す事はまず不可能だ。
それはシンの方が強いとか弱いではなく、リーン自身に幾つもの不足があるからだ。
己を捨てる、言うは易し行うは難し。
単純に恐怖を捨てて水のような心と身体で殺意に己を晒せば良いと言うものではない。
言語には出来ない”呼吸”を会得しない限り流れに乗る事は出来やしない。
「相 手 が 貴 女 だ か ら 出 来 る ん だ」
シンはリーンにとって剣を取った理由そのものだ。
強さを求めたのはひとえに彼女の背を追うため、彼女の怒りを受け止めるため。
「あ゛?」
「意味が分からない、そんな顔をしてるんだろうね」
恐怖がある。
脱力だって不完全。
呼吸も分からない。
リーンが抱える諸々の不足を補い高みに導いたものの正体――それは愛。
十年間、片時も絶やさなかった愛こそが現状を作りだしたのだ。
「(とは言え、もう一つ二つギアを上げられたら終わりだな)」
冷静に現状を分析する。
シンはまだ本気を出していない。
雑草を刈り取る程度の認識で剣を振るっているに過ぎず、そんな状態の彼女に何とか喰らい付いているのが現状だ。
「(だが、光明がまるで見えないって訳でもない)」
可能性は極小で、それにしたって後の事を考えたら未だ伏せておくべき札だ。
だが、自分とマリーが生きてこの窮地を脱するためには是非もない。
「何を言ってやがる……いや、何が言いたい?」
「分からないのかい?」
慎重に慎重に、言葉を交わしながらその時を待つ。
カードを切るタイミングを見誤れば地獄へ一直線。決してミスる訳にはいかない。
「僕が、誰か分からないの?」
「……待て」
絶え間ない斬撃の中、リーンは確かに剣筋の乱れを感じ取った。
「テメェ、まさか……!」
流れが途切れる。
その刹那にリーンは呼吸を整え、自らが放てる最高の技を放つ準備に入った。
「――――十年ぶりだね”リュクスお姉ちゃん”」
悲しい事だが、リーンは確信していた。
姉は自分の事など、とうに忘れ去っていると。
そして、その事実が武器になる事も。
姉を光差す場所へと引き戻すためには決して戦いは避けられない。
だが、十年前に見た時点でもその力の差は瞭然だった。
時間は決して自分だけの味方にはならない。
追い付こうと鍛えたとしても、姉自身も更に更にと力を求める事は分かっていた。
《一度しか見てねえから、絶対に正しい見立てとは言えねえが》
身動ぎ一つ出来なかった一方的な再会の後、師であるザインはこう語った。
《才、気質、執念、どれを取ってもお前さんの姉貴のが遥かに上だ》
悉く闘争向きの姉。
本来は戦いなんてものとは無縁の闘争に不向きな弟。
同じ時間を費やしても得られる成果に差が出てしまうのは当然の事だ。
《決してお前に才能がないとは言わねえよ? その執念だって大したもんだと思う》
戦いに不向きな優しい性格を除けば、十分過ぎる程に強くなる素養を秘めている。
《ただ、あっちが規格外なのさ。ありゃあ人間を外れちまってる。比べる事自体が間違ってんだ》
劣悪な環境が育んだ業火のような気質。
それは世界を灼き尽くしても尚足りぬと言わんばかりの出鱈目な熱量を誇る憤怒だった。
その憤怒が才能と力への執念を常人の域から魔人の領域にまで引き上げたのだ。
《……ザインさんよりも、強いんですか?》
《経験で押し切れるだろうさ――――今ならな》
《今、なら?》
《ああ、俺も歩みを止めるつもりはねえがあっちも同じ事だ。つっても、俺は年齢もあるからな……いや、俺の事はどうでも良いんだ》
大事なのはそんな規格外の相手とどう渡り合うかだとザインは言う。
《殺す事なら俺には出来るかもしれねえ。だが、お前は違うんだろ?》
《…………はい》
《だったら、話聞かせるためにも一回は力で捩じ伏せるっきゃない》
ただ、その一度が果てしなく遠い。
《だが何も勝算が皆無って訳でもねえ》
《ホントですか!?》
《クリアすべき条件は三つ。一つは当てさえすれば勝てるって一撃を身につける事》
これ自体はそう難しい事ではない。
基本的な技術であっても自分に合ったものを選び取り、それを愚直に磨き続ければ辿り着く事が出来る。
問題は二つ目だ。
《二つ目は?》
《その一撃を確実に当てられる状況を作り出す事。
で、三つ目はその場を作り出すまで死なずに凌ぎ切るだけの技量を身につける事だ》
正攻法では埋められない差を埋めるにはそれ以外に方法はなかった。
師から告げられた条件――特に二つ目をクリアするため、リーンは考え続けた。
そうして数年に及ぶ熟考の末に導きだした結論が、自分を忘れ去っているであろう姉にその存在を思い出させる事だった。
一度しか使えないが、確実に刹那の空白を生みだす事が出来る鬼札だ。
「(一当てして、マリーさんを抱えて離脱すれば……!)」
リーンが”一撃”に選んだのは居合だった。
それ以外の技は捨て、基礎と居合のみを磨き続けて来た。
そうして練磨し続けた居合は刹那を狙い打つ速さと必殺の領域に手をかけた威力を備える事となった。
「……あたしの間抜けも極まったもんだな」
極限にまで高まった集中力により引き延ばされた体感時間の中、リーンは確かに聞いた。
怒りよりも呆れ滲む、そんな言葉を。
「がぁ……!?」
頭部を中心に衝撃が走る。
居合を放つよりもシンが彼の頭を地面に叩きつける方が速かったのだ。
結論から言おう、リーンの見立ては甘かったのだ。
確かに剣筋を乱させる事には成功したが、完全な刹那を生む程でもなかった。
一瞬沸き立つ程の怒りはあったが、それで頭が真っ白になる程ではなかった。
つまりはまあ――――シンにとって”弟”なんてものはその程度の存在でしかないのだ。
思い上がりと嘲笑うべきか。
虚しい一方通行の家族愛だと憐れむべきか。
「はぁ……そうだよ。よくよく考えたら、別に奴隷商人とこに直接放り込んだ訳じゃねえもんなぁ」
倒れ伏すリーンの頭を踏み付けながら気怠るそうに愚痴るシン。
彼女からすれば既に灼き尽くした過去の残骸なのだ。
今更、その燃え残りに出て来られたとしても面倒なだけ。
シンの塵を見るようなその目は、決して血の繋がった弟に向けて良いものではなかった。
「運が良ければそりゃ、こうもなるわな。あーあ、めんどくせえ」
くるりと刀身を一回転させ、逆手に得物を持ち替える。
そしてそのまま蟲を踏み潰すかのような気軽さで刃を突き立てようとしたその時だった。
「だめぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」
宵闇に木霊する悲痛な叫び――マリーだった。
何時の間にか立ちあがっていた彼女はヘッドスライディング染みた勢いで刃とリーンの間に身体を滑り込ませる。
「うぐぅ……!?」
覆い被さるようにして刃からリーンを庇い立てると刃がその肩を貫いた。
焼けるように熱い傷口から広がる痛みに呻き声を漏らすマリーを見てシンは呆れたようにこう言った。
「……テメェ、馬鹿か?」
シン自身、完全にマリーから意識を外していたと言う自覚がある。
その間に逃げる事も出来たはずだ。
殺されるのを待つだけだった現状を打開出来るかもしれない唯一の可能性。
それを捨ててまで何をやっているのか……まるで理解が及ばない。
「バカは……はぁ……うっ……! そ、そっちでしょ……?」
「あ?」
「何で――――何で、お姉ちゃんが弟を殺そうとするのよ!?」
二人の間に横たわる過去をマリーは知らない。
それでも、聞こえていた会話から二人が姉弟である事は理解出来た。
だからこそ、理解出来ない。何故、姉が――弟や妹を護るはずの姉がこんな暴挙に出たのか。
「随分と恵まれたご家庭で育ったんだな、テメェは」
涙目で自分を見上げるマリーにシンは嘲笑を浴びせかけた。
「テメェの中じゃ家族を愛し愛される、それが当たり前――普通の事な訳だ。
他所様も当然、そうなんだって思ってるんだな。いやいや、めでてえ頭してやがる。
幸せな箱庭の中で育てばそうなるのか? ものを知らないにも程がある」
血で血を洗う事しか、憎む事しか出来ない忌まわしい血の繋がりもこの世には存在している。
いいや、むしろその方が多いのでは? 何せ何にも恵まれた王族皇族達ですらそうなのだから。
「私がものを知らないのは……確かだけど……」
マリーにも何となく察せはする。
自分を見下ろす彼女には家族を憎むだけの悲惨な何かがあった事ぐらいは察せる。
だがそれでも、それでもだ。
「自分の不幸を”当たり前”みたいに語るな!!」
マリーが赦せないのはそこだった。
さも悲劇が罷り通るのがこの世界の真理だと言わんばかりの態度。
それが癪に障ってしょうがない。何で、何でそれを良しとして受け入れる事が出来るのか。
「何だと……?」
「確かに、憎み合ったり傷付け合う事しか出来ない家族も居るんだろうね……」
親だから、子供だから、無条件に肉親を愛せるとは限らない。
マリーはそれを知っている。
シンは彼女を恵まれたご家庭で育ったなどと揶揄したが、そんな事はない。
親に捨てられた子供、このままでは殺されると親から逃げて来た子供達が居る。
自らもまたその中の一人で、同じ痛みと悲しみを抱えている”キョウダイ”達を知っている。
「でも、それでも! それはおかしい事だ! 間違ってる事だ!!」
家族は愛し合うのが、慈しみ合うのが正しい事で”普通”であって然るべきなのだ。
自分達がそうではなかったからと言って在るべき姿を否定して良いのか? 違う、それは違うだろう。
間違った形を許容しそれが当たり前なのだと受け入れてしまえば世界は本当にそんな形になってしまう。
自分が不幸だから他人も不幸になれなんてみっともないにも程がある。
「黙れ!!」
「黙らない!!」
マリーは決して綺麗事を言っている訳ではない。
当たり前の事を当たり前だと。
間違っている事を間違っていると――そう言っているだけ、ただそれだけなのだ。
「あなたにどんな事情があったかなんて知らないよ」
知ったところで何が出来るとも思わない。
「でも一つだけ分かる事がある。あなたは逃げた……一番辛くて険しい道から逃げたんだ!!」
別にそれが悪いとは言わない。
ただ、そんな人間に見下されて偉そうに説教される謂われはどこにもありはしない。
「テメェ……!?」
灼熱の怒気が降り注ぐ。
呼吸をするだけで喉が焼け爛れていくような錯覚を受ける。
怖くて怖くてしょうがない、身体の震えが止まらない。
刃を引き抜かれた際に広がった傷口が痛くて痛くてしょうがない。
「(でも、それでも!!)」
歯を食い縛り、挑むようにシンを見上げ――叫ぶ。
「あなたみたいな弱虫、怖くない! 負けるもんか!!」
「それが遺言で良いんだなァ!? クソアマァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ッ!」
振り下ろされる刃、本当は目を閉じてしまいたい。
だけどそれをしてしまえば大事なものを失ってしまう。
涙に滲む視界の中でも目を開け続ける事を選んだマリーに、
「――――君の負けだよ、シン」
救いの手が差し伸べられた。




