第八話(表)わたくしに弱い者イジメをしろと、そう仰るのですね?
「…………シンケールス侵攻が失敗した、ですって?」
それは正に青天の霹靂だった。
自然と目が険しくなるフィクトスにビクリと身体を震わせる王と将軍。
「は、はい」
「将軍様、一体どう言う事なのかしら? インウィディアかイラが好機だとばかりに軍事介入でもして来たので?」
考えられる要因なんてそれぐらいのものだ。
インウィディア帝国、イラ連合国、その二つはスペルビアに次ぐ大国だ。
もっとも、両者単独ではスペルビアに伍する事は出来ず手を組めば互角と言った感じなのだが。
「それは……その……」
気まずそうに視線を逸らす王の態度がフィクトスの癪に障った。
「王様、王様? 何故そのように言葉を濁されるので?
強国の支配者足る男がそのような有様でどう世界と渡り合って行くと言うのでしょう」
不敬極まる発言だ。
魔女であるフィクトスでなければ即座に処刑されていただろう。
「……」
「はぁ……話になりませんわ。将軍様、あなたが軍事の責任者でしょう? 何をあたふたとしているのです」
さっさと説明なさい、言葉と共に魔力を放ち将軍を威圧する。
ひぃ! と言う小さな悲鳴が上がりフィクトスは少しだけ溜飲を下げた。
「し、失礼」
天を突く髭が特徴的な厳めしい顔の将軍様。
彼は純粋な実力で軍事の最高責任者にまで上り詰めたタフガイだ。
例え百万の軍と対峙する事になっても怖じはしないし、死も恐れはしない。
だが格が違い過ぎるフィクトスを前に本能的な恐怖を抑えられずに居た。
「ふぅー……謎の女が突如、軍の上空に出現し広域破壊魔法を用いたのです。
各々の魔法兵の機転で結界を張ったは良いものの……十五万の兵が犠牲となりました。
全員が全員死んだ訳ではありませんが、重傷者も多数……現地の最高責任者はこれ以上の進軍は不可能と判断したようです」
当たり前だ。
損耗率が40%を超えれば全滅判定が下されるのに十五万の死傷者が出たのだぞ。
しかも一瞬で。士気だってダダ下がりだし、そのような状態で戦争など出来るものか。
幾らシンケールスが小国とは言え不可能に決まっている。
「ほう、それはそれは。中々やるようですわね。して、その謎の魔女はどうなったのです?」
十五万の死傷者を出すような広域破壊魔法を用いた。
そう聞けば普通はビビるだろう。
だがフィクトスはどうとも思っていない。だって自分も出来るから。
十五万と言わず二十万を消し炭に変える事が出来るから、それも軽々と。
「一撃で力を使い果たしたのか墜落、意識不明のままだそうです」
「捕らえたのですか?」
「ええ……幸いにして魔女・魔法使い用を捕縛するために用意していたアーティファクトの類は無事だったので」
それを全て用いて無力化し、捕縛したのだと言う。
「(その程度の相手に全部使う事もないでしょうに……力持たぬ方達にとっては無理もありませんわね)」
一般的に件の魔女レベルになると世界有数の実力者と言っても過言ではない。
現地の者らが捕縛のためにこれでもかとアーティファクトを使い込んだのは無理からぬ事だ。
「トドメを刺してしまえば良かったでしょうに」
「…………意地悪な事を仰らないでください、魔女殿」
王が困ったように顎髭を撫でる。
フィクトスも馬鹿ではない、例の魔女を捕縛した理由は承知している。
シンケールスに侵攻したのは対竜弱体魔法を発動させるために人間と言う燃料を欲したがため。
そう言う面で言えば例の魔女は良い素材だ。
だが、後顧の憂いを絶つと言う意味では意識を失っている内に殺しておくべきだろう。
だが現地の指揮官はそれをしなかった。それは何故か、先を見据えていたからである。
「わたくしに弱い者イジメをしろと、そう仰るのですね?」
スペルビアは自他共に認める世界最強にして最大の国家だ。
どんな戦場でも常勝無敗とまでは言わないが戦争をした場合は必ず勝利を収めて来た。
局所的に負ける事はあっても大局では必ず勝って来た――――だが今回、初めての敗北を喫してしまった。
全軍を動員した訳ではないし、兵を集めて再度侵略する事も出来る。だが直ぐには不可能だ、年単位の時間が必要になる。
ならば今回の戦争は敗北したと言っても過言ではない。少なくとも王や将軍はそう捉えている。
「そ、それは……」
「言わんとしている事も分からないではありませんわ」
これに乗じて他国が調子に乗らないか、具体的には喧嘩を売って来ないかを心配しているのだ。
インウィディアとイラを筆頭に他、スペルビアから見れば小国としか言えない連中が徒党を組む可能性は十分にあり得る。
何せスペルビアは世界の嫌われ者だから。
滅ぼした国の人間が世界各地に散らばっているだろうし、滅ぼされずとも領土を奪われた国は多々存在する。
「(何時もならそれでもよろしいのでしょうけど)」
は? 何調子に乗ってんの? 全員返り討ちにしてやんよ!
と血気盛んに迎え撃っていただろう。
だが今回は一気に十五万もの兵を減らされた上に、国防計画を推進している真っ最中だ。
雑魚どもに関わっている暇は無いのだ。
かと言って攻めて来られれば対応せざるを得ない。
「(売られた喧嘩に全部勝ってもかなりの消耗を強いられ、国防計画が滞ってしまう)」
領土や人足を手に入れても分配や統治に時間を割かれて国防計画は後回しに。
かと言って疎かにすれば反乱が起きて……と負のループに入ってしまう。
そうなる前に分かり易く力を示したいのだ。
「正直な話、わたくしが自ら力を振るうのであれば強者以外は真っ平ご免ですわ」
始原の魔女の後継者たるフィクトスの存在は誰もが知っている。
しかし、戦争に出た事は一度もないし、そもそも出る必要がなかった。
そんな彼女がこのタイミングで自らの力を大々的に示したとしよう。
それだけで抑止力となるのだ。いざとなれば自分が出るぞ……と。
だが魔女がその力を示すのであれば、有象無象では足りない。
都合良くどこぞの国が大軍を動かしてくれればそれを消し飛ばして力を示せるだろう。
だが現状、どの国も軍事行動を起こしてはいない。
かと言ってこちらから仕掛けるのは論外だ。喧嘩を売らせないために喧嘩を売るなんて本末転倒である。
だからこそ、シンケールス侵攻の指揮を執っていた者は件の魔女を捕らえたのだ。
大軍を消し飛ばす事が出来ないなら、大軍を消し飛ばしてみせた強者一人を圧倒的な力で蹂躙するために。
「例のお嬢さんも……まあ、皆さんからすればお強いのでしょうけど……ねえ?」
などと口では文句を言っているがフィクトスに断るつもりはなかった。
スペルビアと言う大国ありきの贅を尽くした暮らしなのだ。
屋台骨を揺るがせられてはたまったものではない。
何より、公衆の面前で力を示すと言うのは自己顕示欲を満たす事にもなる。
「そ、そう仰らずに。どうか、どうか御頼み申し上げる……!」
「(フフン、良い気分ですわ。王に頭を下げさせると言うのは)」
表面上は難色を示しつつ、懇願する王に向かって大きな溜め息を一つ。
「分かりましたわ。友人の孫であるあなたはわたくしにとっても孫のようなもの。
そんなあなたに此処まで頭を下げられては否とは言えませんわ」
フィクトスがスペルビアに接近したのは先々代の頃だ。
幼かった現在の王の祖父に接近し、圧倒的な力を以って彼を王位に就けた。
そこから楽しい楽しい生活が始まったのである。
「おお! ありがとうございます! ありがとうございます!」
「(徹底的に痛め付けて差し上げましょう)」
自身の計画滅茶苦茶にした魔女に対してはかなりムカついている。
泣いて許しを乞うても許さないつもりなのだが、
「ですが一つ気になる事が」
「な、何でしょう?」
「件の魔女さん、わたくしが相手と知ってまともな戦いになるのかしら?」
フィクトスとしてはそこが疑問だった。
魔女を痛め付けるのは頼まれなくてもやるつもりだ。
しかし、王や将軍の意図を叶えようとするなら戦いの形にならねば意味が無いだろう。
例え大軍を消し飛ばせる力を持つ者であっても、無抵抗ならば誰にでもやれる。
そんな彼女の指摘に将軍はニヤリと笑みを返した。
「そこは問題ありません。彼の者は我が身を犠牲にしてでもシンケールスを守りたかったのでしょう。
であれば脅し付けてやれば良いだけの話。全力で戦わねば再度シンケールスを攻めると。
とは言え鞭だけでは意味もありません。飴として、フィクトス様に認められる程力を示せればシンケールスは見逃してやるとでも言えば」
「そのお約束を履行する気はありまして?」
「ありませんな。しかし、縋らざるを得んでしょう。今回の一件も所詮はその場凌ぎに過ぎぬと理解しておるはずですし」
「そうですか。まあ、好きになさってくださいな。わたくしとしては素材が調達出来るならどの国でも構いませんし」
などと言っているが当然嘘である。
フィクトスはトドメを刺す瞬間にこの事を伝えて更に絶望させてやる腹積もりだった。
「ふふ、これから忙しくなりますな。各国の人間も招かねばなりませんし」
「うむ。魔女殿が力を振るうとなれば意図は分かっていても、見に来ざるを得ぬしな」
魔女の力を直に目にした事がある者は少ない。
一目でヤバイとは分かっても、具体的にどれ程ヤバイのか。
仮想敵国が抱える最高戦力を見定めたいと思うのは当然だろう。
「ああ魔女殿、場所は我が国が誇る大闘技場を使う予定なのですが……」
「分かっていますわ。観客席には決して被害が及ばぬよう、結界を張り巡らせておきましょう」
「ありがたい!!」
「(何を楽しそうにしているのやら)」
コイツらは分かっているのか。
シンケールス侵攻が失敗したのだぞ?
それによってただでさえ遅れがちだった国防計画更に遅れてしまう。
傲慢さに起因する能天気さにフィクトスが苛立っている頃、シンケールスでは更に憤怒を燃やしている少女が居た。
「……分かっている、分かってはいるさ。ルークス様がわざと捕らえられたってのはさぁ!!」
数日前は二人がかりでも相手にならなかった六番目の怪人。
シンはそれを真正面から両断してのけた。
攻撃を喰らう事も厭わず真っ向から攻撃の嵐を突っ切って真っ二つ。
この急成長の原因、それはスカー・ハートに因るものだ。
塵屑みてえな糞ったれどもが敬愛する主、ルークスの身体に無遠慮に触れた。
その上、あんな野暮ったい拘束具を嵌めこんでその美しさを翳らせた。
それがシンの中で常に滾っている憤怒を更に燃え上がらせたのだ。
ルークスをして認めざるを得ないシンの憤怒には本当に底が無いのかもしれない。
「……あのさ、うるさいんだけど」
木の上で寝転がっていたポチが不機嫌そうに抗議の声を上げる。
彼もまた、先ほど単独で六番目の怪人を殴殺したばかりだ。
「あぁ!? テメェはどうとも思わねえのかよ!?」
一見すればポチはまだ落ち着いているように見える。
苛立ちを滲ませていても物には当たっていないから。
だが、その胸中は別だ。
「今直ぐ奴らの国ごと灰燼に帰してやりたいに決まってるだろ」
歳の功で感情を露わにしていないだけで内心ではかなり憤っていた。
物騒が極まっているもののポチの場合は枷を外されればいとも容易くやってのけられるのが恐ろしいところだ。
どれだけ怒りを燃やしていても未だ人間の範疇にあるシンとは比べ物にならない。
「でも、マスターには何か考えがあるんだろうし……それは邪魔しちゃいけないじゃん」
「あたしもそれは分かってるつってんだろ!? 分かってるけど腹立つんだよ!!」
倒れ伏す怪人の死体を蹴り飛ばし壁に叩きつける。
それでも尚、怒りが収まらないところを見るにルークスの存在がどれだけ大きかったかが窺えると言うものだ。
「ハン! 見苦しいね、みっともないね。
それでマスターの下僕をやってるんだから……止めてよね。君の下品さのせいでマスターの品位まで疑われちゃうじゃないか」
口が悪いのは何時もの事だが今は三割増しだ。
そして、何時もならシンも表面上は怒りつつも本気にはならないのだが今は別だ。
二人共に時間が経つごとに苛立ちが増していってるので致し方ない。
「……やんのか?」
「……君には常々格の違いってのを教えてやろうと思ってたんだよ」
一触即発の空気、だが二人の衝突が起きる事はなかった。
「ニャア!」
「「がっはぁ……!?」」
ぶつかり合うよりも先にノクティスが二人の顔面をぶっ飛ばしたからだ。
「い、いてえ……つか……えぇ……? お前、そんな強かったの……?」
柔らかな肉球が触れたと思った瞬間、頬に甚大な衝撃と痛みが走り気付けば倒れていた。
顔を殴られたはずなのに全身が痺れて指一本動かせやしない。
可愛い猫だと思っていたノクティスのまさかの実力にシンが慄く。
「き、君も僕らと同じ下僕だろ……? どうとも思わないのかい?」
「なーご」
「確かにそうだけどさ……」
ノクティスは人語を話せない。
話せないが意思疎通が出来ない訳ではない。
不思議と何を伝えたいのかが伝わって来るのだ。
ちなみに今のなーごは『主のような規格外を知らぬまま抱え込んでしまった連中が可哀想』と言っている。
「うなー」
「本人が気にしてない事で他人があれこれ言うのはみっともないって……。
それはその通りなんだろうが……理屈じゃねえんだよ。お前、クール過ぎねえか?」
「ニャ」
お前達が感情的過ぎるだけだと一刀両断。
器用に前足で執事服の襟元を緩める姿もとってもクールだ。
「……マスターは何をする気なの?」
「ふにゃ」
「知らん……じゃあ何時帰って来るとかは……」
「ンニャ」
「これも知らない……じゃあ何を知ってるんだよ……え? マスターから伝言がある?」
「それ早く言えよ! 何だ? 何て言われてんだ? っておい! 何処行くんだよ!?」
来客だ、と告げノクティスは前足を軽く振るう。
すると庭園内にロッドの姿が現れた。
「うお!?」
「ニャアオ」
「あ、これはご丁寧に――って猫が喋ったぁ!? いや喋ってはいない!?」
ロッド様ですね? 話は窺っております。
何時も当家の者がお世話になっているようで恐縮です。
とノクティスは伝えたのだ、執事猫として見事な慇懃さである。
「オッサン……何だよ?」
「シンちゃんか……ああ、ごたごたしてて感謝も謝罪も出来なかったからねえ」
「感謝はともかく謝罪?」
「――――俺のせいで君達の大切な人が捕まってしまった、本当に申し訳ない。
君達が何を考えているかは分かる、止めろとは言わない。だがどうか……俺にも手伝わせてくれないか?」
ロッドは二人がルークス奪還のためにスペルビアに向かうと踏んでいた。
普段の態度から彼らがどれだけルークスを慕っているかを知っていたからだ。
だが子供だけでは危険過ぎる、だが止める事はきっと出来ない。
ならばせめて、自分にも手伝わせてくれと万全の準備を整えてやって来たのだ。
あんな力を示したルークスをスペルビアが――ひいてはあの”魔女が”放って置く訳がないから。
魔女を相手取る可能性を視野に入れるのならばどれだけの備えをしても足りないぐらいだ。
「「……」」
深々と頭を下げるロッドに二人は顔を見合わせ、
「アンタが謝る事じゃないよ。そもそも、捕まったって言ってもわざとだしね」
「え……?」
キョトンとするロッド。
彼はルークスが対軍級のモンスターを遊びで屠った場面を目撃した一人だ。
だと言うのにこのリアクション、冷静さを失っているのか? いや、そんな事はない。
ロッドが本気でルークスが捕まったと勘違いしたのは、他ならぬルークスのせいだ。
彼女が用いた広域破壊魔法、魔道の心得があるロッドには多少なりとも理解する事が出来た。
あれは人間が単独で行使出来る魔力を限界まで使った規格外のものだと。
精強を誇るスペルビアの大軍を一度で退けるためにあれぐらいは必要だったのかもしれない。
だが、あんな魔法を使い魔力を使い果たしてしまえばしばらくの間、動けなくなってしまう。
意識を失い動けなくなってしまえば、後はやりたい放題だ。
捕らえられ、王都に運び込まれてしまえばもう”魔女”との衝突は避けられない。
如何なルークスでも魔女相手では万全であって……だからこそ、王都に移送される前に奪還する。
ロッドはそう考えていたのだが、
「ちょっと強えモンスター小突いたとこしか見てないから分かんねーかもだがルークス様に勝てる奴なんざこの世に居やしねえよ」
例え世界全てと戦っても軽々と勝利を収めてのける。
それがルークス・ステラエと言う女だ。
ゆえにロッドの罪悪感はまったく以って見当違いだと二人は鼻で笑い飛ばす。
「いや、でも、それは……!」
力の一端とさえ呼べないものしか見せられていないロッドは納得が出来ないようだ。
その常識を粉微塵にするような業を見ていれば話は別だったのかもしれないが……所詮はもしもの話である。
「だから良いって。それよかノクティス、ルークス様の伝言ってのは何なんだ?」
「ニャア」
「その内帰る、留守の間は好きにしろ……か」
好きにしろとは言うものの、普段から好きにさせてもらっている。
ルークスが自分達に何かをしろと言うのは稀だ。
「…………なあオイ、ノクティス。ルークス様はあたしらに好きにしろって言ったんだよな?」
「ンナ」
「それならさ、スペルビアに行っても良いって事にならないかな?」
二人の問いにノクティスの目が細められる。
「勿論、ルークス様の邪魔をするつもりはねえ」
「ただ少しでも傍にいたいだけなんだよ、僕らは」
”戯れ”とやらが何を指しているかは分からない。
だが、その邪魔をする事を良しとしないであろう事は二人にも分かっている。
「ブミャー」
何があっても責任は持たない、ため息混じりにノクティスがそう告げると子供達は満面の笑みで頷きを返した。
「あ、ちょっと……!」
ノクティスが発動した転移によって二人は姿を消し、ロッドもまた外に放り出されてしまった。