六.五話
「はぁ……」
今日も今日とて閑古鳥が鳴くギルド。
カウンターに陣取り頬杖を突くロッドの顔はだらしなく緩み切っていた。
「……」
そんなロッドに冷ややかな視線を向けるフレイ。
最初こそ、珍しいこともあるものだと気にも止めていなかったが一週間もこの調子だと流石に鬱陶しい。
だがロッドはそんなフレイの視線にも気付かず、今日も今日とて一週間前の邂逅を思い出していた。
《――――頭が高いわ愚か者》
突如として現れたむせ返るような魔性を漂わす美女、ルークス・ステラエ。
対軍級のモンスター相手にそう尊大に言い放つ姿に見惚れ、だが直ぐに心中が焦りで染まった。
《ひ、一人じゃ無理だ! 子供達を連れて逃げ……!!》
今思い返せば冷静ではなかったとロッドは自嘲する。
ルークスが姿を現した段階で、彼女は髑髏を吹き飛ばしていたではないか。
巨体に見合わぬ敏捷を持つ髑髏ですら反応が出来ずに喰らってしまうような一撃。
そんなものを放てる相手が自分より弱いはずもない、彼女は紛れもない強者だ。
そして強者が彼我の力量差を見誤るなぞあり得るものか。
《く、糞……身体が動かない……!》
怒り狂った髑髏が雄叫びを上げながらルークスに迫る。
何が起きたのか傷は癒え痛みは消えていたので動こうとしたのだが座ったままの体勢から指一本動かせない。
焦るロッドとは対照的に子供達は冷静だった。
《大丈夫だっつの》
《逃げる? マスター馬鹿にしてるなら殺しちゃうよ》
何時の間にか両脇に座っていた子供達は笑っていた。
お前達の大切な人なんじゃないのか!? そう口走るよりも早く、証明が成された。
《んな!?》
微動だにしないルークスの脳天目掛けて振り下ろされた刃。
あろうことは彼女はそれを指一本で止めてみせたのだ。
髑髏はすぐさま残りの三本を使い別方向からも刃を振るうが身体に触れる寸前で跡形も無く砕け散ってしまった。
そして指で止めている刃にも亀裂が入り遂には粉々に。
《おい、私が何と言ったか忘れたのか?》
ドレスをはためかせフワリと飛び上がったルークスはそのまま髑髏の頭上に躍り出て、
《頭が高いと言ったのだ》
拳を振り下ろした。
殴打の音とは思えない轟音と、離れた場所に居るロッドらの肌を刺すような衝撃が走り髑髏は頭から地面に突っ込んだ。
それに少し遅れて自由落下に身を任せ音もなく降り立ったルークスは興味が失せたと髑髏に背を向けた。
《!!?!?!?!?!!》
髑髏は立ち上がり、背後から攻撃を仕掛けようとする。
しかし、見えない衝撃が何度も何度も頭部に叩き付けられて起き上がることさえ出来やしない。
あの巨体を地面に縫い付け続けるような衝撃が何度も何度も加えられているのだ。
この地下空間に影響があってもおかしくはない。
恐らくはルークスが何かやっているのだろう。
現に髑髏が叩き付けられている地面は砕けていても不思議ではないのに罅一つ入っていないのだから。
そうして幾度目かの衝撃の末、髑髏は跡形も無く砕け散ってしまった。
《……》
ロッドは言葉を失っていた。
自分が差し出せるものは全て差し出して挑んでも戦いの体すら取れなかった髑髏。
それがどうだ? まるで駆け出し冒険者に苛められる雑魚モンスターのような有様ではないか。
ルークスはまるで本気を出していない、見れば分かる。
戯れ程度で対軍級のモンスターを相手取り、蹂躙してのけたのだ。
《帰るぞ》
《はーい!》
《はい! あ、あの……出来ればこのオッサンも……》
《フン》
ルークスは小さく鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。
だが、一瞬視界が暗転したと思えば遺跡の入り口に立っていたので気にかけてもらえたのは確かだろう。
《あ、あの人は!?》
そこにもうルークスは居なかった。
キョロキョロと辺りを見渡すロッドの脛に子供達が蹴りを放つ。
《良いから街に戻るよ。依頼達成の報告しなきゃだし》
《そうだな。あたしも早く家に帰りてえし、ノロノロしてんなよ》
《あ、あれー? 気のせいかな? 何時も通りの君達に戻っちゃってない?》
そこはかとなく心の距離が近付いたと思っていただけに少しショックだった。
だがそれよりもショックなのは、あの邂逅以来一度もルークスに会えていないことだ。
助けてもらったのにありがとうの一言も言えなかったので是非、御宅に伺わせてもらいたい。
そう下心交じりに子供達に頼んでみたのだが、
《は? やだよ》
《ルークス様をイヤらしい目で見てんじゃねえよ殺すぞ》
にべもなくバッサリ切り捨てられてしまった。
感謝の言葉をと言うのも本心だが、子供達の目には下心の方が強く見えたようだ。
なのでロッドはどうする事も出来ずあの邂逅を思い出してはニヤニヤすると言うのを繰り返していた。
「会いたいなぁ……」
ゾっとするような目をした人だった。
だが、それも含めて美しい人だった。
ロッドとて初心なガキではない、むしろ人並み以上に恋愛経験は豊富だ。
だがその彼をして初心なガキになってしまう程、ルークスは規格外だった。
「恋煩いなら他所でやってくれません? 正直ウザいんですけど」
「おいおい、酷いじゃないかフレイちゃん」
「酷いのはロッドさんの頭の中じゃないですか? すっかり色ボケしちゃって」
「い、色ボケって……」
「色ボケでしょ。そんなだからシンちゃんやポチくんも最近はギルドに来てないんじゃないですか?」
そう、あの日から子供達は依頼を受けていなかった。
対軍級のモンスターにトラウマを抱いた――なんて可愛いタマではないだろう。
不屈と反骨の塊みたいな子供達なのだから。
だとすれば自分の尊敬する人にイヤらしい目を向けるオッサンに失望したとしか思えない。
フレイはそう指摘するのだが、真実は違う。
「いやいや、それは違うよ。オジサンの家にしばらく休むって言いに来たもん」
「は? そんなの聞いてないんですけど?」
「え……あー……ごめん、忘れてたや」
「……」
子供達を気にかけているのは何もロッドだけではない。
フレイも同じぐらい、彼らの事を心配していたのだ。
だと言うのにその動向を伝え忘れるとは何事か。
ロッドを見つめる視線が冷たくなるのも止む無しだ。
「はぁ……しばらく休むって例のモンスターに怪我でも負わされたんですか?」
「いや、報告通りあの子達は無傷だよ」
酷かったのはむしろロッドの方だろう。
仮にルークスが治してくれなければ一命は取り留めても寝たきりになっていた可能性が高い。
「仮に何かあってもルークスさんがどうにかするだろうしね」
「じゃあ何で?」
「あんな事があったからだろうね、自分の力不足を痛感したらしい」
二人はルークスに鍛えて欲しいと申し出たそうだ。
話を聞く限りでは難色を示されたらしいが、結局彼女が折れてくれたらしい。
「しばらくはルークスさんの下で力を磨くらしい。
まあ、それが終わって戻って来てもオジサンはもうお役御免だろうけど」
対軍級をものともしない強さを誇るルークスに鍛えられるのだ。
確実に以前より、数段――いや数十段はステップアップしていてもおかしくない。
そうなれば自分の出る幕はもう無いだろうとロッドは苦笑を零す。
「……出来れば、巣立つところまで面倒を見たかったんだけどねえ」
ルークスの事を抜きにしてもロッドは子供達に思い入れがある。
出来るなら自分の手で巣立たせてやりたいと言うのが本音だった。
「寂しく、なりますねえ」
「だが喜ばしい事さ」
何時までも足踏みをしている子供達を見ていても悲しいだけだ。
大人の想像なんて軽く飛び越えて行けば良い。
「そうですね……他所に行っても元気でやってくれると良いんですが」
これが生活のために冒険者をやっていると言うのならばこの街に留まり続けるかもしれない。
だがシンとポチが冒険者をやっているのは強くなるため。
ならば、もっと歯ごたえのある敵とやり合える場所に向かうのは自明の理だ。
二人の間に少しばかりしんみりとした空気が流れる。
「郵便でーす」
空気を壊すように陽気な声が響き渡った。
「はいこちら、ギルド宛ての郵便物です。サインを頂けますか?」
「はいはい……これでよろしいですか?」
「ありがとうございます! それじゃあロッドさんもこちらを」
「俺にもあるのか?」
郵便屋から手渡された手紙を見てロッドが意外そうな顔をする。
郵便物を受け取る事自体はそう珍しくはない。珍しいのは差出人の名だ。
「(……ロニからか)」
ロニ・レオーネ、歳の離れた弟だ。
祖国を飛び出す際、ロッドは家族を含む多くの縁を絶った。
いや、正確には絶たれた。
自分の存在など無かった事にしたいであろう弟から手紙が来るなんて思いもしなかったのだ。
「へえ、ロッドさんに弟さんが居たんですね」
表情に出ていたせいかフレイが手元を覗き込んでいた。
「まあ、な」
一体何の用なのか。
親でも死んだのかな? などと考えつつ封を切り中身を検め――ロッドは更に驚いた。
「……」
「何て書いてあったんです?」
野次馬的好奇心を滲ませながら訪ねて来るフレイ。
差出人がスペルビアの人間だと分かってはいても、ロッドの弟と言う先入観があるからだろう。
悪感情のようなものは見えなかった。
「……ついこないだ死にかけたらしいねえ」
「えぇ!? 暢気に話す事ですかそれ!?」
「いや、手紙送ってるって事は助かった訳だし」
「あ、そっか」
久しぶり兄貴、なんて有り触れた書き出しから手紙は始まっていた。
だがその有り触れた文言も、親しい間柄であればこそ。
嫌われていると思っていただけに冒頭から驚きだった。
「どうもいっぺん死にかけて色々思うところがあったみたいだ」
そしてどうやら良き出会いがあったらしい事も窺えた。
機密に触れるのか仔細については書かれていない。
だがダンテなる人間のお陰で死なずに済んだ、戦うと言う事を理解したと書かれている。
「(危なくなったら帰って来い……か)」
一度死にかけた事で隔意が薄れた。
何のかんの言っても自分達は家族だから。
もう二度と会えないと言うのは寂しい。
だから、戦争が起きそうなら帰って来い。出来る限りのフォローはする。
ロニの気遣いはありがたいし、この手紙を読んでいたら弟の顔も見たくはなった。
「(だけど、俺は此処で良い)」
シンケールスと言う国はこの上なく居心地が良かった。
それこそ、骨を埋めても良いと思える程に。
戦争が起きればロッドはシンケールスの人間としてスペルビアに立ち向かうだろう。
例え勝ち目が無いと分かっていても、この国を愛しているからこそ退けはしない。
「(ありがとよ、ロニ。お前はお前で元気にやってくれや)」
今は懐かしき王都を目蓋の裏に映しながら想いを馳せる。
優しくも悲しい時間が流れている頃、その王都では目に見えない不穏が渦巻いていた。
「(ああもう……! どいつもこいつも役立たずばっかり……!!)」
偽りの魔女フィクトスは憤慨していた。
それもこれも、自身の描く国防計画がまるで進んでいないからだ。
主な原因は調達班である。
術式を敷くための基礎工事などは進んでいても、肝心の素材が中々集まらない。
ついこの間もそう。べスティア大森林に向かわせた遠征組が任務に失敗し逃げ帰って来た。
「(アンタらの命なんかどうでも良いのよ! 任務を果たしなさい任務を!!)」
最悪、全滅しても良い。
それでも必要な素材だけは持って来いと憤慨するフィクトス。
彼女は王を含めあらゆる者を見下しているので誰が何人死のうとも知ったことではなかった。
「(ああもう、いっそ私が動こうかしら? いや駄目ね。軽く見られてしまうもの)」
フィクトスが素材集めに乗り出せば一週間とかからず必要な物は調達出来るだろう。
その方が手っ取り早いと一瞬考えるものの、プライドによって却下されてしまった。
泰然と構えている魔女が自ら些事に乗り出すなんて格に関わってしまう。
その事が切っ掛けで便利に使われるようになってしまえば堪ったものではない。
何を頼まれようとも大概の事は軽くこなせてしまうが、他人に良いように使われるのは真っ平ご免。
見事なまでの自分本位、実に人間らしいと言えよう。
だが自己保身が絡んでいるとは言え妙に勤勉なところもあるのがフィクトスだ。
「(はぁ……言っててもしょうがないわ。研究を続けなきゃ)」
今フィクトスは新たな魔法の開発に勤しんでいた。
王に提出した国防計画はあくまで現段階で実現可能なもの。
だがそれだけでは天災級の竜を相手取るには不安は拭えない。
ならばもっと凄い魔法を! と奮起し、新魔法の開発に取りかかったのだ。
「(一応、雛型は出来たのだけど問題は魔力ね)」
一般の魔女・魔法使いに比べると無尽蔵とも言える魔力を備えているフィクトス。
だがそんな彼女を以ってしても今開発中の対竜魔法は発動が困難なものだった。
一応、発動は出来ても八割は魔力を持っていかれてしまう。
しかもそれは発動出来るだけ。期待値ほどの効果を望むならば十割、或いはそれ以上の魔力が必要だ。
「(でもそれじゃ意味が無い。確実に異次元へ放逐するためには私が余力を持っていなければ)」
今開発中の魔法は竜に特化した弱体魔法だ。
人間やその他一切の生命にはまるで効果を及ぼせないが竜に関しては覿面。
発動するだけでも並の竜であれば蜥蜴に成り下がってしまうような優れ物だ。
しかし、帝都に襲来したあの竜は別だ。発動だけでは足りない、注ぎ込む魔力は多ければ多い程良い。
だがその魔力をどうやって賄えば良いのか。そこが目下の課題だった。
ああでもないこうでもないと考えていたのだが、
「(待てよ……人間を素材に……拷問、凌辱……負の感情を喚起させ……怨念を……)」
妙案を思い付く。
「(自国の犯罪者を……いや、足りない……数は多ければ多い程良いし……)」
フィクトスの唇が弧を描く。
「(……少し前に何処ぞへの侵略計画が持ち上がっていたっけ)」




