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菊と力  作者: 石川博品
第2章 抜刀
6/22

殺すための力 I

 小学生の頃は、掃除の時間といえばチャンバラだった。


 ほうきの柄を使って波止野はしのとみ丁々(ちょうちょう)はっの大立ちまわりを演じたものだ。教室のうしろではじまったものが盛りあがって廊下に移り、そこに上級生のきりも加わってくる。彼は回転箒を長刀なぎなたのように使うのがうまかった。


 熱くなりすぎて先生に注意されることもあったが、霧哉がことば巧みに反省の弁を述べるので、長々と叱られることはなかった。


 彼は自分たちとちがって頭がいい。だから人にナメられたりしない。私立にも行ける。もし同じ中学に来ていたら、きっといまごろ学校をシメていただろう。


 カズサは清掃作業の退屈しのぎに益体やくたいもない想像にふけっていた。1年A組の教室は休みがちの彼にとって目新しく、充分きれいに見えた。


 作業をサボって別のことをしたかったが、そうもいかない。箒を逆さに持って斬り合おうにも、波止野と富田は隣のクラスだ。


 休み時間、B組の教室に彼らを訪ねたが、そこの生徒に冷ややかな目で見られた。壁一枚隔てただけでまるで敵地だった。小学校とちがってみんなピリピリしている気がする。


 教室の隅の席で波止野は居眠りしていた。富田はいなかった。カズサは教室に入ることもできず、自分のクラスにもどった。


 もうひとつ、掃除をサボれない理由は、同じ班に所属するあさ六郎ろくろう悠理ゆりの存在だった。


 1年A組は彼女の厳重な監視下に置かれていて、すこしでも校則に違反するとたちまちにまとわりつかれて非難される。


 一度カズサはチャイムが鳴ったのに着席していなかったという理由で彼女にめんされた。彼はチャイムを耳にしてトイレから急いでもどったのだが、悠理は「チャイムが鳴った時点で教室にいないといけない」というのだ。


 何てうるさい女だろう、とカズサは改めて思った。


 カズサをからかったなか小出身の三人組も悠理を恐れているように見える。木刀を没収されたあの日カズサが顔面を打ったはたけやまという男は、絆創膏ばんそうこうに塞がれた鼻で苦しそうに呼吸しながら、教室のうしろから机を運んでいた。すこしでも床に引きずると悠理が飛んできて注意するので、彼はきちんと机を持ちあげて音を立てないように元の位置へともどす。


 箒で適当にほこりを掃き散らしながらカズサは、だらしのない奴だと彼を見さげる。鼻を潰された仕返しにどこかで木刀でも調達して襲ってくるものと思っていたのに、彼はむしろカズサを避けるような態度を取っていた。群れてるときだけ威勢がよくなる、女みたいな野郎だと思う。


「おーい、カズサ」


 波止野が教室の入り口に立っていた。悠理がにらみつけてくるのを後目に、カズサは掃除を中断して彼のもとに向かった。


「もう帰んのか」


 波止野は鞄を肩にかけていた。


「俺今日、病院行く日なんだ」


「そっか。タクは?」


「さあ。家でクソでもしてんじゃねえの?」


 ふたりは笑い、軽く手を挙げて別れた。


 波止野は週に一度、入院している祖母の見舞いに行く。彼は両親と3人で、ながわずらいの祖母を世話していた。


 彼の兄はそれを手伝わず、家を空けてばかりいる。かつては両親が仕事で不在の間に弟をいじめていた。服で隠れるところに煙草の火を押しつけるなど、その手口は陰湿なものだった。小学5年生のとき、波止野は兄の寝こみを襲い、工事現場から盗んできた鉄パイプでめった打ちにした。それ以来、彼の兄は家にほとんど寄りつかなくなった。いまは友人の家を転々としているらしい。


「いまの、B組の波止野くんだよね。病院行くって、どこか悪いの?」


 悠理がカズサの背後に立っていた。


「さあな」


 カズサは箒で床を撫でながら割り当てられた机の方へともどった。


 掃除はほぼ終わっていた。机は元どおりに並べられた。悠理ともう1人の女子が箒とちりとりで最後のゴミを掃き集めていた。カズサは手慰みに箒を片手で振るった。


 愛用の木刀は、霧哉考案の作戦どおりにやったら返してもらえた。担任はカズサのことばを信じて、しきりに剣術部への入部を勧めた。授業が退屈でも部活目当てで学校に来ればいいとさえいった。自身も勉強が嫌いでサッカーをしている方が楽しかったという担任の自分語りを軽く聞き流し、カズサは毎日学校が終わると富田の家に入り浸っていた。


 教室の前の戸を開けて、2人の男子が無遠慮に入ってきた。カズサや彼の同級生たちよりも体格ががっしりしている。上級生だろうとカズサは推察した。


「ミカミカズサってのはいるか?」


 背の高い方がそういってカズサを見おろした。声が低く、威圧感があった。もうひとりは教卓に肘を突き、注意深く周囲に目を配っている。


 カズサは箒を持ったまま、彼らの前に進み出た。


「俺ですけど」


 背の高い男が冷たい目で彼を見た。


白石しらいしくんがオメーのこと呼んでる。いっしょに来い」


 カズサは頭を掻いた。


「でも俺、掃除当番が……」


 その場の空気を茶化すように笑って悠理の方を振り返る。彼女は笑っていなかった。


 畠山がカズサを手招きしていた。


かみ、おまえヤバイって。白石さんマジでえェから」


「誰だよ、白石って」


 カズサがそばに寄ると、畠山は2人の上級生を横目に見ながら囁いた。


「この学校シメてる人だよ。おまえは休んでたから知らねえだろうけど、俺ら1年が持ってた木刀、みんなあの人に取られちまったんだ。真剣チラつかせるからな」


「あー、そりゃ確かにヤバイな。じゃあ俺、逃げるわ」


 カズサは箒を用具入れに放りこんだ。木刀対真剣では勝負は見えている。負けるとわかっていてわざわざ挑むのはバカだけだ。木刀を持つのは護身のためで、使わずに済むならそれに越したことはない。


 鞄を取りに行こうとした彼の前を悠理が横切った。彼女は自分の使っていた箒をカズサの放ったそれと併せてひとつのフックに吊るした。


「三上くん、逃げるの? それならそのままずっと学校来なければいいんじゃない? その方が安全だから」


 彼女はカズサに背を向けたままいった。


「あァ? 何だよ」


 カズサがにらみつけるのにも構わず、彼女は自分の席にもどって帰り支度をはじめた。


「三上くんなら勝てると思うけどね。あなたの太刀筋、すごくきれいだったもん」


「おまえに何がわかるんだよ」


 声を荒らげるカズサの袖を、畠山がそっと引いた。


「三上、そいつ帯刀免許持ち」


「……マジで?」


 カズサは思わず声をあげた。


「まだ初段だけどね」


 彼女は振り返り、こともなげにいう。


「なあ……俺の剣、そんなによかったか?」


 カズサは声が弾むのを抑えきれなかった。道場に通って長く研鑽けんさんを積まなければ帯刀免許は取得できない。その過程を経てきた者に剣技を認められて、天にものぼる心地だった。


「うん。自己流にしてはかなりいいと思う」


 悠理の顔は冗談をいうときのそれには見えなかった。


「でも勝つ(・・)っていってもさ、あいは真剣で、俺は木刀だぜ? それでも勝てるって?」


「ねえ、知ってる? 宮本みやもと武蔵(むさし)は最初の決闘で、木刀を使って真剣の対手を殴り殺したって。確か13とか14とか、それくらいの年でだよ」


「武蔵……」


 彼は単純な性格だった。悠理にいわれて、気持ちだけは日本一の剣豪になった。


「おい、何グダグダやってんだ。早くしろよ」


 上級生の背の低い方がれたような口調でいう。


「うるせえなあ。待ってろボケ。これも作戦の内だよ」


 カズサは席にもどり、鞄から自慢の木刀を取り出した。


       ●


 2人の上級生に先導されて歩くカズサのうしろになぜか悠理がついてきていた。


「三上くんが勝ったら、先輩の刀を回収する。校則違反だからね」


 カズサは木刀を手にしていたが、彼女は丸腰だった。


「せっかく免許持ってんだから刀持ち歩けよ」


 カズサがいうと、彼女は、


「生活委員が率先して校則破ってどうすんのよ」


 とやり返してくる。


 2本の三つ編みが獣の尾のように揺れる。


「ここだけの話、白石(かけ)って奴はただのヘタレよ」


 階段をのぼりながら彼女がこういい放ったので、その白石を倒しに行くはずのカズサの方がかえって周囲の耳を恐れ、声を潜めた。


「えっ? ヘタレ?」


「そう」


 悠理は顔を寄せ、囁いた。「刃を見せて脅すだけ。やられた人はみんなそう。本当は人を斬る度胸なんてないんだよ」


「そんなこといったって、目の前でひかもん出されたら誰だってビビんだろ」


 カズサは真剣を対手にしたことがない。所詮はガキの喧嘩だと自分でも思う。


「あと、聞くところによると、あの人、あいを使うんだって」


「マジか……。居合なんて見たこともねえよ」


 木刀での喧嘩に居合など当然出てこない。


「折りたたみ剣でいきなり抜いてくるんだってさ」


「折りたたみで居合っていうと、ヒヨシのコーレだな」


 カズサは業界の異端児がリリースした変態的モデルのスペックを熱弁しすぎて屁をこいた富田のことを思い出した。「あれって折りたたみなのにスカバードがついてるんだよな。ブレードの1/3がそこに納まっていて、残りがグリップの中だ。グリップとスカバードを握って刀みたいに抜くんだよ。スゲーな、あんなの持ち歩いてる奴いるんだ」


「ずいぶん詳しいね」


 いわれてカズサは自分が富田のようになっていたことに気づき、恥ずかしくなった。加えて、ほほえむ悠理の顔が不用意と思えるほどの間合いにあったので、カズサは耳までかっと熱くなり、彼女から距離を取った。


「おまえさあ、どこで剣術習ってんの? とうの道場?」


 カズサはわけもなく階段の手すりを木刀でこつこつと打った。悠理は変わらぬペースで階段をのぼる。


「警察で。武蔵警察署の中にある道場」


「中に入ってたの?」


「バカ」


 彼女は笑った。「父が警察官なの。それでちっちゃい頃から通ってる」


「へえ」


 カズサの叩く手すりが尽きて、3年生の教室が並ぶ3階に着いた。部活のためにジャージやユニフォームに着替えた生徒たちが下級生2人の姿を見てすこし不思議そうな顔をする。同じ学校の中なんだからどこを歩こうと勝手だろうとカズサは思うのだが、上級生たちはカズサたちを視線で追い払おうとする。ジャージのズボンを膝までまくりあげた背の高い女子が悠理の顔をすれちがいざまにのぞき見る。


「三上くんはその木刀、大事にしてるんだね」


「うん」


 カズサはうなずいて、廊下の端に寄る。「これは俺の宝物で……お守りみたいなもんなんだ」


 3年生たちが木刀を見てどことなく蔑むような表情を浮かべている気がした。


「親父が買ってくれたんだ。俺がガキの頃に親父は出てっちまったから、よくおぼえてないんだけど……親父がくれたってことだけはおぼえてんだ」


「そう」


 悠理は前を見つめていた。「じゃあなおさら負けられないね」


 先を歩いていた上級生2人が立ち止まったのは男子便所の前だった。


「この中だ」


 背の高い方がドアを指し示した。


「え~、ちょっと、やだ~」


 悠理が大袈裟な声をあげたので、廊下を行く3年生たちが何事かと目を向けてきた。


 彼女は腰に手を当てる。


「男子トイレなんて入れるわけないじゃない」


「俺ら、おまえを連れてこいっていわれただけだから」


 背の低い方が言い訳がましくいって、相方とともにそそくさと立ち去った。


「じゃあ行ってくる」


 カズサはドアを押し開けた。


「私、絶対ムリだから」


 悠理の声を背に、彼は便所へと足を踏み入れた。


 6人の男が煙草を吸っていた。クリーム色で統一された天井も壁も、妙に乾いた床も、ヤニで黄ばんでいるように見えた。


 壁には小便器が5つ並んでいて、その向かいには個室が3つある。手を洗う水道のまわりには整髪料の丸い缶がいくつも置かれている。灰皿代わりのコーヒー缶が一定の間隔で床に立てられていて、まるで墓場の供え物のようだ。


 紺色のカーディガンを着た、相撲取りのような体型の男がしゃがんだままカズサを見あげた。


「おう、ミカミカズサってのはおまえか?」


 カズサはうなずき、彼らの腰のあたりを観察した。


 相撲取りは丸腰のようだった。ソードベルトを高めにつけていたとしても、カーディガンなら刀のシルエットが浮き出るはずだ。


 他の5人はどうか。学ランを着ている3人は怪しい。その内2人は一番下のボタンをはずしている。もう1人は前を全部開けていて、これは腋に吊っているかもしれない。


 自分の木刀でこいつらに勝てるのだろうか――賭けだった。そう考えると気持ちが落ち着く。勝負はいつも賭けだ。


 相撲取りは立ちあがり、カズサに歩み寄った。


「すこし待ってろ。駆流くんはいまウンコしてっからよ」


「いうんじゃねえよ」


 個室の中から声がした。外の6人は笑った。相撲取りは肩を揺らしながら、舌でねっとりとすくいあげるようにして煙草をくわえた。


「おまえのそれ、カール・ヨシザワモデルじゃね?」


 木刀を指差され、カズサはうなずいた。相撲取りはうれしそうに笑った。


「懐かしいなあ、カール・ヨシザワ。ガキの頃テレビで観たよ、ハワイでペレスとやった防衛戦。おまえ観た? 観てない、あっそう。まあいいや。古いのを大事に使っててえらいじゃねえか」


 カズサはどのタイミングで殴りかかろうかと計っていた。


 喧嘩は切り出し方が重要だ。先に仕掛けられたらまちがいなくやられる。カケルくん(・・・・・)とやらが出てくる前に自分の喧嘩の下地を作っておく必要があるだろう。


 カズサは相撲取りに向かって人差指と中指を突きつけた。


「俺にも1本、いいですか?」


 相撲取りはズボンのポケットをさぐって、煙草の箱を取り出した。エロイーズカスタムのロング。スカしたもん吸ってやがる、と思いながらカズサは一本引き抜いた。


「どうも」


 どんなに根性の曲がった悪ガキでも、煙草を求められたら黙って差し出す。それは彼らなりの仁義だった。持っているのに与えなければ利己的な奴と見なされて信頼されなくなる。余分に持っていないような奴はシケモク吸いとあざわらわれる。


 カズサは煙草をくわえると顎をあげ、顔をしかめながらライターで火を点けた。


「用があるなら早くしてくんねえかな。こっちも暇じゃねえんで」


 いかつい感じで威圧したつもりだったが、相撲取りには効かなかった。にやりと笑って個室のドアをノックする。


「おい、ウンコ長いってよ。早くしろよ」


「うるせえな。ちょっと待てよ」


 中からの声に、仲間の6人は笑った。


 やがて水の流れる音がして、個室のドアが開いた。男がズボンをずりあげながら出てきた。ベルトの上にソードベルトが巻かれており、折りたたみ剣がバックルのような形で体の正面に取りつけられている。


「お待たせ~」


 男は歌うようにいいながらズボンのファスナーを閉じた。


 なるほど強そうだ、とカズサは思った。背は低いが肩幅が広く、Yシャツの上からでも分厚い体をしているのが見て取れる。スキンヘッドに近い坊主頭で、額のまわりが直線的に刈り揃えられてあった。


「おまえ、転校生か? 前にはいなかったよな」


 男の問いにカズサは首を横に振った。


「駆流くん、こいつ学校来てなかったらしいよ」


 相撲取りがいうと、駆流(・・)と呼ばれた男は「ふうん」とつぶやいて胸ポケットからアクロイドメンソールのパックを引き出した。


「まあいいや。とりあえずその木刀置いてけ。そんで消えろ」


 彼が煙草をくわえると、相撲取りが火を差し出す。


 カズサは煙の塊を吐き、彼をにらみつけた。


「なんで木刀なんか欲しがるんだ。もう折りたたみ持ってんだろ」


「学校シメるってのはこういうことなんだよ、うん。俺らは刀を持ってて、他の奴らにはない。そういうこと」


 白石駆流は煙を吐き、煙草をダーツのように親指と人差指で挟み持った。「歴史で習わなかったか? 秀吉ひでよしの刀狩り。武士だけ刀持って農民には持たせねえ。あとは、戦争終わって日本人みんなが刀持てるようになっただろ? 帯刀の権利。でも刀だけだ。アメリカ人は銃を持ってる。日本人には刀しか持たせねえ。そういうのと同じだよ」


「駆流くん、学校来てねえ奴にそんな難しい話わかるわけねえって」


「あっ、そうか」


 相撲取りと白石は顔を見合わせて笑った。


 カズサは歯噛みをした――ナメやがって。


 ぶん殴る前にひとこといい返してやりたかった。霧哉みたいに気の利いたセリフで――


「へえ、そうかよ。俺は刀を千本集めてるとか、そんな理由かと思ってた。牛若丸うしわかまる弁慶べんけいのアレだよ。チビとデブでちょうどいいじゃん」


「おいおい、やんちゃなのが来たぞ」


 白石は誰にいうともなくいった。「これは今年一番のやんちゃDE()賞だぜ、マジで」


 冗談めかしたものいいとは裏腹に、彼の顔から表情が消えた。


 相撲取りがすこしうしろにさがり、どうごえを発する。


「怪我しても知らねえぞコラァ」


 来るか? ――カズサは剣先をさげたまま左手をグリップエンドに添えた。


 そのとき背後から遠い水音のような囁き声が聞こえた。


「怒らしてどうすんのよ。決闘するってちゃんと伝えなさい」


 扉の向こうの悠理だった。


「あ、そうか」


 カズサは低くつぶやいて剣先を白石に向けた。「おい、この剣が欲しけりゃ、俺と勝負しろ」


一対一で(・・・・)、ってことを強調して」


 ふたたび悠理の声。


「あ、そうか」


 カズサは剣先を縦に振った。「あの、できれば一対一がいいんだけどな……つーか一対一でやれやコラァッ」


「そこに誰かいんのか」


 白石は首を伸ばしてカズサの背後をのぞこうとした。


「女の声みてえだけど」


 相撲取りがいうと、他の仲間たちは色めき立った。


「女ァ?」

「女がなんでいるんだよ」

「彼女連れか?」

一年ガキのくせに……」


 カズサは扉を引き開けて顔を廊下に突き出した。


「おい、おまえ帰れよ」


 彼のことばに悠理は帰るどころか彼を押し退けて男子便所の中に入ってきた。


「大勢で1人をいじめて楽しいですか、先輩方?」


「おまえ誰だよ」


 白石が顔をしかめる。


「1年A組浅海六郎悠理。剣術初段。この決闘の立会人として来ました」


立会人(・・・)?」


 カズサと相撲取りが声を合わせる。悠理は得意げにうなずいた。


「そう。正式な決闘には双方から立会人を出すものでしょ?」


「うるせえぞ。消えろ」


 相撲取りが追い出しにかかったが、それを白石が止めた。


「いいじゃねえか。有免の剣士様に喧嘩を見てもらうチャンスなんてなかなかないぜ」


 場の雰囲気が悠理に支配されつつある。カズサにはそれが我慢ならなかった。


「帰れっつってんだろ」


 手で追い払おうとするが、彼女は、


「いいから」


 とまるで取り合わない。


「先輩、私に木刀を貸してください」


 彼女のことばに相撲取りが声を荒らげた。


「あァ? なんでおまえに――」


「もし勝負が決したあとで三上くんに何かする人がいたら、私が倒します。それは決闘に対する侮辱ですから」


 彼女の度胸だけはたいしたものだとカズサは思った。


 白石は足元の缶に煙草を押しこんだ。


「そこ開けろ」


 彼の仲間が清掃用具入れのドアを開けた。無数の木刀がたきぎのように積まれている。


「こんなにいっぱい?」


 中をのぞいた悠理が声をあげた。閉じないようドアを押さえながら白石が得意げに笑った。


「ああ。1・2年の、全部取りあげてやったからな。マジ校則破る奴が多くて困るわ。俺、生活委員から感謝状もらってもいいくらいじゃね?」


 悠理は木刀の山をさぐって何振か握ってみていた。その中に本物の薪のような木ぎれがあるのをカズサは見た。


 あれは……波止野の手作りの木刀だ。この間折れたといっていた。


 水臭い奴だ、とカズサは腹を立てる。こいつらに取られたことを黙っているなんて。


 これで喧嘩の理由がまたひとつできた。やってやる。あいつの分まで殴ってやる――カズサは煙草を思い切り吸った。先端がかっと赤くなる。醒めた怒りが体のすみずみまで浸透していった。


「このあと暇? どっか行かね?」


 白石は個室の仕切りに寄りかかり、悠理の顔をのぞきこんだ。


「え~、でも~」


 悠理は両手に木刀を持って、その2振を見くらべていた。


「俺らだけじゃなくて、女子も来るからさ。何かスイーツ的なものでも食いに行こうぜ」


「え~、どうしよう」


 カズサは口の煙草をむしり取り、床に捨てた。


「おい、早くしろや。チンタラしてんじゃねえぞハゲ」


 白石は「あとでな」と悠理に囁きかけてから身を起こし、カズサと正対した。


 その場で2、3度ジャンプしてからソードベルトに手をやり、剣のジョイントをはずす。剣は端に結びつけられたチェーンでベルトからぶらさがった。彼は左手でそのチェーンをたぐりながら、右手でポケットをさぐった。左で剣をつかみ、右で煙草を口に運ぶ。


「来いよ。いつでもいいぜ」


 彼はライターで煙草に火を点けた。


 カズサは正眼せいがんに構えた。


 集中するために壁を見つめる。いつも素振りをしている自分の部屋とくらべてみる。ここの方がすこし広いだろうか。よし、充分に振れる。


 しかし対手はどうして構えを取らないのか。居合にがまえなんてあるのだろうか。


 呑まれまいとしながらも、カズサは対手の異様な立ち姿に心を乱されていた。


 白石は左手で折りたたみ剣の端を持ち、左腰につけるような形で保持していた。刀の真似のようだが、彼の持つコーレは「刀のように抜ける」というのが売りの折りたたみ剣だ。


 以前、富田が実演つきでその抜きつけの仕組みを教えてくれた。コーレは折りたたみにしては珍しく、スカバードがついている。折りたたみ時全長の1/3ほどの長さのショートスカバードだ。使用者はそれを左手で握る。


 右手で中央部のグリップを持ってセーフティを解除し、刀のように抜く。内蔵ブレードはスカバード側で固定されているので、グリップがブレード表面をスライドしていく形になる。


 ブレードの端までスライドし切ると、自在目釘(オートロッキングピン)がグリップにブレードを固定する。すると今度はスカバード側のロックがはずれて、抜刀が完了する。グリップエンドから補助グリップが飛び出し、それを左手で握って構える。


 剣の全長は70㎝もないだろう。リーチならカズサが有利だ。だが対手は真剣――できれば遠めの間合いで勝負して小手打ちを決めたい。


 しかしそのプランも対手が構えなければ成り立たない。


 突くか? いや、そこに合わせて抜きつける気かもしれない。


「三上くん、もう間合いだよ」


 悠理の声がする。そちらに目をやる余裕はなかった。上履きの中の爪先が冷たかった。


 白石が右手をグリップにかけた。居合と聞いて想像される低い構えではなく、相変わらずのアップライトだ。足も揃っている。とても抜刀できそうには見えない。


 出るしかない――カズサは手の内を固め、対手の喉に自分の剣先が突き刺さるイメージを頭に描いた。対手は煙草をくわえたまま口の端からぱっぱと煙を吐いていた。


 不意にメンソールの香りが鼻先に漂った。


「なっ……」


 カズサは剣を取り落とした。


 対手の刃がカズサの左首筋につけられていた。


 目を疑った。


 だが輝くブレードはまちがいなく煙草の煙を切り裂いて対手の手の内から彼の命を絶てる急所へと一直線に伸びていた。軽量化とスムーズな抜刀のアシストを目的としてブレードのバックは大きくえぐれている。打撃力を保つために先端部はやや幅が広く、まるで釣り針のかえしのようだった。ブレードの輝きを映したように対手の目がらん(らん)と光っていた。


「じゃ、ま、そういうことだから」


 白石は血振ちぶりの仕草も見せずに納刀した。ゆっくりと近づいてきてカズサの木刀を拾う。彼は何の抵抗もせず、剣を奪われるままにした。


 放心状態でいる彼を横から突き飛ばす者があった。


 悠理が、仲間のもとにもどる白石の背後を襲い、その肩に一打ちくれた。白石は悲鳴をあげて跳び退いた。


「テメー何してんだオイッ」


 相撲取りがいきり立つ。


 悠理は白石が落としていった木刀を拾いあげた。


「今度は私と勝負です。私が勝ったら、三上くんの剣は返してくださいね」


 平然といい、木刀をカズサに手渡す。


「アァ? ふざけんな」


 打って出ようとする仲間を白石は手で制した。


「いいじゃねえか。ついでだ。対手してやる」


 打たれた左肩をさすりながら、彼は煙草を床に捨て、新たな1本に火を点けた。左手でコーレのショートスカバードを握る。


「来いよ。いつでもいいぜ」


 悠理はすかさず打ちこんだ。彼女の剣は手かけに移ろうとした白石の右手をはっし(・・・)ととらえた。さらに入り身して、膝で下腹部を蹴りあげる。


 白石は前屈みになりながらも、すばやく身を引いて壁に背中をつけた。


「うぅ……クソッ……テメー殺すッ」


 彼の構えが変わった。腰を割り、背を丸めた。顔が床を向いている。両手は最初から剣にかかっている。刃の届く距離にいた仲間たちが慌てて離れた。


 悠理はサウスポースタイルの中段に構えている。かかとを浮かせて体を上下に揺らす。飛びこむ気だとカズサは見た。


 白石の口から煙草が落ちた。


 そのままの姿勢で彼は跳びあがった。気合いとともに抜刀し、そのままの軌道で斬りつける。


 悠理は剣を引いたが、遅かった。


 白石が納刀するのと同時に、斬り落とされた悠理の剣先が床に転がった。


 垂直跳びあがり抜き打ち――意外な技に面食らった悠理だったが、すぐに構え直し、攻めに転じた。断たれた剣の残りを対手の顔に向かって投げつける。対手がひるむところを一気に詰めてグリップにかかる手を押さえにかかった。抜刀を許さない作戦だ。


 だが一瞬早く白石は手をかけ、抜刀に入った。そのままの動きでグリップエンドを突き出して悠理の腹を打つ。彼女は体を折った。


 さらに頬に平手打ち。彼女は便所の床に倒れた。


「クソガキが、ふざけやがって……」


 白石は足を引きずり気味に悠理の方へ寄っていった。彼の顔には怒りというよりも、残忍な悦びの色が浮かんでいた。彼は悠理のおさげを1本つかんで引き起こした。彼女の裸の膝が床を掻く。


 白石は剣で彼女の髪をぶつりと断った。彼女の体は床に落ちた。スカートがめくれ、腿が大きくあらわになった。


 煙を長々と吐いた白石は斬り取った髪の束を床に放った。


「おまえもだ」


 抜身を手に提げたまま悠理の体を跨ぎ、カズサに迫ってくる。


「あの女はおまえの立会人だったよな。てことは、おまえにも責任があるってことだ」


 彼はカズサの剣先を握ると、一刀のもとに両断した。


 乾いた手応えがあった。


 カズサはそれを手の内に感じているだけだった。


「おい、行くぞ」


 白石は納刀すると、仲間たちに呼びかけた。彼らは怯えたような顔つきで、カズサを横目に見ながら便所を出ていった。


 悠理が体を起こし、膝を突いた。振り返った彼女の頬は赤く腫れあがっていた。右のおさげが耳のうしろで斬り取られ、毛先がまっすぐに揃っている。床の上でひろがる髪の束は血溜まりのようだった。


「ごめんね。お父さんの木刀……あなたの宝物、守れなくて」


 彼女の目に涙が浮かんだ。


 カズサは泣いた。


 負けを悔いた。


 弱さを責めた。


 落ちる涙は父からもらった木刀を惜しむためのものではなかった。むしろ、あれのせいで自分は戦わなければならなくなり、敗れなければならなかった。悠理は傷をつけられた。


 木刀だったから。


 本当の力じゃなかったから。


 身を守るための刀はもう必要ないと悟った。


 殺すための力――いま欲しいのはそれだけだった。

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