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菊と力  作者: 石川博品
第4章 血闘武蔵坂上
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血闘

 12階の廊下に立つかなりのだいはもはや覚悟を決めたようだった。


 包帯の巻かれた左手は使いものにならぬはずだが、刀を放してはいない。


 それでこそ剣術家だとこうは思った。


 いまあるものをすべて使って戦いにのぞむべきなのだ。競技剣術の大会で1日に何試合もこなさなくてはならなくとも、途中でどこかをいためても、あいの大応援団に取り囲まれていても、逆にそれを武器にするくらいの気構えで戦ってきたのだ。それが勝つということであり、一番になるということだ。


 更子は現に右手の握力を失っていた。


 ファミレスでの乱戦を思い返してみる。あそこでは一太刀も打たせてないはずだ。おそらく自分の打撃で壊したか、さっきの車の事故でやったか。


 肘か手首か。熱く膨れあがる。アームガードをきつく感じる。


 それでも彼女は戦う。握れなくてもグリップに添えて押しこめばいい。肉を斬るのは刃にまかせる。


 命を絶つのは我が力だ。


 彼女はローミラーで両側の壁を叩く。この狭さも武器になる。この場では直線的な攻撃が主になるだろう。いまは剣の細かいコントロールができない。だからこれでいい。


 金谷修理大夫は脇に2人の剣士をつけていた。


「おまえひとりか?」


 金谷修理大夫の声は廊下に冷たく響いた。


「いや」


 更子は中段に構える。「援軍が来る」


 突き当たりの扉が心苦しげにきしむ。カズサととみが顔を出し、敵影を認めてすばやく剣を構えた。


「たったこれだけかよ」


 金谷修理大夫は彼らに目をやり、ふたたび更子の方に視線をもどした。


「降伏しろ。俺たちにも援軍が来る。おまえらに逃げみちはない」


「そっちこそ降伏しな」


 更子は切先きっさきを対手の眼に順繰りにつけていく。「外を何重に囲んでも、結局あなたたちが一番内側。逃れられっこない」


「おいいみ更子、あいつらどうしたァ」


 カズサが構えを解いて叫んだ。「きり波止野はしのは?」


 あのバカ……。


 更子は歯噛みした。対手が一跳びすれば一足一刀の間合いに入られる位置だ。


 集中しろ。


 心を乱すな。


「あのふたりはちょっと遅れてる」


 更子は自分にいい聞かせるように何度もうなずいた。


「キリヤ……?」


 金谷修理大夫が首を傾げた。


 更子は手の内を固め直す。


 まずい。彼は霧哉を知っている。そのことをこの場で口にされては非常にまずい。彼と霧哉とのつながり、そして霧哉がいまどうなっているかをカズサが知れば、その剣は鈍る。こころくじけて座りこんでしまった波止野のようになってしまう。それだけは避けたい。


 彼は我が剣、我が力も同然なのだ。


松崎翠まつざきみどはどこなの。どこで殺した」


 更子は動揺を隠すため、あえて強く出た。「それからゆう先輩の刀も返してもらうからね」


「何だおまえ、あの女の知り合いか」


 金谷修理大夫が手にした長い刀で床をこつんと叩く。「あいつ確かうえ区から来たんじゃなかったか?」


「そうだよ。でも――」


 いいかけた更子に金谷修理大夫は背を向けた。


 脇の2人が彼女に向かって詰めてくる。


 一瞬の油断。


 金谷修理大夫はカズサと富田に相対あいたいする。


 彼らには荷が重い対手だ。できれば自分がやりたかった。この2人はカズサにやらせて、そのあとで金谷修理大夫を挟撃したかった。


 2人の対手が剣を構えて迫ってくる。更子は深々と息を吸いこみ、戦いの香を嗅ぐ。


 時間がない。


 一瞬でけりをつける。


 向かって左の男が先に寄せてきている。彼の手は決して自由ではない。左右を塞ぐ壁、うしろの仲間、すでに目にしたはずの我が腕前――更子はさらに脇構えで対手を引きこむ。


 さあはやれ、この好機に。


 おくせ、攻めるしかないこの状況に。


 対手はやはり遠めの間合いからまっすぐに打ちこんできた。更子は足の指で地を噛み、腰を「之」の字に切って身を引く。


 まつの先一筋の空を切って対手の剣が振りおろされた。


 その打ち終わりを更子は逃さない。攻めさせておいて、守ることを許さない。


けんりゅうきゅうげんたいッ」


 地を踏み固めるとともに右のかいなを返して対手のの下をえぐる。


 肉に刃が突き立った瞬間、刀を取られかけた。右手に力が入らない。体を開いて強引に斬りあげると、肉が窓に飛び散り、血が天井から雨となって落ちた。


 仲間のたおれるのを見て、もう一人の男はひるんだ。こういう対手はかえって見切りづらい。手が伸びてこないからだ。


 更子は先んじて寄せる。対手は応じて彼女の喉を突いてくる。安直な一手。


 ひとに転じてかわせば、対手の腕は眼前にあって、打ってくれといわんばかり。


けん欠盈けつえい天真てんしんッ」


 彼女はあやまたず対手の肘を断ち切ると、片足を浮かせて身をひるがえした。


 体に巻いた刀が対手の喉笛に食いこむ。


 回転の勢いを利用して斬り裂き、最後は左手一本で抜き払う。血がふたたび壁を染める。


 更子は血振りして、カズサのもとへ向かおうとした。


 金谷修理大夫がこちらに背中を向けている。


 打ち合いは互角だった。


 むしろカズサの剣の方が走っている。


 更子は目を見張った。


 床にへたりこんだ富田の見あげる先で、カズサはのびのびと剣を振るっている。テイクバックとフォロースルーが極端に小さいせいできゅうくつそうに見えるが、対手の体に向かってよく伸びている。金谷修理大夫の前捌まえさばきがいいので当たってはいない。だが先手を取っているのはつねにカズサだ。身の危険をかえりみない、がむしゃらな攻め。


 美しい。思わず見惚みほれる。


 中段のまま牽制けんせいで出した金谷修理大夫の剣をカズサは太刀の表で受けた。金谷修理大夫は軽くいてから手元にいなしこんだ。わずかにカズサが前に崩れたところを、ハンドガードの上から抱えこんで強引に引きこむ。背中を床につけて両脚でカズサの首を挟み、刀を大きく外にまわす。


 三角固め斬り――喧嘩などでは身につかない技。


「立っちゃ駄目。潰れて」


 更子は指示を飛ばした。


 対手の剣が首を斬り落としにくるのをカズサは倒れこんでかわした。脚の間から頭を抜いて打ちかかろうとする。だが対手に蹴りあげられる。体格差のせいで金谷修理大夫の足はカズサの顔面をやすやすととらえる。


「離れて立たせな。立って勝負」


 更子は叫ぶが、カズサは聞かない。対手の足首をキャッチして叩き斬ろうとする。対手はつかまれた足を振り解き、上腕を蹴って出鼻を挫く。


 カズサは一転、刀を振りかぶる。対手は脚で彼の体を挟みこみ、下からぎ払おうとする。


 駄目だ。対手の剣の方が早く届く。


退いて、カズサ。退いてッ」


 更子は悲鳴に似た声をあげる。


 カズサは退かない。対手の脚の間に肩を割りこませ、剣を振り直す。


 対手の切先が弧を描いてカズサの喉を襲う。脚で引きつけられながらカズサは胸を張る。


 金谷修理大夫の剣はカズサの顎をかすめた。


 カズサは対手を見切った。


 更子は息を呑んだ。


 信じられない。


 見切り(・・・)とう整刀せいとうりゅうの奥義。更子でさえ実力差のある対手にしか使えない。


 それをカズサはやってのけた。格上を対手に。寝技の最中に。


 街のおに。天狗の遺児。


 カズサは対手の脚を踏み越え、靴の底で対手の顎を踏み抜いた。そのまま股を割るように座りこみ、上になる。いかにも硬そうな60式のグリップを叩きつけ、がつがつと対手の顔を削っていく。


 対手が動かなくなったと見るや、立ちあがってブレードを振りおろす。ところ構わずに打つ。


 更子が止めに入ったときには、金谷修理大夫はもちろん、打ったカズサまでじっとり血に濡れていた。


「松崎翠里はどこ? 知ってるんでしょ?」


 彼女は斬り刻まれた顔の近くで叫ぶ。吹き出る血に泡が混じる。


「追手……帰ってこねえ……5人……」


 帰ってこない? そんなバカな。帰ってこないなんてことがあるか。


 ならば追われていた松崎翠里は……。


 肩を突かれ、壁に押しつけられる。カズサが彼女の胸倉をつかみ、黒い血の奥から彼女を見つめていた。


「霧哉と波止野は? なんで来ない」


 更子は震えた。刀を持っていること、目の前の男を簡単に殺す力があるのを忘れた。


「霧哉はやられた。波止野がてる。階段の途中――」


 カズサが彼女の目の底までを静かにのぞきこむ。


 彼女は逃れられない。ただ彼の視線を受け止めることしかできない。


 彼は顔を伏せ、棒切れで地面に線を引く子供のように刀を無造作に振って金谷修理大夫の喉を掻き切った。


「富田を頼む」


 そういい残して廊下を歩いていく。


 二度ともどってこないでほしいと更子は思う。だが彼はきっと帰ってくる。あの、命の際をさぐるような目で、ふたたび自分を見るだろう。


 廊下に横たわる3人の男を更子は見おろして立っていた。防火扉に富田が身を寄せていた。刀を持った、形ばかりの剣士。


「こっちおいで」


 更子は刀で彼を差し招いた。彼は打ち首の刑を申し渡されたかのようにこうべを垂れ、足取りも重く彼女のもとへとやってきた。


「霧哉は……死んだんですか?」


「たぶんね」


 更子はわざと突き放すようにいい、窓の外を見やった。「不意打ちだった。あそこに敵が潜んでいるとは思わなかった」


 この嘘がどこまで通じるだろうか。富田はだませても、カズサはどうか。あの目をごまかせるか。傷を見て一目でどの刃によるものか看破するのではないか。


 うまくいく方に賭けるしかないと更子は思う。


「いっしょに来て。部屋の中をチェックする」


 彼女は金谷修理大夫が守っていた扉を指の背で叩いた。


 富田は刀をだらしなく提げていた。


「え、でも……逃げた方が……」


「味方の応援が来る。霧哉が呼んだからね。ここに立てこもって敵を挟み撃ちにする」


 更子は富田の助けを必要としていない。だが彼はついてくるだろうと思う。


「カズサたちもここにもどってくるよ。あなたがいるんだから」


 彼女がそういうと、富田は表情を明るくした。


「そうか。そうですよね」


 何て単純な子。だがそれは自分も同じ。


 更子は刀を富田のそれに打ち当て、構えるように指示してから、ドアノブに手をかけた。

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