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菊と力  作者: 石川博品
第3章 菊と力
17/22

共闘

「態度はでかいが人見知り」


 そうやって大介だいすけにからかわれたのを思い出す。「刀がないとコミュニケーション能力もなくなる」「道場弁慶」ともいわれた。


 それは当たっているとこうは思う。知らない人に対する警戒心が強すぎるのだ。


 剣士に必要な資質ではある。じょうじゅう座臥ざが戦いにのぞむの心を――いや、それは言い訳だ。剣術の試合であいの予備動作に反応するのは簡単なのに、日常の生活で他人が何を考えているか、自分に何を求めているのか、顔色やことばの端々から読み取ることができない。たとえ読み取れたとしても、勘ちがいなのではないかと心配になって、自分から働きかけることをためらってしまう。


 結局、内気な性格が直るようにと父に連れられてとう整刀せいとうりゅう道場の門をくぐったときから何も変わっていないのだ。人を斬るのはうまくなったが、人とのつながりを築くことは下手くそなまま。道場でともにすごしてきた大介はそれを見透かしている。


 学校が終わり、一度家に帰って私服に着替えてから、切岸きりぎしちょうに来た。


 更子の家から歩いて20分。坂上さかうえにあるが、街並みは坂下さかしたのそれに似ていた。低層の住宅がひしめいている。細い道が入り組んでいて、車が入れないところもある。


 古いアパートの塀に鉄条網。野良猫避けのつもりのペットボトル。牧歌的な防犯装置。


 更子は苦もなく街に溶けこむ。すいをいくつもあしらったソードベルトをワンピースの腰に巻き、ローミラーを吊っている。


 切岸団地へ続く道を更子は通い慣れた風に歩く。道は緩やかなくだりになっている。


 崖の際の高層住宅――この街から滑り落ちていくものを食い止める最後のとりで。家出少女や盗まれた刀や煙草、汚れたカネにその持ち主、あらゆるものがあそこに引っかかり、現世に踏み留まっている。


 車道と歩道の別もないため、更子はうしろから来た車に体をかすめそうになる。車内の男たちが彼女を値踏みするように眺めまわす。


 更子は走り去る車を見つめる。違法な消音改造が施されている。ひったくりや誘拐、つじりという用途には静かな方がいい。


 広い道に出た。団地に見おろされたぞうばやしが風に揺れている。


 切岸きりぎしじょう公園こうえん


 その公園の柵に寄りかかって道の端に目を走らせている女子が3人。中2か中3。更子のように6時間目が終わって急いで家に帰り着替えてきた、という風には見えない。こうして立っていることにうんざりしている様子だ。


 大介がいっていた煙草売りの見分け方――年格好に不釣り合いの高そうな鞄を持っている。中身は売り物の煙草に、制服やその他、客の好みに合わせて――彼女たちに当てはまる。


 更子は周囲を見渡し、「番犬」の有無をさぐる。彼らは武装した用心棒で、同時に煙草売りの監視役でもある。彼女たちが客からもらったカネをごまかしたり持ち場を離れたりすれば、すぐに飛んでくる。


 女を使う男たち――ポン引き(ピンプ)


 不審な影がないのを確認して、更子は道を斜めに渡り、煙草売りに近づく。彼女たちは更子の腰のものに目をやって顔を背ける。


 怪しまれるのは予想していたことだ。恐れるな――更子は我が心にいい聞かせる。


 彼女は3人の横にさりげなく並び、商売仲間を装った。柵に背中を預け、隣で彼女を無視し続けるタイトスカートの女子に声をかける。


「人をさがしてるんだけど」


 更子はそういって、肩からかけた小さなバッグに手を入れ、財布を取り出した。わざと音を立てて千円札を1枚抜き出し、片手で小さくたたんで相手の掌に滑りこませる。映画に出てくる探偵みたいにクールに決まったと思った。


さがしてる(・・・・・)って誰を?」


 煙草売りは札をひろげて日光に透かした。


 更子はスマホを取り出し、松崎まつざきみどの画像を表示させた。相手は目を見開いた。


「ミドリ……? あなた何なの」


 その問いには答えず、更子は質問を続ける。


「ここで働いていた?」


 相手は何度もうなずく。


「この子のところにゆうという人が来てなかった?」


「来てた」


 奥にいたショートパンツの女子が答えた。「最初は客だったけど途中からタダになって――」


タダ(・・)? どういうこと?」


 更子が尋ねると3人の女子は顔を見合わせた。


「結城くんは『ピンプ』の下っ端に剣術を教えて、その代わりとしてミドリのところにタダで来てた」


「たぶんミドリ目当てで『ピンプ』に近づいたんだと思う。ふたりは何ていうか……つきあってるみたいだった」


 更子は額に手を当て、ため息を吐く。剣術をお金に換えるならまだしも、そんなことに使うなんて……。


 彼女はスマホをバッグにしまった。


「ふたりは逃げ出したって聞いたんだけど、行き先に心当たりない?」


 女たちはうつむく。真ん中の女子が口を開いた。


「番犬の奴らがいってた。かなりのだいが追っ手を出して、ふたりを斬ったって。だから……おまえたちも妙な気は起こすな、って」


 予想していた答えだったが、更子の心は沈んだ。やはり松崎翠里も殺されていたのだ。貸しが2人分になった。


 金谷修理大夫――この貸しは絶対に支払わせてやる。


「でもホントに斬ったって人の話は聞かないし、もしかしたら――」


 タイトスカートの女子がことばを切り、振り返る。彼女の視線の先には1台の車があった。


「あれが番犬?」


 更子が問うと、3人がうなずいた。


 車はゆっくり近づいてくる。50mも離れていない。こちらの存在に気づいているだろう。


「私は通りすがりで、道をきいてたってことにして」


 そう彼女たちに指示して更子は周囲に目を配る。彼女の元来た道にもギャング風の少年の群れ。こちらに歩いてくる。


 しまった……挟まれた。彼らの網にかかってしまったか。


 彼女は大きく息を吸って吐いた。抜刀ばっとうの気構えを作る。最初の1人を斬って逃げよう。訓練されていない対手ならひるんで動けなくなるはずだ。


 車の窓が開いて助手席から男が顔を出した。似合わない大きなサングラス。


「どうかしたのか」


 女たちに声をかける。彼女たちは首を横に振る。車が路肩に停まり、更子の視界を塞いだ。


「そっちの子は?」


 男がサングラスをずらして更子に目を向ける。


「道をきかれて……」


 ショートパンツの女子がいうと、男は身を乗り出して更子の頭の先から爪先まで視線を這わした。


「道なら俺らが案内するよ。この辺は物騒だからな。女の子が1人だと危ねえ」


「はあ、どうも……」


 更子は曖昧あいまいな笑顔で頭をさげた。車内にはすくなくとも3人。助手席の男は刀を肩に担いでいる。


「乗ってけよ。何もしねえから」


 男が後部座席を指す。


「あ、いや……」


 更子は首を巡らせ、背後に目をやる。ソードベルトをしたギャングたちがくわえ煙草でやってくる。前から2番目を歩く男子は勧学院かんがくいんの制服を着ていた。


「参ったな。どうしたものかね」


 そうつぶやいて更子はローミラーのセーフティスイッチを指でいじった。


いみ先輩――」


 徒歩の集団の中にいた制服の男子が手を挙げて彼女に呼びかけてきた。


 彼女には何のことだかわからなかったが、とりあえず、


「お……おーおー」


 とわかったふりで手を振って応えた。


「すいません、先輩。せっかくの待ち合わせなのに、すっかり遅くなっちゃいました」


 その男子の顔には見おぼえがあった。名前は住吉すみよしだ。住吉キ何とか。刀のメーカーと同じだったので思い出せた。


 そうとわかると、涙が出そうなほどに安心した。まったくの他人ではない。彼は何かの芝居をしている。なぜなのかはわからないが、こちらもそれに乗っからないと。


「もう、遅いおそ~い」


 剣術部の後輩にやるような調子で頭をバシバシ叩くと、住吉は露骨に嫌な顔をした。


 そこまで仲よくはないという設定らしい。


「じゃ、行きますか」


 住吉はそういって車の方をちらりと見た。彼の連れていた3人の内、2人が進み出て、更子と車の間に立った。2人とも腰に刀をさげている。1人はがっしりしていて背が高く、もう1人はぷよぷよしていた。


「そうね。行こう行こう」


 更子は住吉の肩を抱いた。彼の背丈は彼女と同じくらいだった。西園さいおんと同じクラスだといっていたから2年生か。


 車の男がげんな顔で見ている。


「こいつら、本当にあんたの知り合いか?」


 更子はことさらに大きくうなずいてみせた。


「そう。そうよ。み~んな私のかわいい後輩。もう、生意気に煙草なんか吸っちゃって。そうだ、先輩が1箱買ってあげよう。すいません、煙草おひとつくださいな。ほら、何がいいかいいなさい」


 彼女が肩を揺さぶると住吉は面倒くさそうに一度振り返り、うしろに立つ少年の顔を見た。


 彼の姿に更子は嫌な予感がした。


「ゴンクールの無印ひとつ」


 住吉が煙草売りにいった。


「600円になります」


 タイトスカートの女子がいう。更子は嫌な予感がした。


 鞄から財布を取り出して見ると、中身は400円しかなかった。買い食いをセーブして貯めてきたお金は先ほどのチップでほぼ使い果たしてしまった。


「ん~、ちょっと待ってよ……」


 更子は財布の底に溜まったほこりを見つめた。


 住吉が制服のポケットから無造作に紙幣をつかみ出した。しわだらけの千円札を煙草売りに投げ渡し、煙草の箱を受け取る。


「釣りは取っといて」


 そういって彼は煙草をうしろの少年に手渡した。


「ちょっとちょっと、お釣りください」


 更子は慌てていい、百円玉4枚を返してもらった。彼は何かかっこつけているようだが、無駄遣いはよくない。


 彼女は住吉にお釣りを押しつけた。彼は肩をすくめてそれを取り、ポケットに収めた。


「じゃあ行こっか」


 更子は煙草売りたちにお辞儀をした。「どうもお世話様」


 彼女が住吉の肩を引き寄せ、来た道をもどろうとすると、うしろにいた男子が身を引いた。猫背気味で妙な目つきの、小学生みたいな男の子。


 不意に、なぜ彼に嫌悪感を抱くのかがわかった。彼は最初から更子を自分の間合いに置いていた。いつでも斬りつけられる距離に立っていたのだ。これは偶然ではないだろう。


 ソードベルトの着け方からして独学だろうが、立ち振る舞いに人を斬る風格がある。ホルスターからのぞくさしりょうは大陸の折りたたみ軍刀。その木製グリップは煙草の汁で煮こんだように黒ずんでいる。


 おそらく仲間の中で一番腕が立つだろうと更子は踏んだ。シャワー室で襲ってきたギャングたちよりよっぽど厄介な連中かもしれない。


 角を曲がって車と煙草売りが見えなくなると、更子は腕を住吉の首に巻きつけ、締めあげた。


「あなた、私に何の用? どうしてここにいるわけ?」


 住吉は目を白黒させて逃れようとした。


「すいません。学校から尾行させてもらいました」


尾行(・・)……? わかった、いま流行はやりのストーカーってやつでしょ」


「いまさら流行りでも……」


 住吉は身をよじって、彼女の圧力から逃れようとした。「あの、ちょっと……胸……当たってんスけどマジで」


 彼の顔が紅潮しているのを見て、更子は腕の力を緩めた。


 霧哉は首を抜き、先に立って歩いた。


「どこかで座って話しましょう」


 仲間たちもそれに続く。ひとり遅れて歩く折りたたみ剣の少年は更子への構えを解かない。


 やれやれ、ずいぶん警戒されてるな――彼女は自分の性格を棚にあげて思った。


       ●


 更子は喫茶店というものが嫌いだ。煙草の煙が充満していて息が詰まる。名前を「喫煙店」に変えるべきだと思う。


 伽楼羅かるらえん神社そばの喫茶店「ハイウィンカム」の禁煙席は店先にあるテラスの一角にあるだけだった。店内のカウンターには数え切れないほどの銘柄の煙草にパイプ、マッチにライター、葉巻まで置いてあって、喫煙者を顧客として想定しているのが明らかだ。


 住吉(きり)は椅子に座ると、彼の仲間を更子に紹介した。

「こいつはカズサ。かみカズサ。こいつがとみたくで、あいつが――」


 霧哉は隣のテーブルについて店の外を警戒する少年を指差す。「波止野はしのてるっていいます。俺以外はみんな中1です」


「うちの中等部じゃないね」


 更子がいうと霧哉はうなずいた。


さし中です。坂下の人間ですよ」


 ウェイターがコーヒーと紅茶を運んできた。隣に座る富田が自分のカップに砂糖を山ほど入れておいて、更子にも勧める。


「どうぞ」


「どうもありがとう」


 更子は年下の彼に対してお姉さん的笑顔を浮かべてみせた。見た目や煙草や刀はともかく、彼らのしょはふつうの男子だった。むしろ子供といっていい。勧学院の1年生よりも幼い印象を受ける。


「坂下ということは……ひょっとして『あり』のメンバー?」


 更子が尋ねると、霧哉は持ちあげかけたティーカップを皿におろした。


「『蟻』のこと、知ってるんですか」


「当然。私だってこの街で育った人間だからね」


 彼女が得意げにいうと、霧哉は隣のカズサと顔を見合わせた。


「俺らは『蟻』じゃないです。どこのメンバーでもない。でも今度の戦争じゃ『蟻』の方につくつもりです」


「戦争……?」


 更子はミルクたっぷりのコーヒーを啜った。「戦争寸前とは聞いたけど、本当なの?」


 霧哉はこともなげに笑った。


「『ピンプ』の奴らが戦争を準備してるんですよ。坂下までも支配下に置くつもりで。だから『蟻』の側は先制攻撃を計画してるんです。対手の首領(アタマ)を叩いて一気に決着をつける」


「それって金谷修理大夫のこと?」


「そうです。『ピンプ』は奴のワンマンチームですから」


 更子はため息を吐く。


 戦争か……。男子ってそういうの好きだよなあ。あと、注文したものまだかなあ。


 霧哉はテーブルの上に身を乗り出し、声をひそめた。


「坂下で『蟻』の連中が次々と襲われてるんです。アパートやマンションにあるアジトで人が斬られて刀が奪われている。あいつの兄貴も――」


 彼は背後の波止野を指した。「られました」


「それはお気の毒に……」


 更子はカップを置き、死者の魂のために祈った。


「俺らも危ないんです」


 霧哉は紅茶を口に含んだ。「坂下にも坂上にも仲間がいない。学校でも浮いてる。誰も守ってくれないから、自分たちの命は自分たちで守らなきゃいけない」


「それで刀を持った?」


 更子がきくと、霧哉はうなずいた。


 教科書どおりの答えだ、と更子は思った。無免許で刀を持つ者が使う言い訳の、最もありがちなパターンだ。それをいわれると有免者は何もいい返せなくなる。法律がどうであろうと、護身のための力を奪うことは誰にもできない。もしそうした力を奪おうとするなら、それこそ戦争になるだろう。


「で、私に助太刀しろと?」


 更子は目で相手を威圧する。それを霧哉は笑顔で受け止めた。


「忌井先輩は俺の知ってる中で一番強い人だから。それに一番美人だ」


 彼は振り返った。「――って波止野がいってました。なあ、波止野?」


「おいィ」


 波止野が背もたれ越しに手を伸ばして霧哉の肩をつかんだ。「話作ってんじゃねえよ」


「いってたじゃねえか、尾行してるときに」


 富田がウェイターの運んできたケーキを取る。


「いってねえって」


 波止野は顔を真っ赤にして更子の方を見る。「マジいってないですから」


「いいや、いってた」


 カズサがつぶやき、波止野に頭を叩かれる。カズサは笑いながら叩き返す。


 更子はすこし驚いた。彼らはただの殺し屋気取りじゃないみたいだ。友達とじゃれ合うこともできるし、笑うこともできる。


「まあ、波止野くんの意見は否定しないけどもねえ――」


 そういって更子は頼んでおいた季節のタルト、パンケーキ、ベルギーワッフル(アイス添え)の3皿を自分の前に並べた。テーブルの半分以上が彼女の支配下に置かれる。


 霧哉が自分のティーカップを引き寄せた。


「先輩は『ピンプ』に狙われている。先輩の方も奴らのまわりを嗅ぎまわっている。やるべきことは俺らといっしょだ――敵の大将首を獲る」


「しょうがないね。一肌脱ごう」


 更子はうなずいた。


 はじめからこうすればよかったのだ。一直線に斬りこんでいき、核心を突く。まわりくどいのは性に合わない。金谷修理大夫を捕まえ、結城智弘(ともひろ)の刀と松崎翠里のことをきき出す。そしてすべてのつぐないをさせる。


 本当なら足手まといはすくない方がいいが、霧哉たちがいっしょに来たいというなら仕方ない。彼らにはさっき助けてもらった借りがある。それにここの支払いも。ひとりじゃこんなに頼めない。


 戦いに臨んで恐怖はなかった。刀のことは刀を抜いたあとで考えればいい。いまは食べる順番を――やはり焼き立てパンケーキか。いや、アイス……。


 霧哉がほっとしたような笑顔を浮かべて仲間を見た。カズサは通りを行く人に目をやりながらオレンジジュースをストローで吸った。

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