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菊と力  作者: 石川博品
第3章 菊と力
15/22

「蟻」の巣

 あいつはやっぱりすごい奴だ、とカズサは感心した。


 きりはどこからかばいを連れてきて、煙草と刀を現金に換えた。勧学院かんがくいんの連中とつきあいがあるというその故買屋は、シールされた箱に入った最新機種のスマホをカズサたちの前に並べた。


「好きなの選べ」


 霧哉のことばにカズサたちは目を丸くした。


「契約とかどうすんの」


 富田が尋ねると、10代後半に見える故買屋は、


「代理の奴を噛ませてあるから心配するな」


 と答えた。


 スマホ3つの代金と通信料の保証金を払っても、手元には数十万の金が残った。霧哉はそれを4等分した。


 4人で連れ立って駅前のちょっと怖い感じの服屋に行き、全身コーディネートした。カズサはMEKATAのスウェットパーカーと、アメリカのブランド・Bloodthirstyのデニムを買った。それを身に着けると、テレビで観るプロ剣術家のような格好になった。


 富田の提案で、お揃いのバンダナも買った。


 4人で何かやらかすときはこの紫のバンダナで顔を隠す。仲間の印だ。


 霧哉にはさらなる計画があるようだ。あちこちに電話をかけている。


 カズサは剣を手に入れてすっかり満足していた。


 これで斬れる。


 人だけでなく色々なものを。


 この街から自分たちの居場所を斬り取る。公園でたむろしていたら近所の住民に通報され、団地でうろうろしていたら管理組合にクレームをつけられ、図書館は追い出され、区民センターの裏手は高校生に占拠され、小学校の校庭開放からも締め出され、カフェなんかに入るカネはない。


 カズサや波止野はしののように親が昼間いない家では友達を入れるなといわれるし、霧哉や富田のところのように親がいると色々うるさい。


 いままでずっとカズサたちの居場所はなかった。悪さをしようというのではなく、ただ4人でいたいだけなのに、誰もそれを聞き入れてくれなかった。


 だがこれからはちがう。自分たちだけの場所を手に入れてみせる。誰にも頼らないし、誰にも文句はいわせない。


 霧哉というリーダーがいれば、それができる。


       ●


 お揃いのバンダナを腕に巻き、カズサたちはしいちょうのコンビニで雑誌を立ち読みしていた。


 斜め向かいにはパチンコ屋があり、客の出入りがあるたび熱に浮かされたような騒音が溢れ出る。夕闇に電飾が浮かぶ。店の前にはガキどもがたむろしている。煙草売りだ。


 ここの相場は1箱700円。他より高いが、コンビニで買うよりは安い。近所にあるなか商業しょうぎょう高校こうこうの連中もここで煙草を調達する。


 煙草売りの「番犬」どもから刀を奪おう、と霧哉はいい出した。カズサはいい案だと思った。奴らはいつも2人で組んでいる。真剣を持った4人でかかれば確実にれる。


 だが霧哉の考えはさらに過激だった。


「番犬どもの拠点を叩く。奴らの溜まり場から煙草とカネと刀をごっそりいただく」


「効率がいいな」


 波止野は作戦の詳細を聞いて煙草に火を点けた。


「中に人がいたらどうすんだ」


 富田がたずねると霧哉は、


「斬れ」


 とだけ答えてカズサの目を見た。そこにこめられた意味がカズサにはわかった。


 カズサと霧哉は人を斬った。次もまたやれる。


 いま、カズサは霧哉・波止野と並んでガラス越しにコンビニ前の通りを観察している。開いている雑誌の内容は頭に入らなかった。波止野は週刊誌のグラビアを見ていた。


 霧哉のスマホが鳴った。


「こっちはいつでもいい。パチ屋の前は異常なしだ。頼むぞ」


 電話を切った彼はカズサたちの方を見た。「タクからだ。はじめるってよ」


 表の通りを、バンダナで顔を隠した富田が自転車で疾走してきた。


「しくじるなよ、タク」


 つぶやく波止野の前を駆け抜け、富田はガキどもの群めがけて突進する。そのまま1人のガキと正面衝突した。


「うおお、いたァ」


「マジかよ」


「さすがタク。期待を裏切らねえ」


 カズサたちは雑誌の棚の上に身を乗り出して外の騒ぎを見物した。


 ガキを5mほど吹き飛ばした富田は自転車を降り、怯えるガキどもをちぎっては投げちぎっては投げした。


 コンビニの3人は腹を抱えて笑った。


えェタク。ガキには超強えェ」


「あいつマジウケる」


「誰も奴を止められねえ」


 5人ほどのガキを痛めつけた富田は、道に散乱した煙草と売上金の入ったウエストポーチを奪い、自転車で逃走した。


「じゃあ俺もそろそろ行ってくる」


 霧哉はスマホをブルゾンのポケットにしまい、店から出ていった。ベルトからさげたコノイドのセーフティを手で押さえながら、急ぎ足でガラスの向こうを横切る。ガキどものあとをつけてそのアジトをさぐり当てるのが彼の役目だ。


 残ったカズサは隣にいる波止野に話しかけた。


「おまえ、何かにカネ使った?」


「ばあちゃんに花買って持ってった。花屋の花ってっけえのな」


 波止野はすこし照れくさそうにしていた。「おまえは?」


「俺はこのホルスターくらいかな」


 カズサはパーカーの裾をまくりあげ、ベルトにつけたソードホルスターをあらわにした。その中には60式が納められている。


 剣も煙草も足りている現状では、彼に思いつくカネの使いみちはなかった。いまさら道場に通う気も起きない。つねに戦い続けているのだ。戦う以上の修行なんてあるだろうか。


 自動ドアが開いて、プラスチックのケースを何段にも積んだ台車が入ってきた。作業服を着た男が店員と挨拶をする。


「おい、あれ使えそうじゃね?」


 波止野がささやく。カズサはうなずき、相手の肩を叩いた。


「おまえ先に出てろ。俺が取ってくる」


 霧哉からの連絡を待つ波止野と別れて、カズサはレジの前を行きすぎる。


 台車の取っ手をつかみ、載っているプラスチックのケースを足で押す。高く積み重ねられていたが、意外に軽かった。だるま落としのようにそのままの形ですとんと床に落ちる。店員が声をあげる。カズサは台車の前輪を持ちあげ、まわれ右してダッシュで店を出た。


 アスファルトの上を走ると小さな車輪がガラガラ音を立てた。やっぱり使えないかもしれない、とカズサは思った。


 角の銀行の陰から波止野が顔を出した。そこを曲がって、自転車置き場に身を隠す。


 息を切らしているカズサを波止野が小突いた。


「おい、上に載ってたやつどうした」


「店に置いてきた」


「マジかよ。あの中身、おにぎりか何かだろ? 俺、食いたかったのに」


「知るかよ」


 カズサは天を仰ぎ、荒い息を吐いた。「先にいえよ」


 ポケットに振動があった。富田から電話だ。


「霧哉は?」


『ガキどもを追跡中』


 電話の向こうの息切れが聞き苦しいのでカズサはスマホを遠ざけた。


「おまえだいじょうぶか?」


『おまえこそだいじょうぶか? ゼーゼーいってっけど』


 富田にいわれてカズサは通話口を手で塞ぎ、深呼吸した。


「ああ。終わるまでちゃんと隠れてろよ。じゃあな」


 カズサは電話を切った。波止野が台車の上に乗ってスケボーみたいな格好をしていた。カズサが取っ手を押すと、彼はバランスを崩して上体を前後に揺らす。腰に差したデュプレを左手がさりげなく押さえていた。


 台車から飛び降りた波止野は険しい顔をしていた。怒らせてしまっただろうかとカズサはすこし心配になった。


「なあ――」


 刀のセーフティスイッチをいじりながら波止野がいった。「人を斬ったとき、どんな気持ちだった?」


 カズサはスマホをデニムのポケットにしまった。煙草のパックとライターが指に触れる。いまは吸ってる場合じゃない。移動まで間がない。


「俺はただ、霧哉が殺られるって思って――それしか考えてなかった」


「必死だったってことか」


 波止野のことばにカズサは首を傾げる。


 宏政に斬りつけてから波止野の兄を突き殺すまでの時間は、必死(・・)というほど中身の詰まったものではなかった。もっと空っぽで、どうとでも解釈できるものだった。


 その表し方はあまりに豊富で、カズサのことばはかえって失われた。


       ●


 霧哉の知らせてきた場所は香椎町の古いマンションだった。横に長い建物で、正面から見て右上の角が斜めに切り落とされている。6階建ての上2階は他より廊下が短い。れん模様の外壁にはひびが多く入っている。各階の廊下は開放型で、規則正しく並ぶドアが外から見えた。団地の建物と同じくらい古そうだとカズサは思った。


 波止野を先に立ててカズサはマンションの駐車場に入った。見あげると、4階の廊下で柵に肘を突いて煙草を吹かしている男の姿が目に入った。暗くてはっきりとはわからないが、台車を押すカズサを凝視しているように見える。


 波止野はすでにマンション内に侵入済みの霧哉と電話をしていた。


「俺らのこと見てる奴がいるんだけど。もう顔隠した方がいいかな」


「別に見られてもいいよ。どうせあいつは殺す」


 カズサがいうと波止野はスマホを耳に当てたまま振り返った。


「霧哉もおまえと同じ意見だ」


 彼らはマンションの中に入った。管理人室はあったが、無人だった。


 郵便受けの列の脇に背の高い観葉植物が置かれていた。こんな薄暗い中で育つものなのだろうかとカズサはその細長い葉に触れた。


「エレベーターを使うぞ」


 波止野は霧哉からの指示をカズサに伝えた。「6階まであがる」


 エレベーターに乗りこむと、カズサはグローブをめ、顔をバンダナで覆った。台車が床の大部分を覆っているため、波止野は操作パネルのそばで、カズサは奥の隅でそれぞれ身を縮こまらせて6階に着くのを待った。


 扉が開くと、そこには霧哉が待っていた。彼は台車を見て眉間にしわを寄せた。


「何だそりゃ」


「盗んだもんを運ぶのに使えるかと思って」


 波止野がいうと霧哉は笑った。


「シケてんなあ。どうせならもう2台くらい持ってこいよ」


 霧哉の指示で装備の点検をする。分解清掃して油をしてきたので各部の動作はスムーズだ。


「4階も造りはこことほとんどいっしょだ。エレベーターを出て左側の廊下に5部屋、右側に2部屋。ガキどもがチャイム鳴らしたのは406号室。だから左側の廊下だ。俺とカズサが前を行く。波止野はうしろに気を配れ」


 カズサと波止野はうなずいた。


「タクはだいじょうぶか?」


 霧哉の問いにカズサが親指を立てて応えた。


「よし、じゃあ行くか。派手に喧嘩しようぜ」


 霧哉が拳を突き出す。カズサと波止野も拳を握り、打ちつけ合う。


 台車は置いたまま、エレベーター正面の階段をおりる。


 60式はホルスターに入ったままだ。おそらく最初に抜刀ばっとうするのは霧哉になるだろう。自分はしばらく我慢する。刀を抜かないでいるのも実力の内。ビビって抜くのは最低だ。


 防火扉を引き開けて4階の廊下に出る。先ほど地上のカズサを見おろしていた男がいぶかしげな顔を向けてくる。男は耳に当てていたスマホをはずした。


 カズサは霧哉と並んでそちらに歩き出した。波止野はそのうしろにつく。


「よう」


 霧哉が親しげな調子で男に呼びかける。男は口にしていた煙草を捨て、踏みにじった。


 霧哉は笑顔を浮かべながら男に近づき、コノイドのグリップを掌で叩く。


「こいつを買い取ってほしいんだけど」


「アポはあるのか?」


 男がいう。腰の刀を落ち着かなげに触っている。


「あるよ」


 そう答えて霧哉は振り返る。


「おい、カズサ」


 彼は囁いた。「カルラさんを呼ぶ呪文、あれどんなんだったっけ」


 何をいい出すのかと思いながらカズサはその句をつぶやく。幼い頃におぼえたものだから苦もなく暗唱できる。


「カルラさんカルラさん、オンニノリノリノリマアス」


「よし」


 霧哉は満足げにうなずいた。


 男と一足一刀の間合いになった。足の構えがこちらを警戒している、とカズサは見た。


「俺の名前は西園さいおんだ。6時半って約束したんだけどな。中に行って確認してきてくれよ」


 霧哉は406号室の扉を指した。男はカズサたちの顔を見まわしてからドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。


 すっと身を寄せて霧哉が男の横についた。掌を胸の前で打ち合わせる。はっとしてカズサも手を合わせる。2人同時に男のわきに手を差しこむ。網を打つように体をひねって持ちあげると、男の体はあっけなく浮いて、柵の上に腰かける格好になった。そこに霧哉、カズサに波止野までもが殺到し、廊下の外へと押し出す。


「おっ」


 といったのが最後で、あとは獣のような吠え声だった。


 男が柵の外に消えてからややあって、どんと短い音がした。


 波止野が男の落ちていった先を見おろし、吐く真似をする。


「うえ~、見ねえ方がいい。首がありえねえ方向に――」


「いいよ、いわなくて」


 カズサは顔をしかめた。「いわれなくても見ねえし」


「奴にはもう必要ねえな」


 霧哉が廊下に落ちていたスマホを拾った。「……いや、やっぱいるか。地獄で使うかもしれん」


 彼はそれを外に放った。


 3人は目を見合わせ、それぞれに抜刀した。


 カズサがドアに取りついて引き開ける。壁に張りついた霧哉が一度中をのぞき、脇構えでおどりこんだ。波止野、カズサも続く。


 玄関のすぐ内はダイニングキッチンになっていた。4人の男がテーブルを囲んでテレビゲームをしている。背を向けて座っていた男が霧哉の一撃で声もなく倒れ、床に血溜まりを作った。


 霧哉と波止野は左右に別れ、テーブルをまわりこもうとした。


「何だテメーらァ」


 上半身裸の男が自分の使っていた椅子を持ちあげ、金属パイプの脚を向けて波止野を牽制する。波止野は構わず打って出た。デュプレの曲線的なブレードが木でできた椅子の座面を叩き割る。


 あいはうめいて椅子を取り落とした。額に手を当てる。


 波止野はして袈裟けさがけに斬って捨てた。


 刀を持った男がテーブルの上に乗った。シリアルと牛乳の入った鉢を蹴飛ばして迫ってくる。霧哉が上段に構えて備える。


 カズサは飛び出して彼を追い越し、テーブルの下に滑りこんだ。テーブルの脚の1本を薙ぎ払う。支えを失ったテーブルが傾く。


 カズサが天板を肩で押しあげると、皿やグラスとともに男も滑り落ちる。霧哉が駆け寄って男の体に刀を突き立てた。


「来いやァコラァッ」


 部屋の奥の男が叫ぶ。構える刀の切先きっさきはカズサの目につけられている。カズサは腰を落として一歩寄せた。


 横倒しのテーブルがふたりを分ける障害となっている。脚は対手の方を向いている。対手はカズサの右手にまわろうとする。カズサはテーブルが盾になるように、いっそう身を低くした。左右に体を振り、入り身を匂わせる。


 テーブル越しに対手は剣を振りおろしてきた。


 カズサは迷わず突きで応じた。


 ふたりの間にあるテーブルのために、お互い足が出なかった。体勢の低かったカズサの伸びあがるような水月すいげつ突きが先に届いた。対手の面打ちは遠かった。


 対手の腹に刺さった刃をすばやく引き、テーブルを乗り越えながら面を打った。顔をまっぷたつに割られた対手はのけぞって倒れる。頭がぶつかってテレビの画面が割れた。虹色の線が走り、軽快なゲーム音楽だけが途切れることなく流れた。


 奥の壁にドアが2つ並んでいる。血振りした霧哉が手で合図してカズサと波止野を左のドアに当たらせた。


「オメー強えェなあ」


 心底感心した風に波止野がいった。カズサは照れ隠しに荒っぽくドアを指し、開けるよう命じた。


 強いのではなくずるいのだと思った。


 対等な勝負ではなかった。


 あの形にテーブルが倒れた時点で負けるはずがなかったのだ。


 カズサは暗い部屋に踏みこんだ。カーテンが閉め切られ、電気も点いていない。人の熱が立ちこめていた。


「おい、電気点けてくれよ」


 低い声とともに闇の中で誰かが身を起こした。カズサは驚いて壁際に跳び退いた。


「こっちに1人いる」


 そう叫んで手さぐりし、照明のスイッチを入れる。


 光に照らし出されたのは、ベッドに腰かけ頭を抱える1人の男だった。防刃(スタブプルーフ)腹巻(アーマー)を身に着けている。こんなものを着たまま眠っていたのかとカズサは呆れた。


「オメーら土足で『あり』の巣に踏みこむとはいい度胸じゃねえか」


 男は枕元から煙草の箱を取って1本抜いた。


「蟻」――坂下のガキなら知らぬ者のない犯罪集団。そのアジトに攻めこもうといい出したのは霧哉だった。


「ケチな稼ぎはしたくねえ。戦争がしてえんだよ」


 そう彼はいった。4人で軍隊を作ろうと仲間を誘った。


 カズサはそれに乗った。誰かのものでがんがらめになったこの街で自分たちだけのものを斬り取るには、戦うしかない。


 ベッドの上の男は煙を吐き、目を掻いた。


「おまえら、かなりのだいのとこのモンか?」


「いいや、ちがうね」


 部屋の入り口に霧哉が現れた。「俺がリーダーだ。上には誰もいねえ」


 ベッドの男は話を聞く気がないのか、何かを削ぎ落とすかのように手で顔を激しくこすった。


「おまえらさ、犬斬ったことあるか、犬?」


イヌ(・・)?」


 波止野が構えた切先をすこし迷わせた。「何の話だ」


 男は枕元からピルケースを取り、白と黄色の錠剤を口に放りこんだ。


「犬ってよ、こっちの太刀たちすじを嗅ぎ取れんだよ。だから斬ろうとしてもなかなか斬れねえ。小さな室内犬とかでもだ」


 男は薬を噛み砕いた。「だから俺はよ、修行のつもりで犬を斬りまくった。そしたら斬りすぎて近所に犬がいなくなっちまった。おかげで朝が静かでいい」


 欠伸(あくび)をしながら男は笑った。


 カズサは波止野と目を見合わせた――こいつは何をいってるんだ。


「興味ねえなあ」


 霧哉が刀を放し、掌をブルゾンの裾にこすりつけた。「動物虐待の趣味はねえ」


虐待(・・)? ふざけんなよ。対等の勝負だ。一対一のな」


 男は床に灰を落とした。「犬の方がオメーらよりよっぽど強い」


 波止野が片手で刀を持ち、ゆっくりと進み出た。


「ほう……おもしれえな。おもしれえ冗談だ」


 男は波止野を横目に見、鼻で笑った。


 波止野が突っかけるのと同時に、男は前転して床におりた。仰向けになり、波止野の脚を脚で絡め取る。


 体勢を崩した波止野の背中を這いのぼり、腕を波止野の首に巻きつけた。波止野はそれを剥がそうと手をあてがう。男の左手が波止野の指を捻り、刀をもぎ取った。


 背を向けている男にカズサは打ってかかろうとした。だが一瞬早く切先を向けられ、足が止まった。男は振り返りもしなかった。


「犬には牙がある。おまえらにはあるか?」


 男は波止野の背中を蹴飛ばした。つんのめる波止野の体をかわして霧哉が斬りこむ。男はすばやく刀を引いて、逆に打ちかかる。せんを取られた霧哉はそれを刃で受けるのが精一杯だった。


「ナメやがって。ぶっ殺してやる」


 彼は一歩退き、構え直してカズサを一度見た。「手ェ出すな。こいつは俺が殺る」


 ふたりは剣をつけて互いの出方をさぐり合った。


 霧哉のコノイドがその剣先で対手の刀をこうとする。


 対手が構えをあげる。


 胴が空いた。


 カズサの目には不用意すぎて逆に怪しく映った。


「そこ打っちゃ駄目だ」


 カズサが声をかけると霧哉は一瞬ためらったが、結局は胴を打ちに行った。


 待ち構えていた対手の面と相打ちになった。


 霧哉の胴は浅かった。


 対手の面もまた皮一枚を斬っただけだった。


 霧哉の踏みこみに迷いがあったのと、ヘッドスリップでかわしたおかげだった。血が冷や汗のように霧哉のこめかみから垂れた。


「おおてェ」


 対手は防具の上から脇腹をさすった。「防刃っつっても結構痛てェんだ、これ」


 警察制式レベルのアーマーなら真剣の刺突も通さない。胴を空けたのはだったのだとカズサは看破した。


 あそこを打ちに行ったらカウンターを取られる。


 かといって面や小手は打たせないだろう。おそらく構えをあげて対応してくる。


 とすると、脚を斬るか。上に意識を散らしておいて内腿を――


「おい、カズサ」


 霧哉がカズサをにらむ。「余計な口挟んでんじゃねえ。一対一の勝負だ」


 まるで剣を向ける男でなく、カズサを対手にしているかのような険しい表情だった。カズサはおずおずとうなずいた。


 霧哉はひとつ息を吐くと、打ってかかった。


 受けてつばいに移行しようとする対手に対し、彼は身を寄せて頭突きを見舞う。


 嫌がって対手は顔を背けた。


 霧哉も対手のブレードで耳を切ったが、構わずに脚を取りに行く。片脚を引きまわして対手を倒すと、馬乗りになった。刀を逆手に持つ。


 そのまま思い切り突き立てようと体を反らしたときだった。


 対手が上体を起こし、霧哉の腋に頭を潜らせた。右手に持った刀で霧哉の左足を押さえ、左手で上着をつかむことによって動きを封じておいて、体を入れ替える。


 壁を蹴って一気にひっくり返した。


 形勢は完全に逆転した。対手の体捌たいさばきは洗練されたものだった。のしかかり、頭を霧哉の顎につける。空いた手で刀を封じておいて右手を伸ばす。


 脇腹を刺す気だ。


 とっさにカズサは対手の背中に跳び乗った。アーマーの隙間に指を入れてこじ開け、剣を突き立てる。


 二度三度としゃにむに突く。ハンドガードまで入りそうなほどに深く。


 ブレードがあばらを削る感触。


 肉をむさぼる獣のようにうなる、それは自分か対手か。


 何を、何のために突いているのか、わからなくなる。


 血の匂いに酔い、脊髄反射のように無心で突き続ける。果てもなく動く。


「もういい」


 肩を叩かれ、カズサは顔をあげた。


 傍らに波止野が立っていた。見おろすその顔には血の気がなかった。


「やめろ、カズサ。もう死んでる」


 カズサは下になった男の首筋に触れた。まだ温もりが残り、汗さえ浮いていた。


 起きあがり、蹴って死体を仰向けにする。その下にいた霧哉は腹を敵の血で濡らして呆然としていた。


「……テメー俺を殺す気かよ」


 いわれてカズサは笑った。


りィ悪りィ。助けに入るの一瞬遅れた」


 血を拭い、手を差し伸べる。


 また霧哉の窮地を救った。この充実感。学校でのつまらない決闘なんかでは到底味わえない。やはり自分は仲間のために剣を振るうのが似合っていると思う。


 霧哉は自力で立ちあがり、カズサの胸倉をつかんだ。


「何笑ってんだクソがァ」


 カズサは当惑した。さっきのことばはいつもの冗談だと思ったのだ。


 助けを求めて波止野に目をやる。


「おい、どうしたんだよ。やめろよ」


 波止野がふたりの間に腕を差し入れる。


 霧哉はカズサを突き放し、一歩さがった。


「俺が手を出すなといったら手を出すんじゃねえ。わかったか」


 カズサは弁明しようとするが、ことばが出てこない。そもそもなぜ相手が怒っているのかがわからなかった。


 霧哉はきびすを返し、死体から刀を剥ぎ取った。


「波止野、剣取られてんじゃねえよ。殺されたも同然だぞ」


 逆手に持って波止野の胸に押しつける。波止野はブレードを一度点検して納刀した。


 霧哉は肩をいからせ、斬られた耳を押さえながら部屋から出ていった。


 死体のポケットから波止野が煙草のパックを取る。


「いただくもんいただいて、さっさとずらかろうぜ」


 乾いた手で差し出された煙草をカズサは口にくわえた。血に濡れた手でポケットをさぐり、ライターを取り出す。


 灯した火に手をかざしても、血は重く冷たくなるばかりだった。

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