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菊と力  作者: 石川博品
第3章 菊と力
12/22

死なない週間

 カズサは早く学校に行きたかった。こんなことははじめてだった。


 ほとぼりを冷ますため、きりとみと示し合わせて1週間家から出なかった。その間、カズサは自室で60式を振り続けた。


 盗んだ刀はすべて富田の家に運びこんだ。カズサはしばらく他の刀ではなくこの60式を使おうと心に決めた。剣を替えることでいまの勝ち運を逃したくなかった。


 宏政ひろまさを殺したことでみずからを責めることはない。斬らなければ霧哉が死んでいた。元はといえば盗みに入った自分たちが悪いのだが……いや、そうではない、とカズサは思う。


 いいも悪いもない。


 あのとき、自分の手には剣があり、目の前には勝負があった。


 力が欲しくて、勝ちたかった。


 力を使って、勝った。


 それだけだ。


 仲間を殺そうとする奴はもういない。そいつらは殺した。これからも殺す。


 それとは別に斬らなければならない奴がいる。


 白石しらいしかけ


 仲間とは関係ないが、片をつけねばならないあいだ。カズサは富田と霧哉に電話して、明日学校に行く、と伝えた。富田はもとより学校に行くつもりがなく、カズサの話にも興味がなさそうだった。白石との一件を詳しく知っている霧哉は「無茶するなよ」とだけいった。


 無茶をするつもりはなかった。ただ勝ちに行く。


 カズサは早起きして母より先に家を出た。ふところには60式を忍ばせている。ソードベルトにつける折りたたみ剣用のホルスターもさがして盗んでくればよかったと後悔したが、自転車を走らせている間に、刀をズボンに突っこんで街を行くのも暗殺者みたいで格好いいように思えてきた。


 昇降口に人影はなかった。あさ六郎ろくろう悠理ゆりもいない。オアシス週間は終わってしまったのだろうかと考えながら、上履きに履き替えた。3階にのぼり、3年生の男子便所に入る。個室に鍵をかけてまず一服。


 自分はどうも狭いところに隠れて待ち伏せするのが好きらしいと気づく。怖いけれどもワクワクする。かくれんぼの隠れる側が武装しているハードコア版みたいなものだ。楽しすぎる。たぶん宏政を斬ったときにも楽しんでいた。きっと頭がおかしいのだ。女風呂を盗撮するような奴らと同じで、変態なのだ。


 カズサはズボンから60式を引き抜く。変態にカメラ、キチガイに刃物。


 誰かがトイレに入ってきた。まっすぐカズサのいる個室の前に来て、ドアをノックする。応えずにいると、さらに激しく叩かれた。仕方なくノックし返す。


「誰よ。ずいぶんえェなあ」


 白石の隣にいた相撲取りの声だ。カズサを仲間の誰かだとかんちがいしているらしい。


「おい、どうした。だいじょうぶか」


 ドアをがたがた鳴らし、上までよじのぼって顔をのぞかせる。おせっかいな奴だ、とカズサは舌打ちをする。


 鍵を開けてドアを引く。足場をなくした相撲取りは落下して床に尻餅をついた。


「お、オメー……ここで何してんだ」


 ズボンが汚れていないか触って確かめている相撲取りに、カズサは煙草のパックを差し出す。


「一服してた。あんたも吸います?」


 相撲取りは封も切っていないゴンクールメンソールを手に取り、ためつすがめつ眺めた。


「……いいのか?」


「みんなで分けてくださいよ」


 カズサはそういっておいて自分はラッキーリンディーの新たな1本に火を点けた。ゴンクールの無印(・・)と注文したはずなのに富田のバカはメンソールを盗ってきやがった。暗くてわからなかった、などと抜かす。


「おまえその刀、どっから持ってきた」


 箱の中のくじをさぐりながら相撲取りがいった。カズサは右手の60式に目をやった。


「家から」


「駆流くんとまたやりてえってか」


「うん、まあ」


 ふたりは壁に寄りかかって同時に煙を吐いた。


りねえなあ。修行でもしてきたのか」


「いや」


「いっとくけど、駆流くんとおまえじゃ修羅場潜った数がちがう。勝ち目はねえよ」


「どうかな」


 カズサにはわかっていた――勝負の行方が、いな、生き死にの天秤がどちらに傾くかが。


 カズサは60式を宙に放り、受け止めた。


 相撲取りの仲間が続々と便所に集まってきた。彼らはカズサを認めると口々に挑発のことばを吐いたが、カズサの与えた煙草は分け合って吸った。


 5番目に来たのが白石駆流だった。


「あれ? おまえまた来たのか」


 彼は学ランを脱ぎ、ひょいと肩にかけた。ベルトにあのときと同じコーレが見える。


「リベンジしに来たのはおまえがはじめてだ。根性あるじゃねえか。いいねえ。気に入った」


「今度はマジで斬り合おう。俺も真剣持ってきたからよ」


 カズサがいうと、白石は肩を揺すって笑った。その手は神経質そうにYシャツの袖に折り目をつけ、まくっていた。


「いいね。やろう。ここでか?」


「他にどこでやんだよ。女子便所か?」


 白石はさらに笑い、降参だといった風に掌を向けてきた。


「いや~、俺マジでおまえみたいな奴好きだわ。俺らが卒業したら、この学校シメんのおまえだな。いまの2年はみんな根性ねえからよ」


 学ランを相撲取りに放り渡し、白石はズボンのポケットをさぐった。


 間合いだった。


 カズサは60式のハンドルをつかみ、ブレードを引き出すと、ハンドガードの位置までハンドルを押しこんだ。


 白石はジョイントをはずして一度コーレをチェーンでぶらさげた。それをたぐり寄せながら煙草をくわえる。


 そこにカズサが手を出した。左手を対手の顔の前にかざす。


「ん? 何だよ」


 白石が怪訝そうな顔をする。


 カズサはこたえない。「煙草に火を点けてから抜刀ばっとう」という対手のリズムを崩す。


「来いよ。いつでもいいぜ」


 カズサは対手のセリフを先にいってにやりと笑った。


 白石の余裕ある態度や軽口はすべてフェイクだ。奴に余裕などない。毎回同じ手順を踏まないと抜刀に踏み切れない神経質な男なのだ。


 機先を制された白石はオイルライターの蓋を閉じ、火の点いていない煙草をぷっと吹いて捨てた。


「ユリちゃんっていったっけ? 今日はあの子いねえのか?」


 カズサは答えない。左手を対手の抜き打ちの射程内に突き出し、右手はだらりとさげ、60式の切先を揺らしている。足はオーソドックスで構える。


 白石は上唇を歪める。


「無構えか……。策を練ってきたってわけだ」


 カズサは何も答えない。


 彼は確信を抱いている――自分は死なない。あのときどうして5人もの人間を斬れたのか、ずっと考えていた。対手より強かったわけではない。強ければ不意打ちなんてしない。結局、自分が死なないから勝てたのだ。


 自分が死ぬわけない。


 その死なない週間(・・・・・・)はいまも続いているのか? これは賭けだ。それに命を賭ける。


 にらみ合ったまま、白石が右手を剣のグリップに移す。


 抜く気だ。


 カズサは柔らかく笑う。これからすぐに決着がつく。


 気合いとともに抜刀した白石は、カズサの腕をくぐり、左の首筋にブレードをぴたりとつけた。


「また俺の勝ちだ」


 白石がにやりと笑った。


「やっぱりな」


 カズサはつぶやいた。


 やっぱり奴は人を斬れない。恰好かっこうの標的である自分の腕が目の前にあるのに、それを斬らず、避けた。


 やっぱり自分は死なない。こいつの刃じゃ命に届かない。


 右腕をしならせ、剣を走らせる。60式のブレードが白石のすねを叩き割った。

「おォ? おぉっ、うおっ、うわっ」


 白石は海老えびのように腰を折り曲げ、ゆっくりとうずくまった。剣が手から落ちた。引き裂かれたズボンが血で黒く濡れる。


「テメーに俺は斬れねえ。永遠にな」


 カズサは無造作に対手の顎を蹴りあげた。対手は洗面台の下に倒れこんだ。歯を食い縛り苦痛に耐えていたが、やがてしぼり出すような悲鳴をあげた。歪む顔に玉の汗が浮く。


 カズサは追い打ちをかけなかった。彼は自分の考えを確かめに来ただけだった。対手から何も奪うつもりはない。だがふと思いついて、対手の剣を拾い、ショートスカバードとベルトをつなぐチェーンを断ち切ってブレードを納めた。自分の60式も、トイレットペーパーでのりを拭ってから納刀する。白石を介抱する相撲取りたちをしりにカズサは便所を出た。


 廊下には野次馬が集まっていた。白石のあげた声を聞きつけてやってきたのだ。彼らの目はカズサの手にある2振の折りたたみ剣に注がれた。カズサはそれをズボンの中に突っこみ、うつむき加減に歩き出した。3年生たちが道を空ける。


 2階におりて1-Aの教室に向かう。うしろの戸から入って目当ての相手をさがすが、見つからない。近くにはたけやまがいるのに気づき、声をかける。


「浅海六郎は?」


 ああ、あそこに、と畠山が答えるより先に、1人の女子が振り返った。


 悠理はばっさり髪を切っていた。そのせいで気づかなかったのだ。


 彼女は友人たちの輪から離れ、カズサのそばにやってきた。


「ひさしぶり。どうしたの」


「ああ、これ……」


 カズサは学ランの下から白石のコーレを取り出す。


「え? これって……」


 悠理は差し出された剣にそっと触れた。


「おまえの代わりに没収しといた。校則違反なんだろ?」


 カズサがいうと、悠理はすこし考えこみ、それから吹き出した。


没収(・・)? どうやって」


「話し合いだよ、話し合い。平和的にな。とりあえずこれ、おまえに預けるから」


 悠理は剣をしっかりと握り、気遣うようないつくしむようなほほえみをカズサに向けた。


「ありがと」


 女子の髪ってどうしてこう朝っぱらからサラサラでツヤツヤなんだろう、とカズサは思った。悠理はショートカットの方がいい。速く動けそうだし、もう髪をひっぱられずに済むし、軽やかで、生意気な笑顔が引き立って見える気がする。


 カズサはためらいながらも、


「それ結構似合ってると思う」


 といった。


「何が?」


 悠理は不思議そうな顔をした。カズサは頬がかっと熱くなるのを感じた。


「別に何でもない」


 その場に居づらくなった。きびすを返し、教室を出る。


 それはそうだ。あれからもう1週間たっている。自分にとっては新鮮でも、あっちはもうあの髪型に慣れているのだ。


 何をやっているんだか。もう帰ろうか――そんなことを考えながら廊下でたたずんでいると、背後から名を呼ばれた。


「ひさしぶりだな、カズサ」


 振り返るとそこに波止野はしのがいた。


 波止野の兄の葬儀はどこかの寺で行われたらしい。カズサの母がいっていた。それを知ったところで参列などするつもりはなかった。できるはずもない。波止野の兄を殺したのは自分なのだ。霧哉は何度家に電話しても波止野が捕まらないといっていた。


「ちょっと話があるんだがよ」


 波止野は廊下の中央に立っていた。他の生徒たちはそれを避けて通る。


「何だよ、話って」


 カズサは波止野のソードベルトに目をやった。1週間前には削り出し作業中だった木刀がすっかり完成している。


「兄貴のことだよ」


 波止野は目をやや細めながらいった。最初にこいつと喧嘩したときもこんな感じだったな、とカズサは思った。


「わかった」


 霧哉にいわれたとおりの応対をする。「俺の方も話がある。場所替えようぜ」


 カズサは波止野に背を向け、歩き出す。この場で不意打ちを食らうことはないと確信していた。それが仲間同士だからなのか、死なない週間だからなのか、彼にはわからなかった。

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