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狭山六佐の伝説

 むかし、狭山家に六佐ろくすけという男がいた。六佐はどちらかといえば人見知りで、幼少のころの遊び相手といえば犬や猫といった生き物ばかりだった。中でも虫はお気に入りで、小さな生き物の精巧な見た目に感動し、驚くべき生態を見つけては感嘆の声を上げ、毎日虫捕りに明け暮れた。


 そのうち見ているだけでは飽き足らず、水をかけたらどうなるか、羽を切ったらどうなるか、足をもいだらどうなるかと、いくぶん猟奇的なこともするようになった。唯一の友人ともいえる藤吉は気味悪がって尋ねた。


「お前はそんなことしてなにが楽しいんだね」

「虫はどんなにむごいことをしても泣き叫ぶこともなければ怒り出すこともないからな、心底興味深いよ」


 六佐は大真面目に語ってからこう付け加えた。


「まあ人の顔でもついてたらちっとは遠慮するかもしれねえが」


 それから間もなくして、村のあちこちでボケる人が出た。別に漫才の話をしているのではない。何を言っても反応せず、ひっぱたこうが蔑もうが表情ひとつ変えないようになってしまったのである。老若男女関係なく瞬く間にボケは蔓延し、正気を保っているものは六佐を除いてついにひとりもいなくなってしまった。


 そのことに六佐が気づいたのは、久しく訪ねてこない友人に世紀の大発見を伝えようと外へ出たときのことであった。


「藤吉のやつ、この話を聞いたら驚くぞ。俺の趣味がただのお遊びじゃなかったと認めざるを得ないだろうな!」


 そこへ、ふらふらと若い女が通りかかった。六佐がひそかに思いを寄せる茶屋の娘だったが、人見知りな性分ゆえに自分からはなかなか声をかけられずにいた。しかし今、六佐はいつもより数段肝が大きくなっていた。


「ようお福。こんな時間に店をあけているなんて、買い出しか?なんなら俺も手伝うよ」


 しかし、お福はちらとも六佐を気にすることなく通りすぎて行ってしまった。


「畜生、ここまで嫌われていたとは……」


 六佐は恥ずかしさと敗北感に顔を歪め、藤吉のもとへ足を速めた。すると途中で、地べたに座り込んでいる老人に出くわした。


「じいさん、こんなところで何してるんだ。ついにボケちまったのか?」


 老人はぴくりとも反応しない。みんなして俺のこと無視しやがって、と六佐は舌打ちし、そこで、「ムシ?」と首をかしげた。老人の白髪の上に、大きな虫が止まっているのが目に入ったのである。しかも、それは人の顔を持っていた。


「そ、その頭の虫どうしたんだ?こんな種は初めて見た。俺にゆずってくれ!」


 六佐は虫を捕まえようと手を伸ばしたが、何度つかもうとしても惜しいところで逃げられてしまう。そのたびにこの珍妙な虫にあざ笑われているように感じた。いや、じっさい笑っているように見えた。とうとう捕まえるのをあきらめ、鼻息も荒く立ち去った。


 それから藤吉の家にたどり着くまでにさらに数人とすれ違ったが、みな一様に巨大な虫を頭に乗せ、呆けた表情をしていた。反対に虫の顔は喜怒哀楽様々な表情をしていて、さすがの六佐も気味が悪かった。そういえばお福の頭にもあんな虫が止まっていたかもしれないが、なにしろ気が昂っていたから気がつかなかった。


 この分ではもしかして藤吉も無事でないかもしれない。しかし藤吉の家の戸をたたくと、すぐに藤吉が出迎えた。頭髪はいつもどおり少し薄かったが、そこに虫がたかっていないのは何よりだった。


「よかった、お前は無事だったか。この村のやつらはどうしてしまったんだ?行く人来る人みんなボケ老人のようだったぞ」


 六佐は安堵して座敷に腰を下ろした。藤吉は微笑を浮かべ答えた。


「ああ、まるで人であることを忘れてしまったようだな」

「まったくだ!お福に無視されたときは腹が立ったが、よく思い出してみればどこか様子がおかしかった。おかげで出鼻をくじかれたよ…そうだ、今日はすごい知らせを持ってきたんだ!」


 六佐は懐から手ぬぐいを取り出し、包んでいたものを藤吉に広げて見せた。


「蠅の死骸じゃないか。どうしたんだそんなもの」


 六佐はもったいぶって咳払いをした。


「ただの死骸じゃない。こいつは、死ぬ前にしゃべったんだ。たった一言だけ、『痛え』と」

「ほう、それで?」


 期待した反応が返って来なかったので、六佐はムッとして立ちあがった。


「信じてないんだな? 俺のいうことを!」

「そんなことはないさ。ただ、その虫が言いたくても言えなかったことはほかにもあっただろうと思ってな」


 今まで六佐が虫集めに興じているのを呆れたように眺めていたくせに、急にそんなことを言ってくるとは、憎たらしいやつだ。


「もういい、お前とは金輪際二度と口を利かねえ!」

「そんな啖呵を切らなくても、すでにお前の友人も知人も、誰一人口を利いてはくれないだろうよ」

「なんだと!?」


 六佐は藤吉のことを思い切り睨みつけた。……なにかおかしい。藤吉はたまに嫌味こそ言うが、六佐のような人間でも付き合いを捨てないほどには情の深い人物だった。それが今は、すっかり冷たい表情で蔑むようにこちらを見ているのだ。


「どういう意味だそれは。俺には虫けらのように存在感もないと言いたいのか」

「違うな、虫けら以下だ」


 藤吉は吐き捨てるように言った。


「この村の人々にはお前が殺した虫の怨霊が憑りついている。いたぶられた分、体の大きさを増幅させてな。俺はお前が親しくしている藤吉という男にまっさきに憑りついたが、お前は異変に気付くどころか会いにすら来なかった。とうとう俺が体を乗っ取ってしまうまでな」


 六佐は体を震わせた。


「ありえない、そんなこと……」

「お前、この男に向かって言ったよな。虫にも顔がついてれば少しは殺すのを遠慮すると。だからこうして化けて出てやったのさ」


 藤吉は柱に寄りかかり、腕組みをして目を細めた。それはまったく藤吉らしからぬ振る舞いだった。


「もうじき、村人の体と完全に同化した虫たちがお前に復讐しにやってくる。お前自身に憑りつくことはないだろう。それじゃ苦しむ姿を見ることができないからな。まったく、孤独な最後だな。今まではかろうじてこの藤吉という男が味方だったが、今度こそひとりぼっちで立ち向かわなければならない」


 六佐は取り返しのつかないことをしたと感じた。もうあのため息交じりのうなずきも、薄毛を気にする仕草も見られないのか。


「そんなのあんまりだ!」


 六佐は腹の底から叫んだ。


「あんまり?お前が数々の虫にした仕打ちの方があんまりだろう!俺を殺したときのことを覚えているか?お前は熱湯の中に俺を放り込み、ぐつぐつ煮込んだんだぞ! そして醤油をかけ……」

「ええと、もしやイナゴか? そのくらいこの村のやつなら誰でも……」

「そうだな。だが、お前は俺のことをまずいと言って草むらに捨てたんだ! 俺は草葉の陰で復讐を誓った。いつかこの屈辱を思い知らせてやろうと」


 藤吉の殻をかぶったイナゴはこぶしを固く握りしめた。


「すまなかった。そんなに怒ってるとは知らなかったんだ。お前たち、ものを言わないから」

「言葉なき者には暴力をふるっていいということか? このクズが!」


 イナゴは柱をこぶしで殴った。想像したより痛かったのか、反対の手でこぶしをなでた。


「とにかく、これはお前への罰だ。思う存分苦しむがいい」

「ま、待ってくれよ」


 六佐は数少ない知人と、藤吉のことを思った。


「俺はもともと虫が好きなんだ。それが高じていつの間にか大事なことを忘れてしまったが……もう無下に殺したり、軽はずみなことも言わない。だから、村のみんなの体は返してやってくれないか?」


 手をついて懇願すると、イナゴの表情は少し揺らいだ。六佐はあともうひと押しと声を張り上げた。


「あのときまずいと言ったのはイナゴじゃなくて、醤油が古いせいだったんだ! お前は悪くない!!」


 ハッと息をのむのが聞こえた。六佐は顔を上げた。


「……本当に、もう虫を無下に殺さないと約束するか?」

「約束する」

「虫たちを軽んじるような発言を……」

「しない! 絶対しない!!」


 イナゴは深いため息をついた。それは藤吉のため息に少し似ていた。


「いいだろう。村人を助ける方法を教えてやる。だが、約束を破るようなことがあれば俺たちは再び現れるぞ。お前も、お前の子どもも、そのまた子どももだ」

「そんなことにならないよう代々語り継いでいくとも!まあ、俺に子孫ができればの話だが……」

「ではよく聞け。虫たちは人の顔を得た今、人間特有の笑うという行為にハマっている。もし最高に面白いことがあれば恨みも忘れて笑い転げ、気を許すだろう。そのとき、衝撃を与えて体からはじき飛ばすんだ。」

「大丈夫か?余計恨まれそうな気がするが」

「前世では嘆き苦しみながら死んでいったんだ。笑いながら死ねるならこれ以上のことはないだろう。すでに死んでいるからおかしな話かもしれないが」


 六佐は笑わなかった。


「わかった。試しにお前からやってみよう」

「私は手ごわいぞ。なにせ魂の深いところまで入り込んでいるからな。ちょっとやそっとでは体を離れられん」


 六佐は壁に立てかけてあった蠅叩きを手に取った。


「大丈夫、藤吉の笑いのツボはよく知っているんだ」

「俺は藤吉じゃないと言ってるだろう」


 六佐は蠅叩きの柄を逆さまに持ち鼻の先にくっつけた。


「天狗」


 一瞬、場が凍りついた。だが少し間をおいて

「ブハッ」

 という息づかいとともに盛大な笑い声が響き渡った。


「なんだそれは!本物の天狗が見たらぶっ飛ばされるぞ!!」

「今だ!」


 六佐は蠅叩きを腹に思い切り打ちこんだ。するとキラキラしたものとともに、イナゴらしき形をした、けれど男前な顔をしたものが吐き出された。それはすぐに塵となって消えた。


 六佐はしばらく呆然と汚れた座敷を眺めていたが、やがて目を覚ました藤吉に話しかけられ我に返った。


「おい、何が起きたんだ?みぞおちのあたりがものすごくむかむかするんだが」


 藤吉は気持ち悪そうに腹をさすった。


「お前の笑いのツボは昔から変わってないな。そこいらの水たまりよりも浅いよ」

「……腑に落ちない、というよりも腑から何かが抜けたような感じがするんだが」


 藤吉はおかしいなと首をひねり、頭頂部の薄い髪に手をやった。




 その後、六佐は例のやり方で次々に虫を成仏させていった。骨の折れる、そしてあらゆる意味で心が折れそうになる作業だったが、一心不乱にやり遂げた。


 こうして村の人々は正気を取り戻したが、憑りつかれているあいだに何が起こったか覚えているものはひとりもおらず、また何事もなかったように暮らし始めた。


 六佐はこの奇跡に感謝し、虫たちの供養のために祠をもうけた。人々はすっかり人が変わった六佐を不思議がったが、祠には土地の山の神が祀ってあるのだと説明され、ときどき供え物をした。


 数年後、その土地の山は少量ながら銀が採れるとわかり、人々は祠の神に大いに感謝して銀でできた供え物をした。この村はその後長らく細々と栄えたという。



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